第38話 リフレインばかり(旅のイントロ4)
台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO
第38話 リフレインばかり (旅のイントロ 4)
――名古屋のコメダにて
1 胆振地震の回想
なぜだろう、このコメダに座わると、あの日の地震のことが甦る。
ようやく地震対応の務めを終えた後輩、えりちゃんと口にしたデザートの味。
冷たきクリームの上に、常温のエンジのサクランボがひとつ――。
その下には、ほかほかと湯気を立てる、表面パリパリ中がふわふわのパン。
「縣さん、おいしいでしょ?」
ブラックアウトの夜。冷蔵庫の中身は家族に任せた。
夫はアイスを食べすぎてお腹を壊し、二歳になったばかりの凛は、初めて「アイスの味」を覚えた。
凛は、今でもアイスといえばスイカ味。
ホワイトボードの裏面までぎっしりと書き込まれた事務室。
停電の中、えりちゃんが帰ってきた。
「えりちゃん、帰ったんじゃなかったの?」
「セイコマでやっと買えました。縣さん、亀田部長どうぞ。」
「悪いな……」
「セイコマ、やってるの?」
「白おにぎりだけですけど」
「うまいな。」
北海道地元コンビニが自家発電で炊いたという白おにぎり。
すでに、冷めた具のないおにぎりが、神様の味に思えた。
あのとき、全道の電気が戻り、亀田課長の二度目の「うまいな」を聞いたのは――いったい何時間後だっただろう。
愛用のマグカップにそそがれたインスタントコーヒーの湯気が、今も脳裏に残っている。
2 ダビデとの会話
“This is delicious!”
「これはおいしいね」
“You come here many times?”
「よく来るの?」
“Sometimes. My hometown.”
「どこから?」
“Near Sapporo, in Hokkaido.”
「Oh! I go to Hokkaido soon. Do you know good souvenir?”
“If you want to buy a gift from Hokkaido, I think Rokkatei’s sweets are nice. The wrapping paper is pretty, too. I heard it was drawn by the nephew of Sakamoto Ryoma. Do you know Ryoma?”
(もし北海道のお土産を買うなら、六花亭がおすすめ。包装紙も素敵。坂本龍馬の甥が描いたんですよ。龍馬、知ってますか?)
「1, 2, 3, 4, 5, 6, 7……Oh? That’s more than six! Isn’t that funny?」
「わん、あやめ、つー、えぞりんどう。」
「おっけー」
「えぞりんどう? What?」
「えぞ=北海道、りんどう=りんどう」
「おういえー」
伸子は笑いながら言った。
「にりんそうは北海道大学にきっと咲いているわ。Example、北海道ユニバース」
そのとき、斜め前の席の“もじゃもじ”――後に「ようちゃん」と呼ぶことになる彼――が、
六花亭の袋をこちらに見えるように置きなおした。
くすくすと笑っている。
「えぞとりかぶと」は毒があると、伸子はジェスチャーで説明した。
坂本龍馬の話もした。この絵を描いたのは龍馬の甥だと。
もじゃもじが首をかしげるのを見て、甥という単語に自信をなくし、あわてて「ファミリー」と言い足した。
「Do you know 龍馬?」と尋ねると、会話はますますダビデのペースになる。
しかも、次の瞬間、流暢な日本語がこぼれた。
Sakamoto Ryoma worked hard to help form the Satchō Alliance…
「坂本龍馬は、薩摩藩と長州藩の同盟――薩長同盟の成立に尽力しました。
この二つの勢力は最初、敵同士でしたが、龍馬は調停役として働き、
協力して徳川幕府に立ち向かうよう助けました。」
その低くつややかな声は、まるで夜の海に響くホルンのようだった。
(……あなたは龍馬? 違う、あなたはダビデ。数年前の『龍馬伝』を思い出す……)
そして彼は静かに言った。
「ドラゴンホース。龍馬イズ、ドラゴンホース。」
その瞬間、三重奏の音のように、コメダの空気が揺れた。
伸子の息を奪うような、爽やかな笑顔と余裕の腕組み。
もじゃもじは、まだ視線を合わせない。
3 名古屋のコメダ ― リフレインの午後
店内には、英語でも日本語でもない歌が流れている。
(リフレイン――やっぱりコメダだ)
ダビデと伸子の会話が続く中、
斜め前の“もじゃもじ”が、六花亭の紙袋を机の上に置きなおした。
(あっ……動いた。しかも、袋をわざわざ私に見えるように。
やっぱり気づいてる。気づいてるけど――目は合わせないんだね?)
「えぞ……とりかぶと?」
「プワズン」
(両手で毒を示すような仕草)
「Yes, poison. Dangerous flower.」
(……ああもう、なんで私、必死に毒草の説明してるのよ。もじゃもじ、助けてよ!)
もじゃもじが、くすっと笑った。
「……あるあるだなあ」
(聞こえた! やっぱり同郷の人だ!
でも、どうして話しかけてくれないの? こっちは必死なのに!)
ダビデは真面目な顔で数を数える。
「Rokka means six flowers, yes? But… seven flowers?」
「……That’s funny, isn’t it?」
もじゃもじが、袋を指で軽く叩いた。
「六花……六だけど、七、八、九と描いてあるよな、たしかに」
(ああ、やっぱり! 同郷の証拠だよ! ほら、やっぱり目が合わない! でも、笑ってる。笑ってるけど――)
ダビデが低く言った。
「Sakamoto Ryoma… Dragon Horse!」
(……あなたは龍馬? 違う、あなたはダビデ。
目の前のもじゃもじ、あなたも英語できそうじゃない……会話に入ってよ)
(がんばれや、道産子の姉ちゃん。俺は見てるぞ……でも今は、まだ出番じゃない。)
六花亭の紙袋が、静かに押しやられる。
その音だけが、コメダの時間を分けた。
「Okay? You tell me more about Hokkaido flowers?」
とダビデ。
伸子は思わず笑う。
その瞬間、もじゃもじの肩も小さく揺れた。
視線は、まだ交わらないまま――。
* * *
次話へつづく
* * *
次回――
まだ、視線が合わない。
けれど、心のどこかで、もう始まっていたのかもしれない。
名古屋のカフェのざわめきの中、
「もじゃもじ」と呼ばれる彼との、奇妙でやさしい作戦が動き出す。
台所でせかいをかえる
第39話 視線作戦と同郷の人 ― もじゃもじ(旅のイントロ5)




