第63話 飛行機の中で
台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO
第63話 飛行機の中で
少し、疲れたわ。話しすぎたみたい——
飛行機を待つラウンジで、伸子さんと語り合った。
もちろん、心の中でだけど。
でも、もう少しだけ、一緒に飛行機に乗っていてくれる?
ねえ、伸子さん。まだ切りたくないの。
ありがとう。
それで……どこまで話したんだっけ。
今、窓の外に一番星が見えるの。
ねえ、信じられる? 空の色が、まるで夢みたいなの。
水平線には、紅からベージュへと移ろう上質なグラデーション。
ひと塗りで気品をまとえるような、しっとりした口紅の色が、永遠に空へと引かれていく。
そのすぐ上には、見たことのない青。
でも、それはただの青じゃない。
高校生の制服みたいな、まっさらな紺色。
未来のかけらが、そっと預けられているような色。
それがどこまでも、高く、広く、宇宙へと広がっている。
翼の先、小さなオレンジ色の光。
線香花火の、最後のひとしずくみたい。
今にも消えてしまいそうなのに、ずっと静かに瞬いている。
その光を見つめていると、胸の奥がじんわりと温かくなる。
まるで、私の小さな願いまで、空に抱きしめられているみたい。
その光から、少し斜め上に——そうね、60度くらいかしら。
そこに、一番星がある。
線香花火の光と一番星との距離が、ずっと変わらずにいる。
それがね、不思議で、奇跡のように思えてくる。
ライト兄弟の偉業もすごいけれど、
満席の飛行機が、札幌と千歳の間を毎日飛んでいることだって、同じくらいすごいと思う。
いま聴いている曲のせいかしら。
あなたの好きな桑田さんの声が流れてる。
イヤホン越しに、少し遠くて、でもはっきりと。
好きな歌を、自分だけの空間で聴きながら空を旅できるなんて——
これは思い出? それとも、まだ来ぬ夢の幻?
そうね、人だけね。戻らぬ日々を胸に抱くなんて。
♪ 愛、愛、愛……
深いわ、この曲。
心の奥を、そっと撫でられるような感覚。
気づけば、飛行機はもう闇の中。
窓の外には、さっきの線香花火のような光がひとつだけ。
かすかな振動と、耳の奥の違和感だけが、
私たちがまだ空にいることを教えてくれる。
星も、口紅の色も、制服の紺も——
本当は、写真に撮りたかったの。
でも、とうとう撮れなかった。
窓に映るのは、私の姿ばかり。
ねえ、あなたには見えるかしら? この景色。
……ああ、見えたわ。
とても、綺麗。
「思い出したの。名古屋の帰りにも、こんな空を見たわ——」
伸子の声が、ふっと心に届いた気がした。
あのときも、今と同じように静かな光に包まれていたはず。
そしていま、眼下には夜に浮かぶ光の町。
アナウンスが流れるたびに、機内の灯りが少しずつ変わっていく。
そのとき、イヤホン越しに聞こえたの。
「幸せの風」って。
その言葉が耳に届いた瞬間、飛行機はゆっくりと着陸態勢に入った。
滲んで、広がっていく町の光。
いくつもの記憶が、その灯りの粒に宿っていく——
あたたかく、静かに。
まるで、ひとつの願いがそっと灯っているみたいに。
翼先の光も、一番星も、そして私の心も——
すべてが、この瞬間に溶けて、静かに輝いている。
伸子さんと、こころをあわせて。
「ただいま」と。
ヘッドライトが動く。
光の道の先に、ゆるやかな明かりがつどう。
千歳のとなりのまち。
街の灯が、
闇に消えた星空を映した湖面のように、
静かに、あたたかく、夜を抱いている。
* * *
次話へつづく
* * *
◇◆◇ あとがき ◇◆◇
つづきは――
次話予告:
『第64話 詩 透明感のあるギターリスト』
『第65話 詩 霧ヶ峰からの手紙〜透明なギターの音とともに』
心のスイッチが、またひとつ灯ります。どうぞお楽しみに。
◇◇◇
お会いできたみなさまへ、心より感謝をこめて。
あなたの一言が、つぎの物語を運んでくれます。
◇◆◇
次回予告:『『第64話 詩 透明感のあるギターリスト』
◇◆◇
―― 朧月 澪




