第69話 夢のテーブルとシャッフルの音(伸子の長旅2)
台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO
第69話 夢のテーブルとシャッフルの音(伸子の長旅 2)
1 カード
伸子は、この頃、よく夢を見た。
失った羅針盤。
スパムの缶。
古ぼけた木のテーブル。
そこに、ある大統領が現れ、トランプを切る。
シャッ、シャッ――
半分に分けてシャッフルし、また切る。
そして、一番上のカードをめくる。
パラリ――
カードの表には、旅の思い出が絵として浮かび上がる。
光がかすかに揺れ、木のテーブルに小さな影を落とした。
今日は、ジグソーパズルをしている場面だった。
トム、ジェリー、バラ子さん、伸子、ギタリスト、キティ、トレーナーの七人が集まり、富士山のジグソーパズルを並べている。
伸子の夢は続く。
今日はどんなカードが現れるのだろう。
大統領の手つきは、昨日と同じようで、少しだけ違う。
カタ、カタ――
シャッフルの音が木のテーブルに響き、失った羅針盤の針がかすかに揺れる。
スパムの缶は静かに光を反射し、空気の湿り気をほんの少し映し出していた。
一番上のカードがめくられる瞬間、空気が少し変わる。
木の香りと紙の匂いが、夢の間に溶け込む。
2 ハート3
今日は――ハートの3だった。
そのカードの赤い模様が、ほんのりと温かさを放つ夢。
カードの表面に、ふっと映し出されるのは、また違う旅の記憶。
今度は海辺の風景だ。
北海道の海とはまた違う表情を見せる、広くて温かく、どこまでも透き通った光景。
水平線まで続く青い海は、光を受けてキラキラと輝き、波が静かに砂を撫でるたび、眩しい白い泡が飛び跳ねる。
伸子は素足になって、小さな貝殻を拾い上げる。
波の泡が指先に弾け、砂浜と海の境界をどこまでも駆けていく。
太陽の光を受けた泡が虹色に瞬き、潮風が頬をなで、海の香りが胸いっぱいに広がる。
水面の光が踊るようにきらめき、伸子の心も軽やかに弾む。
「もう64よ。」
“So what?”(それがどうしたの?)と、皆が口々に返す。
伸子はくすりと笑い、肩をすくめて、少し照れたように砂を踏む。
フランス語で「Mais oui!(もちろん!)」と笑い、
スペイン語の「¡Vamos!(さあ、行こう!)」という掛け声も波に溶けていく。
トムもジェリーもバラ子さんも、笑い声を風に溶かしながら、波打ち際を駆ける。
泡立つ白い波が光を受けて瞬き、小さな貝殻が足元で跳ねる。
光の粒が空中で踊り、皆の笑い声が風に溶ける。
国籍も文化も関係なく、ただ無邪気に遊ぶ時間。
誰かが叫ぶ。
“Catch me if you CAN!(できるならつかまえてみて!)”
全員が笑いながら駆け出す。
伸子は波と光の間を跳ねるように駆ける。
まるで水面そのものに溶け込むような、軽やかで幻想的な感覚。
伸子はふと思う。
「このカードは、私の中の何を映しているのだろう?」
目覚めたあとも、胸の奥に波音と笑い声、きらめく光と波の泡、遠浅の砂浜の温かさが残っていた。
3 キング
二日目の夢。
次の日も、古ぼけた木のテーブル。
この日は、まだスパムの缶はない。
――そうだ。
スパムの缶は、みんなで食べようとトムが買ってきた。
写メを撮って、故郷にメールしたと言ったら、誰かが「それはない」と言った。
それからは、誰もその話に触れなくなった。
故郷にお土産ひとつ買うことさえ、少し気まずくなった。
また、古ぼけた木のテーブル。
木目のざらりとした感触が、夢の中で手に残る。
そこで、大統領がトランプを切る。
シャッ、シャッ――
カードを分けて再びシャッフルし、そして、一番上のカードをめくる。
パラリ――
キングのカードが出た日、ジェリーが言った。
「ジグソーパズルをしようぜ!」
伸子は、ジェリーを心の中で“中井くん”と呼んでいた。
さすが、平成・令和の気遣いリーダー、中井くん。
「やっぱり富士山の絵が一番いいと思って。いいだろ?」
「うん。ありがとう。日本の山を選んでくれて。」
「グランドキャニオンとか、フランスのエッフェル塔もいいと思ったけどさ。」ひとつ作ったら、また次やろうぜ。俺、すごくない? いい考えだろ?」
中井くんはいつもの調子でそう話すと、みんなも「しょうがないな」と笑い、ジグソーパズルを始めた。
そのうち、さっき何にケンカしていたのかも、わからなくなる。
問題の先送りと言われればそれまでだけど、伸子には、あの時あれが最善だったと思う。
中井くんに、拍手を送りたい気持ちだった。
4 終わりのカード
――失った羅針盤。
スパムの缶。
古ぼけた木のテーブル。
大統領がトランプを切る。
シャッ、シャッ――
半分に分けてシャッフルし、また切る。
そして、一番上のカードをめくる。
パラリ――
ジョーカーが出た日は、そこで終わる。
ジョーカーの絵が、秘密を知っているかのようにくすりと笑った。
木のテーブルの上に、静かに風が通り抜け、波の余韻と木の香りが残った。
* * *
次話へつづく
* * *
◇◆◇ あとがき ◇◆◇
カードはいつも無言で、でも確かに“彼らの時間”を記録している。
夢のテーブルの上で、過去と未来がゆっくりと混ざり合う。
その音が、たぶん――シャッフルの音なのだ。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
どこかで、それぞれの「台所」から、小さなせかいを動かしています。
日々の中にある記憶や香り、音のひとしずくを、どこかで感じていただけたなら幸いです。
つづきは――
次話予告:『第70話 崩れたジグソーパズル(仮)』
心のスイッチが、またひとつ灯ります。どうぞお楽しみに。
◇◇◇
お会いできたみなさまへ、心より感謝をこめて。
あなたの一言が、つぎの物語を運んでくれます。
―― 朧月 澪




