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台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO  作者: 朧月 澪(おぼろづき みお)
虹の輪の旅

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第50話 長旅スタート 〜伸子ひよこ、虹の輪に舞い降りる〜

「せっしゃは、世界の喜びを分かち合い、

平穏無事な人々に本当の幸せを届けることができると、

心の底から思うようになったのです。


その方法を、どうか、あなたに教えていただきたい。」


伸子は戸惑ったまま、耳を傾けていた。


「伸子殿、実はこの井戸が今の形になるまでの経緯を知りたいのです。


そして、まだ水道が整っていない町も多く、

そこで安全な井戸すらないところがある……。

こんな状態は、許されません。


今さら、何を恐れることがあるでしょうか。

江戸には……いえ、大阪には、仲間が待っているのです。


あなたとともに、この問いに挑みたいのです。」


―四間道で響いた、ダビデの低音ボイスが、今も耳に残っていた。


ダビデ――伸子が心の中で「三重奏王子」と呼ぶ名古屋で会った異国人。

―あれは、二〇二二年11月だ。

もう二年も前になる。

台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO

第50話 長旅スタート 〜伸子ひよこ、虹の輪に舞い降りる〜


1 返されたペン


二〇二二年 冬本番が近づいていた。

上司への相談は、あっけなく終わった。


「虹の輪? 民間の水道事業者による国際貢献プロジェクトだろ?

