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台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO  作者: 朧月 澪(おぼろづき みお)
妙蓮寺

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第60話 赤プリって?

台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO


第60話 赤プリって?


妙蓮寺で買ったおでんと唐揚げを温め直し、実家の食卓に並べた。


「明日は、墓参りに行こうと思うの」


仏壇の前に置かれた父の似顔絵が、笑っているように見えた。


父が逝ったのは、コロナが日本に広まり始める直前の、2020年1月のことだった。


あれから、もう五年の歳月がたつ。


介護ベッドがなくなったリビングは、ふたたび広く感じられた。


父の席には、今は哲郎が座っている。


その光景がとても自然で、なのに淋しい。


「来るなら、もっと早く言ってくれればよかったのに」


弟の隆は、すこし機嫌の悪そうな顔をしたが、おでんの湯気で、それも和らいだ。


「隆、ちくわぶ、なくってごめんね」


「別にいいよ」


思い立って帰省した理由を、響香はあえて口にしなかった。


翌日、隆はいつものように出勤し、母と私と哲郎の三人で墓参りをした。


その帰り道、ショッピングモールでお昼ご飯を食べることにした。


「昔、おとうさんとも、よく来たわ」


懐かしがる母と、少し前を歩く哲郎の後ろを、響香は静かに歩いた。


「この色のパンジーが、いいわ」


花壇に目を向ける母の横顔を見て、響香のガーデニング好きは、母ゆずりなのだと改めて思った。


ウインドウのマネキンの服より、花壇に目がいき、親子の話が弾む。


そして、天井の高いフードコート。


注文したものができるとベルが鳴るという。


待ち時間に、「十年前にここに来た時と比べてどう?」と聞くと、母は言った。


「この二階はなかったわ。若い人が多くなったし、フードコートもこんなに広くなかった。

老舗のお店ばかりね。やっぱり豊かになったって感じね。花壇もきれいになった」


響香は、「老舗?」と思ったが、厚いメニュー表をぱらぱらめくると、このフードコートの本店は、どれも銀座や赤坂の有名店らしい。


生まれも育ちも横浜の母のコメントが響く。


あたりを見渡すと、本当に子ども連れの若い層が席を埋めていた。


そして、母は続けて言った。


「霞が関の赤プリの花壇もそうね」


なんのことかわからず、はっとした。


長年の電話のやりとりの中で、霞が関という地名が出るたびに、私は父や母の検査結果ばかり気にしていた。


その時に母が見ていた花壇の話など、聞いたことがなかった。


父の人生は、まるでドラマの主人公のようだった。


まさに「九死に一生を得た」出来事があった。


それから二十年。


父は、あの綱渡りの奇跡から、静かな余生を生きた。


「お父さんは心臓が弱いから、ぽっくり行くと思うよ」


口ではそう言いながら、このリビングで、じたばたと頑張ってくれた。


働いて飛び回るのが好きだった父にとって、この狭いリビングでの二十年も、別の形の挑戦だったと思う。


あの奇跡の舞台は、霞が関近くの病院だった。


日本の政治の中心地――都会の真ん中で、父の命は救われた。


なぜ父は自宅近くの病院ではなく、そこを選んだのか。


それは、父なりの理にかなった理由があった。


自宅近くの病院に行くには、会社を丸一日休まなければならない。


だが、仕事の中心地・赤プリのそばなら、隙間時間で診察が受けられる。


やがて、母もその病院に通うようになった。


父が通い始めたのは、アメリカの9.11の2年前ぐらい。


心臓の導火線が切れたのは、たまたま母と一緒にいた、通院中のその病院だった。


それが、命をつなぐ最初の幸運だった。


手術は別の病院で行われたが、的確な応急処置のおかげだ。


救急搬送が一歩でも遅れていたら、命は尽きていただろう。


最新の医療と救急システムが、父の命をつないだ。


それは、世界を震撼させた9.11の前日だった。


父が引退したあとも、そして、父が逝ったあとも、母は変わらずその病院に通っている。


「席、譲ってもらえないの?」


電話で「立ちっぱなしよ」と通院の電車内をぼやく母に聞いた。


「若い人、疲れてるのよ。寝たふりしてるの」


「でもね。薬の入った袋をわざと見せるのよ」


八十歳を過ぎても背筋を伸ばして立つ母は、「あつかましいおばさん」と思われているかもしれない。


「近くの病院にしたら?」と言っても、母には無用なおせっかいだった。


母は今も、バスと電車を乗り継ぎ、駅のエレベーターを駆使して往復三時間の通院を続けている。


そして、あの赤プリの花壇を見ていたのだ。


「赤プリ」とは、東京・赤坂にあった赤坂プリンスホテルの愛称。


かつては多くの著名人が訪れる高級ホテルで、今は姿を変え、新しい施設として生まれ変わっている。


それでも「赤プリ」という名前は、母の中では変わらない。


そんな母が、ある日、唐突に甥である宏兄ちゃんに電話をかけた。


数年ぶりに母の近況報告を聞いた宏兄ちゃんは、どこか違和感をかんじたのだろう。


宏兄ちゃんは、母との電話を切ったあと、北海道の私に電話をくれた。


「認知症は突然くるものだと」


フードコートで「赤プリって?」と訊ねた私に、母は少し呆れたように言った。


「いやね、赤坂プリンスよ」


母は、あの花壇の季節のうつろいを、四半世紀も見続けてきたのだ。


三人で並ぶフードコートは、メニューの多さや注文の仕組み、空間のつくりまで、どれも北海道では見慣れないスタイルだった。


百を超えるメニューの中から、いちばん確かでコスパのいいランチを選んだのも母だった。


宏兄ちゃんの「電話じゃわからない」という言葉が、じんわりと胸に染みてきた。


だからこそ、電話ではここまでにしておこうと思う。


「赤プリって?」と訊ねたのは、私のほうだった。


どちらが認知症かわからない気持ちになる。


先に食べだした母を見つめながら、赤い箸袋から、つるりとした木肌の箸をゆっくりと取り出した。


口の中にふんわりと広がる味は、響香には初めて知る店のものだった。


けれど、選び抜かれた老舗の料理にちがいない、絶妙な味と食感だった。


フードコートの窓は広く、青空がきらきらと親子づれを照らしていた。


見たことのない赤プリの花壇の色が、胸の中に静かに広がった。


* * *


 次話へつづく


* * *


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