第58話 響香のランドセルと信号機
レシピは中東の料理、マングルーバだということがわかった。
この料理の語源は――「ひっくり返す」。
あの頃、私が住んでいた妙蓮寺キャッスルに行けば、
何か、記憶もまたひっくり返るのだろうか。
台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO
第58話 響香のランドセルと信号機
◇ 前奏詩:札張の地下歩道
重量15トン 直径2メートル。
それは、札張の歴史の一端
ひっそりと物語り
誰も気に留めることのない場所
時には、その前でペットボトルのふたをカチリとあけ、
水をひと口含んでから通り過ぎていく人たちがいる。
この金庫
記憶を閉じ込めた空間
そんなベンチの傍らで
会話はいつものトーンで始まる。
長い時間をかけて生まれたその文様は
この美しい縫い目を生みだした明かりは、囲炉裏の炎か、月の光か。
大事な炎を消さぬ使命は、明日の天気を知る使命、
そうした営みが、家を守るものを神にしたのではないか――
時間を超えて伝わる縫い目
歩く人たちのなかで
どれだけのひとが
ここに掲げた詩を
覚えているだろうか
私達は
いそぎすぎたのではないかと
ブレーキのないアクセルを
踏んだのだと
進むことが使命だとしたら、
うんと
ゆっくりと
明日の未来につなげて
縫い上げた縫い目に祈りを捧げて
過去の扉に感謝を捧げて
冬の嵐もしれない
このかつての未来を
明日の未来につなげて
1 金庫から井戸へ
伸子さんと新年会をしたのは、先々週のことだった。
二人で、札幌の地下歩道のベンチに座った。
ランチの場所を決めたら立ち上がるつもりだった。
けれど、気がつけば、深い話の扉がそこにあった。
後ろには、かつてあった拓銀の金庫。
新札の渋沢栄一の話が、確かきっかけだった。
その金庫に古い時代の空気が隠れていたわけではないのだけれど、
あの時、話は自然と古い井戸へと広がった。
「井戸なら、よく見ていたわ」
「どこ?」
「妙蓮寺」
それから、響香にとって、ランドセルを背負って過ごした妙蓮寺は、気になる場所になった。
スマホやパソコンの画面だけでは物足りなくて、
本屋に行って横浜の地図を買い、畳の上で広げたりもした。
「通学路は、やっぱりかつての綱島街道だわ」
「港まで歩いて行ける距離よ」
時代めぐりの一人散歩。響香のひとり遊びは数日続いた。
そんなときだった。
いとこの宏兄ちゃんから電話がかかってきた。
「電話じゃ、わからないよ」――真剣な声だった。
母とは先週会ったばかりだと伝えると、宏兄ちゃんはますます驚いたようだった。
――突然だけど、横浜の実家に行くことにした。
せっかくだから──伸子さんと話した“妙蓮寺の井戸”の場所を、もう一度たずねてみたいと思った。
2 おでん屋とそろばん
当たり前のことだけど、もう妙蓮寺駅に伝言板はなかった。
線路のすぐそばに、ぎりぎりで並ぶ小さな商店と細い路地。
人がひとり、ようやく通れるだけの道幅が、なぜか胸をしめつけるように、郷愁を誘う。
駅前には──「おでんの具専門店」。
そんな珍しいお店が、いまもちゃんとある。
──50年前も、たしかにあった。
白いポリ袋に詰められた800円のおでん。
棚の前に3,4個並んでいた。
哲郎が先を歩いていくのに気づいたけれど、私は店の人にたずねてみた。
「すぐ売り切れちゃうけど、3時にはまた出来立てが出ますよ」
今、こうして棚を見下ろすと、そこには100年ものの大きなそろばん。
いまも現役らしい。
ランドセルの端に手縫いの袋に入れたそろばんを入れていた世代でも、
このサイズのそろばんは、ちょっとした“衝撃”だった。
ダイヤモンドのように削られた木の珠、五つ。
深い黒で光沢があり、まるで毎日磨かれているかのよう。
心棒で規則正しくつながれ、棒にはめ込まれている。
木枠には釘が使われていない。
きっと木組みで作られているのだろう。
まるで、古来から受け継がれた職人技のような──ずっしりとした芸術品だった。
子どもの頃に見た視線の高さでもう一度見たいと思ったが、
振り返ると哲郎はずいぶん先を歩いてしまっていた。
店番をしていたのは、40代くらいの女性。
まだ若いのに、あの100年そろばんが、とても似合っていた。
もっと話したかったけれど──哲郎は遠く先にいて、私はあわてて小走りで追いついた。
3 ラーメン店と妙蓮寺ニューキャッスル
哲郎はスマホ片手に、昼ごはんによさそうな店を探していた。
「変にガイドブックに載ってる店より、ふらっと入ったほうが、きっといいよ」