具体性に欠けるし、このご時世、予算はどこから出るっていうんだ?」


亀田課長のひと言で、会話はそれきりだった。


「……そうですよね。」


名古屋土産のウイロウは、机の上にひと箱だけ残っていた。

「余っているなら、もうひとつくれよ。」

亀田課長だけが、二個食べた。


伸子は、机のペン立てにきゅんたちゃんのペンをそっと戻す。


名古屋から帰ると、まさに本格的な冬が待っていた。

外は凍てつく空気。社内の蛍光灯が白くまぶしい。


皆が早くに帰った夜。

伸子は、ダビデからもらった番号に、職場から一度だけ電話をかけた。


彼が出ると思った。

しかし、電話口に現れたのは、事務員らしき女性の声だった。


思わず「間違えました」と言いかけたとき、


「縣伸子さんですね。ダビデからお話は聞いています。ご連絡をお待ちしていました。」


その声に、思わず息をのんだ。


「大変興味深いお話ではありましたが、上司に相談した結果、

わずかな予算であっても弊社では対応が難しく……。

申し訳ありませんが、今回はお断りさせていただきます。」


精一杯、丁重に断った。


あれほど熱心に話していたのだから、また電話がかかってくるかもしれない――そう思った。


それから、電話履歴を、何度も開いた。


しかし、その後、連絡はなかった。


2 思わぬ桁違い

  ――アクリル板と虹の輪


あっさり終わったはずの話が、年を越し、三月が近づく頃、思わぬ形でぶり返した。


コロナが第5類に移行する話題が出はじめ、街にマスクを外す人の姿も見かけるようになった――二〇二三年春のことだった。


ある朝、事務所がざわついた。決算が近づいている時だった。


「ゼロが二つ違っていました。今年度の――」


「コロナ対策費のアクリル板? 俺が責任取るよ。」

渋った顔の亀田課長にえりちゃんが、

「いえ、違うんです。ゼロが二つ“多い”んです。どうしましょう……?」



「伸子君。君が前に言っていた、あの素晴らしい予算の使い道、あるじゃないか?」


「えっ……?」


こうして、旅立ちの準備は、慌ただしく始まった。



3 虹の輪メンバーは七人+α


ダビデ――伸子が心の中で「三重奏王子」と呼ぶ、不思議な異国人ぶりは健在だった。


伸子の顔を見ると、低音ボイスで告げる。


「拙者は、いづれ また会えると思っていた。」


後で知ったことだが、虹の輪プロジェクトのメンバーは七人と決まっていた。


七色の虹――けれど、ほんの少しはみだす一色が、その景色をより魅力的にする。


伸子とダビデ、そしてダビデの恋人が「約束の部屋」に入ると、そこにはバラ子がいた。


彼女を加えると八人になる。


伸子は少しホッとした。


「やっぱり私は行かない運命なんだわ。それはそれでよかった。この準備期間も楽しかったし……。」


せっかく大阪に集まったのだから、八人で食事をすることになった。


お好み焼き屋、そして大阪駅近くの居酒屋。


食べて、飲んで――中でも、ダビデはまだ伸子を諦めていなかった。


当然、ダビデの恋人も譲らない。


新しく加わったバラ子は、すでにプロジェクトのためにカタールから来日しており、

「今さらメンバーを変えるのは嫌だ」と主張する。


なんとなく、「伸子か、ダビデの恋人のどちらかが抜ければいいのでは?」という空気が漂った。


伸子は、この時点で降りるつもりだった。


ところが、ふとした一言で場の空気が変わる。


「そもそも、恋人同士がこのプロジェクトにいるって、どうなのかな?」


金髪の少し小太りの男の声だった。


微妙な緊張感の中、誰かが提案する。


「カラオケハウス、行かない?」


言い出したのは、ニット帽とサングラスをした四十代のアジア系男性だった。


気分を変えようと、マイクが回る。


各国の歌が飛び交うかと思いきや、意外にも日本の歌が人気だった。


「このプロジェクト、途中で抜けてもいい」

「でも、最初の日本だけは来て損はない」


打算を抱える者もいた。


伸子は、こんな国際的な集まりにいること自体が、まだ不思議だった。


でも――楽しかった。


張りつめた空気は消え、八人の“国際カラオケ大会”が始まる。


バラ子は宝塚風に歌い、昭和の劇場歌にセリフを挟み込み、最後は「薔薇、薔薇」と連呼。


男性陣はぽかん。

伸子だけが、笑い泣きした。


遅れて来たひとりは、ホテルにギターを取りに戻り、手にして現れた。


その音色は格別だった。


ダビデはバラード『こいびとのうた』を歌う。


三重奏王子のすべてを包み込むような低音の声は、まるで歌手本人のようで、密会ライブさながらの臨場感だった。


伸子は、彼の恋人・明日香の複雑な表情をそっと見つめる。


ギタリストが伸子に言った。


「ひよこちゃん、歌ってよ。」


苦手だったカラオケ。


でも気づけば伸子は、大好きなサザンの曲を立て続けに歌っていた。


ダビデと恋人は途中で部屋を出て、何かを話し込む。


最後は残りの七人で、ギタリストの生演奏に合わせて『世界に一つだけのうた』を合唱。


何度も聞いた日本の有名曲だが、異国人が混じると、新たな輝きを増す。


ギターの音と笑い声が混ざり、夜はゆっくり溶けていった。



4 ひよこ命名


翌朝。


「ロビーに10時に集合ね」と別れたはずだったが、9時すぎにドアをノックする音がした。


立っていたのは、ダビデの恋人・明日香だった。


「あなたの補佐として、一緒に行けないかしら?」


経費は自分で負担するという。


伸子は少し考え、うなずいた。


「いいですよ。みんながOKなら、私は構わない。」


昼の食事会。


トムとジェリーの茶色いトレーナーを着た伸子が輪に入ると、拍手が起こった。


お馴染みの猫の絵は描かれていない。

トレーナーの中央で、ひよことネズミが握手している。


「主役のいないトムとジェリーみたいだね。」

「君のセンスはいい。」

「君のユーモアもね。」

「君はひよこちゃんだね。」

「僕はジェリーだね。」

「僕はトムだね。」

「僕はトレーナーでいいよ。」


その瞬間から、伸子は「ひよこちゃん」と呼ばれることになった。


八人での旅は続く。


次の目的地は――横浜。


* * *


 次話へつづく


* * *


◇◆◇ あとがき ◇◆◇


ページをとじたあとに、少しでも心に残りますように。

物語はまだ続きます――

どうぞ次のお話もお楽しみに。


◇◆◇

次回予告:「第51話 横浜バラ園〜のぶこはさくらよ」

◇◆◇


作者 朧月 澪

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