第32話(プロローグ) 長旅の序章──ガラスのトナカイと100万年の幸せ
◇◆◇ 前書き ◇◆◇
「虹の輪」――その言葉が、伸子のドラマにかかったのは、名古屋だった。
報告書には、こう書いた。「きっかけは、おととしの秋、名古屋の水道局の資料館に行ったことだった。」
そう書いたけれども、実は、、、。
台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO
第32話 長旅の序章──ガラスのトナカイと100万年の幸せ
【1】2022年・秋の名古屋 ― 初めての一人旅
思い出す。
2022年11月21日――名古屋。
その旅は、伸子にとって「長旅」のほんの序章にすぎなかったのかもしれない。
少しの不安と、それを上回る期待が胸に膨らんでいた。
その一日は、「65歳の特別な一日」として、深く刻まれた。
長女が手配してくれた飛行機のチケットを手に、心の中で何度も感謝した。
「お母さん、好きなことをしなよ。」
そのひと言が、背中を押す風のように心を吹き抜けていった。
千歳空港で働く長女・加奈。
彼女の「いってらっしゃい」のひと言が、搭乗前の待合席で何度も思い出された。
ゲート10の待合席に早めに腰を下ろし、思いのほか時間が余る。
「イヤホン、持ってくればよかった……。あんなにシミュレーションしたのに。」
名古屋空港に降り立ち、一人で歩く名古屋の街の音に、胸の鼓動が重なっていく。
名古屋城の「金鯱の間」に足を踏み入れた瞬間の、あの沈黙。
天井一面に広がる金の絵が、異世界への入口のようだった。
人生さえ、一瞬忘れてしまいそうだった。
イヤホンを忘れたことを悔いたのは、あの待合席だけだった。
名古屋城をあとにし、江戸の面影を残す静かな町並み、四間道へと足を向けた。
木造の建物、白壁が並ぶ。
ゆっくりと、時間が巻き戻っていくような感覚に包まれた。
【2】四間道のトナカイと「100万年の幸せ!!」
四間道を歩いていて、ふと立ち寄ったガラス工芸店。
光を浴びて輝くガラス細工の中に、伸子の目は釘づけになる。
――小さな、ガラスのトナカイ。
冬の訪れを知らせるようなその姿に、心があたたかくなる。
「これ、響香にぴったりかも」と、伸子は思いながら手に取った。
かつて、娘たちと一緒に訪れたサザンのコンサートを思い出す。
響香も誘ったあの日。あの時間は、まるでガラスのように、透き通っていた。
日没後、名古屋のバンテリンドーム ナゴヤ(旧ナゴヤドーム)へ。
この夜は、娘たちもいない。はじめての「ひとりでのコンサート」。
ステージに光が差し、音があふれた。
「お互い元気に頑張りましょう!」
その言葉を、全身で受け止める。
そして翌朝。
枕元にそっと置いていたガラスのトナカイの中に、小さな虹を見つけた。
その瞬間、心がそっと揺れた。
箱に戻し、カバンにしまった。
「響香とともに、また開けよう。」
箱とともに渚ホテルを出たその瞬間から、何かが静かに動きはじめた。
恋をしたわけじゃない。でも、あれは――恋だった。
人にでもなく、物語にでもなく、
この地球に恋をしたような旅。
「白い恋人達」に続いたコンサートのラストは、「100万年の幸せ!!」だった。
未来への旋律が会場を包み、胸にはやわらかな幸福の余韻が残った。
その余韻を抱いたまま、
伸子の新しい章は、名古屋駅の人波のなかで静かに幕を開けた。
* * *
次話へつづく
* * *
◇◆◇ あとがき ◇◆◇
「長旅のはじまり」は、光でも風でもなく、
たぶん——あのトナカイのきらめきだったのかもしれない。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
また次話で、お会いできましたらうれしいです。
◇◆◇ 次回予告 ◇◆◇
第33話 波に委ねて──名古屋駅の朝(長旅のスイッチ1)
―― 朧月 澪




