表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO  作者: 朧月 澪(おぼろづき みお)
スマホの夜会

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/106

スマホの夜会(第一夜)

「もっと、おとうさんのはなしをきかせて、じゅういさん。」


伸子は、そっとささやいた。


台所には、記憶の匂いが残っている。

食器が触れ合う音、缶を開ける小さな音、

遠くから聞こえてくる「おやすみ」の声。



湯飲みひとつからよみがえる会話、

記憶の中で、いまも道案内をしてくれているような存在。


誰かと語りたくなる夜。

あるいは、ふと誰かを思い出したい夜。


そんなとき──

通りかかった人も

そっと、この話の輪にはいってくれたら嬉しい。


台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO

     スマホの夜会(第一夜)


1 うさぎのカップ


冬の気配が、まだ言葉にならないまま空気にまじっていた。


響香の前には、湯気をゆらす湯飲みと、冷たい酎ハイの缶。

あたたかさと冷たさ──そのちぐはぐさが、今夜はなぜか心地よい。


湯飲みには、煙突から細い煙をのぼらせる小さな家が描かれている。

その前では、マフラーを巻いた二匹のウサギが、テーブルをはさんで向かい合っていた。


湯気がゆらぐたび、

絵の中の小さな煙までも、ほんの少し揺れたように見える。


カラン──。


「……このカップ、伸子にもらったんだったね」


声が空気に落ちると同時に、

視線は、湯飲みの青い線へと吸い寄せられた。


「札幌のチカホを歩いてたとき、ふたりで、あの作家さんに出会ったんだよね」


白い磁器に染み込んだ青い線が、冬の空気のように静かに揺れていた。

それを見つめながら、響香は胸の奥の寒さをひとつ手放すように息をつく。


2 ひつじのうわごと


伸子が、少しスマホから離れる気配がした。

響香は、ひとりごとをスマホにそっと語りかける。


「イノシシはね、本当にヒツジのことを可愛いと思ってた。

もちろん、鳥や馬のことも大切にしてたけど」


「ヒツジが困っていたら、席をひとつ空けて

『こっちにおいで』って言える人だったの」


「……でも、心配していたのは、いつも鳥や馬のことばかり」


「ヒツジが本当に困ったときだけ、一緒になって考えてくれた。

でも、そんな話をしたら鳥も馬もきっと言うのよ」


『いつもヒツジのことばかりじゃないか』


「……それでもイノシシは何も言わなかった。ただ前を見て、狩りをしてたの」


扉の向こうから、家族の「おやすみ」という声がかすかに聞こえる。


「お酒、持ってきたわ。お待たせ」


伸子が戻ってきた。


3 車の思い出


「子どものころは車酔いばかりで、遠足も苦い思い出だったな」


幼い筆跡で「上野響香」と書かれた、

上野公園の社会学習のしおり。

坂の上では、銅像の西郷さんが犬を連れて立っていた。


『うえの、うえのだぜ!

お前、酔ってんじゃねーの?

