第39話 視線作戦と同郷の人 ― もじゃもじ(旅のイントロ 5)
65歳の初めての一人旅。前日のコンサートの興奮でねむれなかった。素泊まりの渚ホテルをでて名古屋駅についた。人の波にながれついたのは、たしかコメダ珈琲店だった。
台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO
第39話 視線作戦と同郷の人 ― もじゃもじ(旅のイントロ 5)
1 視線作戦
まだ、もじゃもじゃ頭の彼とは視線が合わない。
「もじゃもじ、お願い。」
視線で、視線で。
◇◇◇
「北広嶋ニコニコ水道会社」視線作戦。
まず、向かいの席のえりちゃんに目を合わせる。
小刻みにうなずきながら、視線で合図を送る。
――この書類は“今”、このタイミングで部長に持っていくべきだ。
さらに視線で、「私ではなく、あなたがしたほうがいい」とも伝える。
えりちゃんは一瞬戸惑い、「私?」と小さく人差し指で自分の顔を指す。
右手の四本指を顔の前でワイパーのように振り、美しい眉間に皺を寄せた。
「違う違う。」
私は強い視線ビームで、「私よりあなた」と伝える。
えりちゃんは「しょうがないなぁ」と、しぶしぶ納得した顔をする。
部長の席の一歩手前で、彼女は女優のように最高の笑顔をつくる。
「確認のうえ、早急に押印をお願いします!」
視線作戦は、成功率が非常に高い。
私は、「部長の前だと、いつも素晴らしい笑顔ですね」と言えばいい。
上級作戦では、さらにえりちゃんに目配せして、次に書類を回す上司を示す。
すると、えりちゃんはすぐに理解し、笑顔のまま言った。
「カレダ次長にばれたら困りますから、目を皿のようにして確認して、印鑑くださいね。」
視線で伝わる連携。
それが「北広嶋ニコニコ水道会社」視線作戦の真骨頂だった。
2 名古屋コメダの回想
その視線の合図作戦・基本編を、見知らぬ同郷の彼に試してみた。
もじゃもじゃ頭の彼に、細かな笑顔と最強の困った顔を交え、
最後の視線ビームを送る。
すると――あった。
向かいの同郷のもじゃもじゃ頭の彼と、ついに視線が合った。
彼はまるで神のように、すっと私の隣に立ち、
「なにかお手伝いできますか?」と、英語でダビデに声をかけた。
“MAY I HELP YOU?”
そう、彼は堂々と立ってくれた。(同郷の神様、頼りになります)
私は心の中で精一杯、感謝した。
ダビデは流ちょうな英語で自己紹介すると、
もじゃもじゃの彼はうなずき、聞き取れたかのような顔をしていた。
軽く右手を上下させ、
「よう。」
――といった。
この私の救いの神は、どうやら「よう」と名乗ったようだ。
決め顔でダビデを見つめる。
三重奏王子・ダビデは、ホルンのような声でゆっくり、
「ようちゃん。」
と呼んだ。
ようちゃんの英語力はわからない。
けれど、コミュニティ力はすごい。
三重奏王子とようちゃんは、すぐに打ち解けた。
ふたりは、このコメダにかかる曲に、どちらも思い出があるらしい。
音楽の話で盛り上がっていた。
ようちゃんは、「僕にあとは任せて、レジで会計して、席を立っていいよ」と、目で合図してきた。
けれど伸子は、このようちゃんとダビデの話を、
この席で、もう少しだけ見ていたかった。
この特等席で。
他の女性客も、この特等席に座りたそうな顔をしていたけれど、
伸子は譲りたくなかった。
ぴーちくコメダ母親会談のAとBも、見守っている。
伸子はようちゃんに、「いいの。まだ十分時間あるから」と、
さっきとは違う、別の視線の合図を送った。
ようちゃんは、「君、ずいぶん勝手だな」と言いたげな顔をした。
音楽の話がさらに盛り上がる。
昨日は桑田さんのコンサートに行ってきた、素晴らしかった――と、
つたない英語で伸子が話した。
ますます会話が弾む。
三重奏王子ダビデは、「愛しのエリー」を小声で歌い、
「最初のフレーズが世界に愛されるわけだ」と語った。
ダビデの声が、コメダの空気にゆっくりと溶けていく。
コーヒーの香りの中で、伸子の心も静かにとろけていった。
* * *
次話へつづく
* * *
◇◆◇ あとがき ◇◆◇
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次回予告:「第40話 ダビデとウイロウ」
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作者 朧月 澪 (おぼろづき みお)




