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台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO  作者: 朧月 澪(おぼろづき みお)
長旅のイントロ

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第40話 ダビデとウイロウ(旅のイントロ6)

台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO

第40話 ダビデとウイロウ


◇◇◇



「ジス・イズ・キュートペン!」


──単語だけ拾う。

ソーリー、ミュージアム、バス、ペン、キュート。


(ぺん? ぺん? ……昭和のギャグ?)

(あ、そうか! ペン返してなかったんだ!)


伸子は小学生の暗唱大会みたいに、はきはきと言った。


「サンキュー! ジス・イズ・キュートペン!」


これで返却終了。胸をなでおろす……はずだった。


なのに、三重奏王子ダビデは名古屋イントネーションでじっと私の顔を見つめる。


「こまったな〜」


(え? どこで困るの? 返却したよね!?)


しかも私の顔をじっと見つめて、“次のセリフ待ち”。

思わず口から出た。


「HELP Yourself.」


(=ご自分でなんとかしてください、のつもり)

(=ご自由にどうぞ、とも取れる?)


そしたら、瞳の奥から優しさただよう笑顔と、低音のホルンのような響きで。


「いいんですか?」


(いやいやいや、そう聞かれても!)


そして手を取られて、


「あ・り・が・と・う」


(……何そのスター挨拶。紅白みたい)

――どんなときでも、ぼくはスターとしては合格だ。


そんな「ありがとう」。


(もう、さっぱりわからない。早くこの店を出よう。札張のコメダでコーヒー飲みたい)


伸子は、「グッドバイ」と言って席を立とうとした──その瞬間。


ダビデが私の腕をつかんで言った。


「お忘れですよ。大事なiPadでしょう?」


「世界最高水準のお仕事、見せていただき感謝しています。

もう少し、お仕事のお話、聞かせていただけないでしょうか?」


今度は――流ちょうな日本語で。


(え? なんで急に日本語うまいの?)


あとから聞いた話によれば、ダビデは日本のドラマ、特に時代劇が大好きで、セリフをいくつも丸暗記しているらしい。




そして、ようちゃんの助けを得て、コミュニケーションが動き出す。


ダビデが片言の日本語で口を開いた。


「僕もウイロウ、買いに行きたいです。一緒に。あなたと。」


もじゃもじゃ頭の“もじゃもじ”がにやにやしながら言う。


「いいんじゃないか。いっしょに買ってきたら。」


──二人で?

……それはもういい。一人旅は十分に満喫した。


伸子は洗面所に行き、かばんの中を探した。

ペンはやっぱりなかった。


昨日ゆっくり見られなかった水道資料館にも行こうと決める。


もう、英語はやめだ。


「郷に入っては郷に従え」


そう心でつぶやき、日本語できっぱり断ることにした。


「ごめんなさい。せっかくのお誘いだけど、今日は水道資料館に行ってから北海道に帰らなければならないんです。

ウイロウは空港で買います。あなたは名古屋の老舗で。だれかに聞けば、きっと教えてくれますよ。」


コメダ母親会談中のAとBに視線をやった。


──うまく断れたな。バトンを渡せた。


はっきり区切って、幼児でも聞き取れるくらいの速さで。

AとBも、まんざらでもない顔をしていた。

ようちゃんも、「君、なかなかやるね」と言いたげに笑っている。



……ところが、ダビデがゆっくりうなづきながら言った。


低音のあの声で。


「水道資料館、今日、閉まっとるばい。」


ゆったりとした時代劇風の日本語が、コメダのコーヒーの香りとともに店内に漂った。


そして、伸子のiPadのあるかばんを指さし、


「プリーズ・リサーチ、名古屋水道資料館。」


また、ピエロになった気がした。

せっかく日本語で堂々と断ったのに、着地に失敗。


あわててiPadを出そうとした瞬間、

自分のスマホで即座に調べたようちゃんが先に口を開いた。


「ダビデの言うとおりだ。今日は休みだよ。」


そして追い打ちの一言。


「あなた、本当に日本人?」


──まったく失礼だ。


まるで亀田課長。

仕事はできるが、ずけずけとものを言う。

いなきゃ困るけど、近くにいるのは……いやだ。


コメダのコーヒーを飲むときは、別のテーブルに座ってほしい。


そこへAが声をかけてきた。


「ウイロウのお店、案内しましょうか?」


(もういい。ピエロでいい。バトンを渡そう。席を立とう。)


「お忘れですよ。大事なiPad。」


──また、あの言葉がリフレインする。


「ありがとう。さようなら。」


三重奏王子・ダビデが、まっすぐに言った。


「ありがとう。」


伸子が「グッバイ」と言おうとしたそのとき。


目の前の状況にびっくりして、テーブルの角に足をぶつけた。


ダビデが、あの“キュンちゃんのペン”を手に持ち、ワイパーのように振っている。


(どうして、ダビデがキュンちゃんのペンを持っている?)

