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台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO  作者: 朧月 澪(おぼろづき みお)
虹の輪の旅 2 

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第72話 ベネチアの夕日と千歳の着地 (伸子の長旅5 最終話)


思い出の中の景色が、再び光の束になって戻ってきました。

第72話 ベネチアの夕日と千歳の着地


 


伸子はサン・マルコ広場を歩きながら、あの夢を思い出していた。

大統領がトランプを切る音で、いつもその夢は始まる。


いつもは一人なのに、昨夜の夢には二人いた。

体格のよく似た男たちが、目の前でカードを切っている。

その動きは同期しているようで、実は互いの札を覗き込もうとする微妙な駆け引きだった。


一人で切るカードはただの手つきだが、二人のカードの間には不気味な緊張が漂っている。

ふざけているようで、どこか恐ろしい――その光景は、伸子の胸に影を落とした。

みんなでつくった富士山のジグソーパズルは完成していた。


だが、誰一人、実りを感じてはいなかった。

スパムの缶も開けられず、かばんに詰めたまま、次の町へと移って三日が経とうとしていた。


完成されたジグソーと、手つかずの缶――。

その二つの象徴が、伸子の心に微かな寂しさを残していた。

部屋には二か月間、ラジオだけが静かに流れていた。

だがテレビが加わると、一瞬、日本に戻ったような感覚を覚える。


2024年パリ・パラリンピック。

日本の車いすテニス選手たちの活躍が、遠く離れた地にも力を届けていた。


日本語の声に、英語の字幕がつく――異国の地にいながらも、自分の言葉でつながれる安心感。


昨日、伸子は大スクリーンを背に、初めてのプレゼンを終えた。


ダビデのラジオの声に励まされ、広い講堂に立つ自分は、もう以前の自分ではないと感じた。

けれど、完全にはうまくいかなかったことを思うと、胸の奥が痛んだ。


だが日本人の活躍を目にすると、涙とともに力が湧いてくる。

――人は、小さな希望を抱くだけで、前に進む勇気を取り戻せるのだ、と。


虹の輪の仲間たちも口々に言った。


「昨日の伸子のスピーチ、すごかったよ。金メダル級だ」

「私もそう思う。とても細やかな技術」

「美術と文学と技術が融合した、アニメのようだったわ」


 褒めてもらってもうれしいはずなのに、

虹の輪の“日本人らしい他国の人”たちの言葉は、どこか慰めのように聞こえた。

自分では、まだ納得のいかないスピーチだったからだ。


そして、この虹の輪のチームで議論したいことは、まだたくさんあった。


トレーナーが部屋から出てきた。少し酔って、ご機嫌だ。


「伸子、今までありがとう。君のおかげで僕らの大プロジェクトは完成した。

今日はあのスパムの缶を開けよう。

明日は、ベネチアの夕陽を見て、川くだりをして、未来を語ろう」


伸子は思わずつぶやいた。


「まるで海外旅行みたい」


「もう一年半も旅しているじゃないか」


「そうだった……どこの国にいたか思い出せないときもあるの。ホテルの名前だけ覚えてるのに」


「万里の長城、やっぱり行きたかったな」


トムがジェリーに言った。

「君とチグリス川でチェスがやりたかった」

「じゃあ今やろう。僕はチグリスの夕日の話をするよ」


二人は静かにチェスを始めた。

駒を動かす音が、旅の記憶を呼び起こすかのように響いていた。


そのとき、部屋のテレビが新しいニュースを告げた。


日本語の声に、英語の字幕がついている。

――中国で、日本人の十歳の少年が殺傷されたという報道だった。


画面を見つめていたバラ子が、静かに言った。


「誰もが、歴史の渦の中にいるのね。……私、帰国するわ。伸子さん、一緒に日本まで帰りましょう」


そして続けた。


「もし明日、命が尽きるなら何をしたいか――以前、聞いたでしょう。

孫の凛ちゃんの誕生日の料理を作りたいって。

娘さんが誘導する飛行機で、千歳に戻りたいって。

明日なら、かなうのよ。

ベネチアの夕日と千歳の着地、どちらを選ぶ?」


夢に出てくる二人の男のカードが、何を示すのかはわからない。



けれど――歴史の渦には、負けない。


答えはひとつ。


「千歳の着地。凛の誕生会」


スパムの缶の中身は、想像以上に美味しかった。


帰国団の日本の国旗の中に、ウクライナの旗が混ざっていた。

青と黄色の色彩――春に思い描いた風景が、いま、現実の中で揺らめいている。


グラハム・トーマスの黄色いバラが、小麦のように光を受けて揺れていた。

バラ子と撮った「心のシャッター」をそっと開き、伸子は千歳へ向かう。


――心のシャッターがあれば、どこにいても、この夢の続きを描けるはずだ。


滑走路を抜け、飛行機は静かに飛び立った。

町は小さくなり、雲を超え、空は限りなく広かった。

雲の切れ間から見える川が、夕陽に染まっている。


ダビデに出会った名古屋のコーヒー店。


大阪のカラオケ店、横浜の研修室、バラ子と登った薔薇の丘、

みんなでつくったジグソーパズル、

そして、砂浜を素足で駆けたあのとき――。


羅針盤の針は、いま、確かに千歳を指している。


十月の千歳の街が広がっていた。

鉄橋の下のトンネルを抜けようとする車が見えた。


* * *


 おしまい


* * *

* * *


 次章 

  スマホの夜会 7夜 へ  

  知覧 へ

    つづく

* * *




◇◆◇ あとがき ◇◆◇


長い旅をここまで読んでくださって、ありがとうございます。



この章をもって、伸子の“長旅”はひと区切りです。


わたしもまた、前章・第22話「凛の誕生会」を振り返ってみたいと思います。

お話は、まだ続きます。


響香と伸子の「スマホの夜会」が開かれる予定。


次話予告:『スマホの夜会 第七夜 バラ子に教えてもらったこと』(仮)


どこかで、それぞれの「台所」から、

小さなせかいを動かしています。


日々の中にある記憶や香り、音のひとしずくを、

どこかで感じていただけたなら幸いです。


心のスイッチが、またひとつ灯りますように。


◇◇◇

お会いできたみなさまへ、心より感謝をこめて。

あなたの一言が、つぎの物語を運んでくれます。


―― 朧月おぼろづき 澪みお

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