第54話 barako ―何出茂薔薇子とバラ子―
台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO
第54話 barako
―何出茂薔薇子とバラ子―
〈架空と現実、異文化交流とバラへの愛〉
1. バラ子(カタール出身 ― たぶん)
バラ子さんは、たしかカタールからやってきた。
けれど、「カタール」という国名を聞いても、何も思い浮かばない自分がいた。
それが少し残念で、むしろ申し訳ないような気がした。
というのも、彼女たちはみんな、日本のことをとてもよく知っているのだ。
バラ子さんの提案で、これから開かれる夕食会では、
出身国を名乗らずに会話を楽しもう、というルールが決まった。
バラ子さんは、バラが大好きだった。
最初は、響香と話していた架空の人物――
「何出茂薔薇子」に重ねて、彼女のことを「バラ子さん」と呼ぶようになった。
2. 何出茂薔薇子 ― 架空の中の情熱
何出茂薔薇子は、かつて響香と恵庭のステンドグラスの下で、その人生を深掘りした架空の人物である。
彼女は人生を、まるごとバラに捧げた人だった。
朝から晩まで、頭の中は薔薇でいっぱい。
子どものころの彼女は、前の席の戸川一が十問のテストを終えたあとでも、
まだ名前を書いている途中だった。
それでも彼女は、大人になってもずっとバラを愛しつづけた。
自宅の庭には、まるでバラ園のように薔薇が咲き誇る。
雨が降ればバラに傘を差し、風が吹けば毛布をかけ、バラのためなら車庫も明け渡す。
車は、積雪一メートルでもおかまいなしに野ざらし。
車庫は肥料や腐葉土の置き場になってしまう。
冬は、バラ関係の本をすべて読みあさり、研究に余念がない。
尊敬する人物は、ナポレオンの皇妃ジョゼフィーヌ。
彼女はその名を「じぇせふゅーゆ」と呼んでいた。
ただひとつ困った点は、すべてのガーデナーは自分のようにするものだと思い込んでいること。
「寒いのに、どうしてバラをほっとくの?」と真顔で問う彼女に、
「いや、人間寒いから」と返しても、その意味が通じない。
けれど、努力の上に築かれた彼女の庭の美しさは、
何より雄弁にその偉大さを物語っていた。
彼女の“バラの惑星”に足を踏み入れた者は、みなバラのしもべとなってしまう。
その**えんげい係数(園芸係数)**は、かなり高い。
3. バラ子と何出茂薔薇子 ― 愛され、育てられるということ
架空の何出茂薔薇子を、響香はずっと尊敬していた。
けれど、バラ子にはそれとはまた違う“尊さ”を感じた。
バラ子は、バラを育てたというよりも、バラそのものに育てられたような人だった。
薔薇がこの世に生まれた理由を、まるで肌で感じ取っているようだった。
そして薔薇に注がれた、さまざまな人生の思いまでも、彼女は慈しんでいた。
彼女が議長を務めると、会議は不思議とスムーズに進んだ。
誰に対しても偏見がなく、沈黙を恐れず、自然な笑顔で、いつのまにか皆をまとめていた。
「さて、命名は、伸子がしてくれたわ。わたしはバラ子。それでいいかしら?
トレーナー、あなた、日本語はどれくらいできるの?」
「いっつ、パーフェクト」
「パーフェクトって、英語じゃない?」
「完璧さ」
「じゃあ、会議は日本語で進めましょう? いいわね。」
伸子に向けて、
「最後の三十分は、議事録を見て、変な日本語がないか確認して。
翻訳アプリはフル活用しましょう。それなら、みんな大丈夫よね?」
「おっけい(OK)。了解」と、トムとジェリーが返す。
トレーナーも肩をすくめつつ、
「まあ、期待してるよ。バラ子。」
そして、昨日ギターを奏でていた彼にも尋ねた。
「ギターは?」
「僕の呼び名はギターだね。君のいうとおりに僕はするさ〜♪ なあ、ダビデ。」
「ああ。」
この二人は、ギターを通して一晩で打ち解けたようだった。
夕食会のあと、主役はギターになった。
彼も日本語が堪能で、「いとしのエリー」をよく歌ってくれた。
昼間、会議で多少ギスギスした空気になっても、この歌を聴けば、翌朝にはまた爽やかな気持ちに戻れる。
やっぱり、歌の出だしって大事なんだ。
“barako”という響きも、どこか音楽のように心に残った。
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次話へつづく
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◇◆◇ あとがき ◇◆◇
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次回予告:「第55話 数滴に映る未来――横浜水道に見る、驚異の数値」
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作者 朧月 澪




