第66話 電話じゃわからないよ〜メモの余白のヒント(中川さんの手紙)
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「妙蓮寺って駅名?」
伸子の素朴な疑問が、ひんやりとしたさっぽろ地下道の空気にふんわり溶けていく。
「そうよ。菊名の次が妙蓮寺」
響香は答えながら、ランドセルを背負って通学路を歩いた日々を思い出していた。
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第44話 二人だけの新年会
〜妙蓮寺の水音と渋沢栄一 より
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台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO
第66話 電話じゃ、わからないよ
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横浜の実家に帰るきっかけは、一本の電話だった。
「電話じゃ、わからないよ」
それは、いとこの宏ひろにいちゃんからのものだった。
ちょうど伸子と新年会をしたあと。
ランドセルを背負って過ごした妙蓮寺のことが、また心の奥でざわめきはじめていた。
スマホやパソコンの画面ではどうしても足りなくて、
本屋で横浜の地図を買い、畳の上に広げてみたりした。
「通学路は、やっぱり昔の綱島街道だわ」
「港まで歩いて行ける距離よ」
そんな話をしていた、まさにそのとき——
宏にいちゃんから電話がかかってきた。
母の電話の内容が、あまりに支離滅裂で。
宏にいちゃんの頭に「認知症」という言葉がよぎったらしい。
たしかに、母の話は辻褄が合わなかった。
近所では闇バイトによる強盗事件もあり、
テレビのニュースと母自身の日常が、ごちゃ混ぜになっているように聞こえた。
その中で、母はこう言った。
「友人が火事に巻き込まれてるか、心配なの。」
まだお正月気分の残るころ。
「眠れないの。」
電話口から漏れた一言。
私は思わず息をのんだ。
お昼のワイドショーの感想がこうだった。
「火事が心配で。それに、早見優さんも……」
母の話は、まるで空をつかむような内容だった。
いつもなら家事をしながら聞き流していたが、
その日はスマホを握りしめ、じっと耳を傾けた。
——丁寧に聞かなきゃ。
そう思った。
多発する実家の近所の事件。
テレビに映る現実の惨事。
画面と母の言葉が、重なって見えた。
「火事って?」
「ロサンゼルスの火事よ。あなた、テレビ見てないの?」
ロサンゼルス——その地名が母の口から出たことに、私も戸惑った。
確かにニュースでは大きく報道されていた。
けれど、母の心配とロサンゼルスがつながるとは思ってもみなかった。
「中川さんよ。あなた、覚えてないの?」
宏にいちゃんからすれば、どれも妄想に聞こえても仕方がない。
だけど——中川さんという人は、たしかにいた。
父が何よりも信頼していた人。
そして、父の命をつなぎとめたのは、彼の一言だった。
「体はひとつしかない。」
あれはアメリカで同時多発テロがあった年、2001年。
もう二十五年も前のことだ。
風のように世界を駆け巡っていた父の心臓の導火線は、霞ヶ関でついに切れた。
奇跡的に一命を取り留めたが、
中川さんがいなければ、父はニトロを握りしめたまま無理を続け、
つないだ動脈は、きっと再び切れていたかもしれない。
——父の余生二十年は、中川さんの言葉によってつながれた。
家族みんな、そう思っていた。
けれど、その感謝を言葉にしないまま、今日に至ってしまった。
そして、その中川さんが晩年を過ごしていたのが、ロサンゼルスだった。
実家にいる弟が、半年前に送ってきた一枚の写真。
「1972年11月7日」と記された、アラビア文字のような㊙️レシピのメモ。
(そもそも、それが本当にアラビア文字なのかもわからなくて。
響香には、虫の行列のような不思議な模様に見えた。
——そのメモを“メモリーのテーブル”で広げたとき、
伸子が翻訳アプリを使って調べてくれた。「マングルーバ」という料理なのだと。あのメモ。)
——切れ端のメモが、一日を支配することがある。
そのメモの写真は、この半年、響香の心をずっと支配していた。
そして、そのヒントは、ここにあった。
冷んやりとした和室の本棚の上。
お菓子の箱の中に、父に届いた中川さんの手紙があった。
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十猪君へ
君は、私の忠告をちゃんと聞いてくれているだろうか。
君は今まで、本当によくやった。
だが、いくら君のビジョンが素晴らしくても、
これからの日本——いや、世界全体の購買力は急激に落ち込むだろう。
この激震、9・11の津波の余波は、必ず日本にも押し寄せる。
君の会社の株券どころか、社員の給料すら払えなくなる大企業が出てくるはずだ。
どれほど君の舟が優秀でも、もう航路はない。
いかだをおろすときだ。それも十年、二十年という長い単位で。
君の「カナダに学ぶログハウス構想」も、
「ヨーロッパに学ぶサイディング構想」も、
残念だが、次の世代に夢を託すしかないだろう。
アメリカのこれからの混乱は、想像以上だ。
前に話したロンドンの日本料理店のこと、覚えているか?