その通りだった。
ふたりでラーメン屋の暖簾をくぐる。
色あせた“B級グルメ”のポスターが貼られた壁。
7席のカウンターにテーブルが二つ。
一人で手際よく働く店主の姿に、店内には昭和の空気がそのまま残っていた。
夏の名残を感じる甘酸っぱいトマトの入った冬のラーメン。
ラーメンを食べ終え、井戸のある駅側には戻らず、少し菊名寄りに歩く。
やがて鉄道の高架下をくぐり、かつて住んでいた“妙蓮寺ニューキャッスル”へ向かった。
高架の上を走る東急電鉄の線路を思う。
近代資本主義の礎を築いた渋沢栄一──
新しいお札の顔にもなったその名を、この沿線でふと思い出す。
彼の偉業に比べれば、この鉄道などほんの一端かもしれない。
けれども、その精神は今も、この地域の暮らしを確かに支えている──
そんな気がした。
高架を見上げながら、ふたりで歩いた。
目指す“妙蓮寺ニューキャッスル”は、7階建ての大きな建物のはずなのに、
その10分の道のり、一度も姿を現さない。
記憶に鮮明な、あの信号機が視界に入る。
4 信号機と三角公園
記憶に鮮明な、あの信号機。
その横断歩道で渡る道こそが、綱島街道。
もともとは、江戸時代の大動脈「旧道」。
昭和以降に直線化・拡幅され、「新道」として整備されたのだという。
──そんなことも、伸子さんとの話のあと、スマホで調べて、はじめて知った。
信号機を渡って、ようやく見えてくる要塞の全貌。
そして、要塞のようにそびえる妙蓮寺ニューキャッスルの前には、
小さな三角公園。
よくあんな場所で、20人近い子どもがラジオ体操を同時にできたものだと、首をかしげるほどの狭さ。
遊ぶと叱られた駐車場。
警察と泥棒ごっこに夢中になった、あの長い廊下。
響香は、そういう“怒られる遊び”の常習犯にはなれなかった。
疎外感と、一度混ざったときの罪悪感。
忘れていたはずの両方が、ふすふすと胸の奥で思い返した。
妙蓮寺ニューキャッスルを背にふりかえると、そこに見えるのが──あの信号機。
ここですごした
ニューキャッスル、小学校、おばあちゃんの家──
どれも、この信号を渡ることのない場所にあった。
信号を渡れば、駅へと続く、長くのびる“学区外”の世界。
私は、放課後の“かぎっ子”。
あの信号の前で、いろんなことを考えた。
三角公園には、あの子がいる──
グラウンドには、あのいじめっ子がいるかもしれない。
「どうしたの?」と叔母に聞かれても、
うまく答えが見つからなかった。
そんなふうに思いながら、幼い響香は信号を渡った。
母が帰ってくる駅へと、ひとり歩いていった。
……あの信号機を見ていたら、
ことばがひとつ、生まれた。
「ぐるぐるぽんちき」
そう、この日から。
妙蓮寺ニューキャッスルの前の信号機を、
響香は「ぐるぐるぽんちき」と呼ぶことにしたのだった。
そして、時おり──
たとえば、風の音で眠れない夜などに。
こころの中で、その「ぐるぐるぽんちき」に
そっと灯をともして、
くすっ、と笑う。
間奏詩『ぐるぐるぽんちき』
妙蓮寺コーポラスの信号機を、
ぐるぐるぽんちき──と呼ぶことにした。
どうして、もっと早く、
この「ぐるぐるぽんちき」を認識しなかったのだろう。
とにかく、私は、かつての自分に向き合ったとき、
この“ぐるぐるぽんちき”の存在を知った。
生まれながらに、性能のいいぐるぐるぽんちきを内蔵している人がいる。
すべてのことを石橋をたたいて渡る人、
その逆で、即断即決で進む人。
ぐるぐるぽんちきがないと、
きっと、事故ばかり起きて、生きにくい。
妙蓮寺の信号──赤、黄色、青。
綱島街道。渡らずにいれば、それは江戸から続く道。
右に行けば小学校のグラウンド、
左に行けばおばあちゃんち。
背後には、3LDKの部屋とライティングデスク。
その前にある、小さな三畳ほどの公園。
信号を渡れば、妙蓮寺。
あのとき、私はぐるぐるぽんちきして、
結局いつも、妙蓮寺駅に向かった。
あれがぐるぐるぽんちきだと知っていれば、
あのときの私を、くすっと笑えたのに。
ぐるぐるぽんちき。
最高だ。
あのときの私に、そっと教えたい。
* * *
次話へつづく
* * *
◇◆◇ あとがき ◇◆◇
ページをとじたあとに、少しでも心に残りますように。
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物語はまだ続きます――
どうぞ次のお話もお楽しみに。
◇◆◇
次回予告:「第59話 妙蓮寺駅の踏切の音」
◇◆◇
作者 朧月 澪




