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台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO  作者: 朧月 澪(おぼろづき みお)
地下歩道の金庫の前で

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第49話 時を重ねた水滴の魔法

台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO

第49話 時を重ねた水滴の魔法


伸子が千歳行きの列車に乗り込むと、すぐに発車ベルが鳴った。


「ドアが閉まります。ご注意ください。」


少し冷たい車内アナウンスと同時に、ドアが閉まる。


床がわずかに震え、その振動が足元から胸の奥へとじわじわ登ってくる。


奥のホームに目をやったが、響香がすでに立っているのかどうかは、もうわからなかった。


伸子はそっとドアの近くに立ち、車窓に映る揺れる光を目で追う。


窓の外では、雪に覆われた屋根や歩道が、街灯に照らされて淡い光を返している。


札張駅を出た列車は、深い藍色の空の下を滑るように進んでいった。


苗穂駅あたりでは、住宅の窓からもれる明かりが雪に反射し、

夜空の小さな星のように瞬いている。


防寒着を着込んで犬を散歩させる人の影が、

街灯に照らされて、雪道に静かに伸びていく。


「ヨーロッパの雪は、一晩で消えたっけ……」


「根雪」というものをなにかと問われたこともあったが、

とうとううまく答えられなかった。


街が白一色にラッピングされて、そのまま、また次の雪がふるというと、

おどろきとともに「美しい世界だね」と言われた。


根雪になった街の街灯に照らされた粉雪が舞い、

車のライトにきらめきを添えた。


昨年は異国にいたせいか、

この根雪の中で暮らしている自分が、本当に不思議に感じられる。


冬の厳しさに背を向けず、それを受け止める人々の営みがあってこそ生まれる、

唯一無二の美しさ。


当たり前だった景色が、どこか異国のように新鮮に映る。


街と街のあいだの闇が、車のヘッドライトで一本の線につながれていく。

定刻の列車と、一定の車間距離で走る車たちが、今夜の雪が穏やかであることを教えてくれる。


闇の下に広がる雪原を、ここに住む人だけが知っている。

そこは、静かに呼吸する「白銀の世界」だ。


平和駅で降りる人がいて、空いた席に腰を下ろした。

シートのほんのりした暖かさが、伸子の身体を労わる。


揺れる車内で吊り広告に目をやった。


かつてのアイドルがメガネをかけて「60歳、検査デビュー」と笑っている広告。

くすっと笑うその広告の横に、白いライオンの顔が並んでいた。


口をあけたライオンの目が、まっすぐこちらを見返してくる。


伸子は思わず息をのむ。

視線が胸を射抜いたように感じ、瞬きができなかった。


その瞬間、耳の奥で水音がひびきはじめる――。


ベネチアの古い大学の講堂。

壁に刻まれたライオンの口から、絶えず水が流れ落ちていた。


ひんやりとした石の匂い、ざらついた木の床、遠くで笑う学生の声。

すべてがいっぺんに蘇る。


あの日、壇上でのプレゼン中、ふと漏らした独り言。

拾われたマイク。拡声された言葉。


“Glasses are a part of my face... I wish to enter a hole... I desire rice with raw egg. Correction: fermented soybeans.”


(メガネは顔の一部。卵かけご飯が食べたい…いや、納豆ご飯も。)


会場がざわめき、国際色豊かな笑いが巻き起こった。


「ナマタマゴ タベル ニンゲン、イルワケナイダロウ…」


列車の揺れとともに、あのざわめきがそっと伸子の胸に重なる。


嫌な思い出のはずだったのに、

さっき響香に話したことで、ほのかな淡いいい記憶としてよみがえってくるからおかしい。


響香の、今日の小学生のような笑顔とともに、

窓の外の紺色の空の下に、秋のエスコンフィールドの庭が映るよう。


響香が言ってくれた言葉がよみがえる。

「なかなかそんな海外研修できないわよ。」


あのときもらった花束のバラ、ポンポネッラ。

今もドライフラワーになって、窓の横にかけてある。


見るたび、今は雪の下で眠る庭のバラたちを思う。


車内の揺れに合わせて、別の記憶が胸の奥へとそっと流れ込む。


水道インフラの歴史は、汽車の歴史と重なる――

汽車を走らせるには大量の水がいる。


そのために人々は石炭を掘り、そしてカナリアを連れて坑道へ入った。


汽笛の遠い残響と、カナリアのかすかな声が、耳の奥で重なった。


水を熱にかえ、蒸気にし、汽車を走らせる。

それは、つながりたいという人々の夢を運んでいた。


窓に映る自分の顔に、響香の表情が重なる。


今日の響香との会話を思い出す。

響香が幼き日見た井戸の話になった。


「それが、妙蓮寺の井戸の場所というのね。」


水道のない時代、井戸は暮らしの中心であり、語り合いの場だった。


「井戸端会議って言葉があるじゃない。

ここにも水道があったら……

この水がどこでも飲めたら……

はじめて夢を語り合った場所って、どこだろうって思わない?」


伸子は、車内に、響香の声がまだ漂っているような気がした。

そして、また、窓の外に視線を移した。


かつて遠い夢だった場所に今こうして暮らしている。


「その魔法どうやってかかるのか?」


あの問いが、伸子の心に一筋の光を灯している。


日本で起きたこの魔法を検証し、世界に紹介すること――

それこそが、日本にできる国際貢献ではないか。


「……書こう。」


列車が北広島に近づき、除雪作業の人影が一瞬、光に浮かぶ。

白銀の世界の人の営みが、まぶしく、あたたかい。


伸子は目を閉じ、揺れるリズムに合わせて静かに心で誓った。


「源流をたどるレポート」を書く、と。


地下歩道の金庫の前で(全8話 完)




◇◆◇ あとがき ◇◆◇


今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。



響香と伸子の新年会を描いた

地下歩道の金庫の前で (全8話) これでおしまいです。

響香は、かつて住んでいた 妙蓮寺への旅と。

伸子は、長旅の記憶の旅の続きへ  と。

旅というのは大袈裟ですが、物語はまだ続きます――

ご一緒できれば嬉しいです。

◇◆◇  ◇◆◇



◇◆◇

次回予告:「第50話 長旅スタート 〜伸子ひよこ、虹の輪に舞い降りる〜」

◇◆◇


作者 朧月 澪

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