ドバイのオーナーは、君のことをよく覚えていたよ。
君の枕元にあった携帯で、彼女から預かったメモを写真に撮っておいた。
回復したら、ぜひ見てほしい。
——カメラ付き携帯。
日本の技術者は、本当に素晴らしいものを作ったね。
こんな道具を手にして、世界のあちこちで仕事ができたら、
どんなに楽しかっただろうと思うよ。
だけど、僕らはもう充分、世界を駆け巡ってきたじゃないか。
これからは孫に、中東のラクダの話やサバンナの夕陽の話をしてやるのも悪くないと思っている。
多分、もう日本には帰らない。
君に会う機会もないかもしれない。
だけど——僕らの時代も、案外悪くなかったよな。
少し、急ぎすぎただけさ。
息子たちには、「ギブ・ミー・チョコレート」を食べすぎて糖尿病にならないように、と忠告しておいてくれ。
では。 2001年9月23日 tuyosi nakagawa
敬具。
追伸:
ギブミーチョコレートも悪くなかったけれど、
君が知覧から取り寄せた“黒い宝石”——あれこそが真の証だった。
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この手紙を読んだ父は、
「心臓の発作がいつ起きるかわからないから携帯を持って」と言う響香に、
「もうお父さんは仕事しないから、そんなものいらない」と静かに答えた。
そして、家族に退職を宣言した。
新型の携帯は弟に譲られた。
やがて哲郎が機種変更したいと言ったとき、その旧型携帯を父に手渡した。
“世界初”と書かれた銀色の帯の箱は、
実家のテレビ台の下で、長いあいだひっそりと眠っていた。
「京セラ VP-210」——世界で初めてカメラがついた携帯電話。
発売は1999年5月、価格は49,800円。
父はそのあと、二十年を生きた。
だから、父の余生は——あのとき中川さんの言葉によって、つなぎとめられたのだと思う。
その感謝を言葉にできないまま、いまに至ってしまった。
父はもういない。
中川さんも、きっと。
だけど——
今ごろ、父と中川さんは、
空の上で携帯電話で無事の連絡をとりあっている気がする。
クリスマスカードとともに届いた封筒の住所を、哲郎が検索した。
幸い、そこは被害地域から離れていた。
そのことを母に伝えると、
母は仏壇の前で、父の写真に報告していた。
◇◆◇ あとがき ◇◆◇
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
日々の中にある記憶や香り、音のひとしずく。
物語を通じて、どなたかの「声」を思い出してもらえたなら――
それが、いちばんの喜びです。
つづきは――
【次話予告】
『スマホの夜会 第2夜』(仮)
響香と伸子、アラ還のふたりのスマホは、
響香が妙蓮寺をたずねる前にも、
ピロリンと鳴っていました。
まちは少しずつ白く染まり、
クリスマスの灯りがともりはじめるころ。
二人の居酒屋「ザ・台所」で始まった夜会。
伸子の旅――きっかけは名古屋だったけれど、始まりは横浜。
横浜の話もつきない。
それも、やがて森の中へ――。
◇◇◇
お会いできたみなさまへ、心より感謝をこめて。
あなたの一言が、つぎの物語を運んでくれます。
―― 朧月 澪