(なぜ、なぜ、なぜ)


──すべてのものを優しさで包む、さわやかで屈託のない笑顔。

白いシャツがよく似合う。

石けんの匂いまで届きそうだった。

それも、アラビア製の、初めて知る香り。


ダビデの手元には、伸子のキュンタちゃんのペン。


目の前の光景に気を取られたまま、伸子は立とうとした。

──そして、テーブルの角に足をぶつけた。


「いたい。」


瞬間、心臓が跳ねた。

血が一気に顔まで上るような感覚。

頭の中は、ダビデの笑顔、ペン、白いシャツ、すべてが入り混じって、混乱の渦。


またダビデが、静かに尋ねる。


「大丈夫ですか?」


(もう、大丈夫じゃない。)


「私、お手洗いに行ってきます。」


バッグもiPadもテーブルに置いたまま、さっきのトイレへ。


鏡をのぞく。

朝の自分と変わらない顔が映っていた。


「ふう……」


深呼吸。スマホを取り出す。

響香が言っていた。「朝食の写メ、送って」と。


LINEを開く。

写真がないことに気づく。


そして──あのペン。


どうしてダビデが持っているの?

どう整理してもわからない。


英語で聞くなら、どう言えばいい?

考えた瞬間、また自問迷路に入ってしまう。


──“郷に入っては郷に従え”。


背筋を伸ばした。


「……でたとこ勝負だわ。」


整理もつかないまま席へ戻る。


席はまだ空いたまま。

けれどダビデの隣には、Aが座っていた。


「いっしょにウイロウ買いに行きましょう。これも縁ですから。iPad、貸してくださる?」


断れず、「どうぞ」と差し出す。


“NOBUKO”と入った娘アレンジのカバー。

桜の模様が家紋のように品よく描かれている。


「のぶこさんっていうの?」

「はい。」

「素敵なカバー。」

「娘が作ったんです。ペットボトルのフタを溶かして。」

「まぁ、素敵な技法。工芸家?」

「いえ、幼稚園の先生です。」


ようちゃんが、わざわざ通訳している。


ダビデが言う。


「伸子の娘さんは幼稚園の先生なんだね。」


──はい、と言えばいいのに、「イエス」と答えてしまう。

またダビデのペースだ。


案の定、会話に入ってきて。


「伸子のファミリーはすごい。幼稚園の先生なら、ダイアナ妃と一緒だ。」


Bがふと思い出すように言った。


「そうだったわ。まだ17、18のころ。きれいな女王の写真、憧れてた。」


AもBも、伸子も、思い出の中へ。


「よく覚えてるな、女子は。」

ようちゃんがつぶやく。




そしてまとめにかかった。──亀田課長みたいに。


「行くの? 行かないの? どっちでもいいけど。行かないなら今すぐ手を挙げて。

1、2、3、はい、決まり。みんな行く。ここは僕がおごる。」


そう言って伝票を持ってレジへ。


AとBは躊躇したが、もじゃもじが笑って言う。


「かっこつけさせてよ。会社で自慢したいから。」


しぶしぶ、でも少し笑いながら声をそろえた。


「ごちそうさま。」


ダビデも伸子と声を合わせる。


「ごちそうさま。」


もじゃもじゃは領収書を忘れない。


「“名古屋店”って書いてよ。札幌から出張で来たんだから。」


──ほんと、亀田課長みたいだ。


法事まで経費で落とされたらたまらない。

そんなことまで考えてしまう。


そう。ペン。

キュンタちゃんのペン。


……どうしてダビデが持っているの?


返してほしい。お願い。


小走りで、少し離れたダビデの横へと急いだ。


* * *


 次話へつづく


* * *

あのペンの謎──。

どうしてダビデが持っていたのか。

伸子の胸は、まだざわざわしている。


だが、みんなでウイロウを買いに行くことになった。

えりちゃんに、ウイロウのお土産を買わなければ。


ようちゃんこと、もじゃもじゃ頭の“もじゃもじ”、

そして昨夜のコンサートの同窓生AとB。


みんなの思惑が、ひとつの冒険へと重なり合っていた。


「さあ、行こう。」


ペンの秘密も、ウイロウの旅も、まだ始まったばかり。

名古屋の小道に、伸子とダビデの小さなドラマが、ゆっくりと幕を開ける――。



次回もどうぞお楽しみに。


次話予告


第41話 ダビデ、ウイロウを買いに行く


台所で綴る報告書はなかなか進まない。

けれども、世界は少しずつ変わり続けている――。

そんな気がした。

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