げろげろの香りなんて、えんがちょ!』


「……あれ、誰だったかしら。

後ろのエンドウ?」


場面は台所に戻り、

伸子が小さく笑った。


「ふふっ、そんなことまで覚えてるのね」


「名前も、画数が多すぎて。

小学校では一番最後まで書けなかった」


「でも、みんな“きょんきょん”って呼んでたんでしょ?」


響香は目を細め、

少し照れたような声になる。


「そう。本物のキョンキョンが出てきてからは、誰も呼ばなくなった。

父まで。

……ほんとは、私が初代きょんきょんなのに」


その言葉に、伸子がゆるく笑い、

湯飲みの湯気が静かに上へとのぼっていく。


冬の夜に、

ふたりの笑い声が少しだけ温度を上げた。



4 じゅういの七大不思議


響香はダイニングテーブルに腰をおろし、

湯呑みに描かれたうさぎたちを両手でそっと包んだ。


ふと奥の和室に目を向ける。

灯りを落とした部屋で、額に入った父の似顔絵が

にやけているように見えた。


その視線を胸の奥にそっと落とし込み、

彼女はスマホへ向き直って語り出した。


「父はね、いつも狩りをしてた。

イノシシみたいに──十の牙を持って」


「十の牙?」

伸子が、ゆっくり聞き返す。


響香は照れたように目を細めた。


「そう。“十猪じゅうい”。

母が笑いながら数えていた、父の七不思議のひとつ」


その言葉に呼応するように、

画面の奥がゆるく滲む。


──休日に、からんと音を立てる下駄を履いて歩く父。

──傘をなくすからと、母が「上野十猪」と白書きした傘。

──中東に持っていった、薄緑のスーツケース。


どれも古いフィルムのように色褪せて、

しかし不思議な温度を宿したまま浮かび上がる。


「父は、一切メモを取らなかったんだって。

予定も番号も、全部覚えてたの」


伸子が息をのむ気配。


「それはすごいわね」


「そうでしょ?」


響香の語る声の向こうに、

“記憶だけを道しるべに歩く男”の背中が、静かに映る。


「まるで体の中に、カレンダーが入ってるみたいね」


響香は肩をすくめ、

少しだけ寂しさを紛らわせるように笑った。


「娘の私は、主人の番号ひとつも覚えられないのに」


伸子がやわらかく息をもらす。


「それが普通よ。スマホがなかったら、

わたしだって何ひとつ思い出せないわ」


その笑いは、湯飲みの湯気のようにふわりと広がり、

冬の台所の灯りがまた少し、温度を取り戻した。


5 中東を駆け巡る父

 

響香はスマホを手にしたまま2階へ上がり、視線を窓の外へ漂わせた。

冬の空は淡く白み、公園のオレンジの街灯が、舞い降りる雪をひとつひとつ金色に照らしていた。


「40代のころ、父は中東を飛び回ってたの。

でも、そんなにさみしいとは、思わなかった。

ただ、ハイジャックのニュースが流れるたびに、

知覧のおばあちゃんから黒電話がかかってきたのは覚えてる」


スマホの向こうで、伸子の息づかいがかすかに聞こえた。


「ホテルで、枕元でスーツケースを切られたって話もあったわね」


声が途切れるたび、映像が浮かぶ──

砂漠を背景にしたホテル、重い扉の音、閉まったスーツケースの金具の光。


「羽田に迎えに行っても、『おかえり』さえ言えなかったけど……

お土産だけは、必ず持って帰ってきた」


ピスタチオの缶。

小さな人形。


ピラミッドの前で、ラクダに乗る父の写真。

砂漠も、ピラミッドも、ラクダも──すべてが、あのとき初めて目にしたものだった。

まるで映画のワンシーンの中に父が生きているようで、冷たい風と砂の匂いまで、幼い響香の胸に焼き付いた。


静かな冬の夜の中で、響香はひとつひとつをそっと思い出す。

長旅を終えた伸子の語らいがあったおかげで、記憶の中で父はまだ旅を続けているように感じられた。


6 グーグルナビを内蔵した父


響香はスマホを手に、今度は娘の使っていた学習机に腰を下ろす。

「父はね、地図なんていらなかったの。一度通れば、忘れない人だったの」

伸子の声が、かすかに重なり、響香の胸の奥に柔らかく響く。

「246とか横切って、だれもしらない網目の道を、するするといくのよ」

「まるで、グーグルナビを内蔵してるみたいね」


春の横浜の街。三回忌に向かう車の中、ナビの声が父の記憶をなぞるように曲がり角を告げる。

思わず、車中のみんなで笑ってしまった。


「それ、きっとお父さんが運転してたのよ」

心の中で、父はまだ車のハンドルを握り、春の街を自由に駆けているようだった。


7 寿司屋「タフ」へ


「グーグルナビが父みたいだねって笑ったとき、偶然着いた回転寿司屋が、私の手帳に書いてあったお店だったの」

「どんなお店?」

「テレビで見た『タフ』っていうお店よ」

「横浜に行くとき、行ってみようかしら。メモしておくわ」

「そう、あざみ野の駅前。けっこう混むけどね」


冬の光が差し込む窓の外、伸子の声と響香の笑いが静かに重なる。

父の記憶と、時を超えた糸がそっとつながっていく。

響香は、スマホをそっと胸に引き寄せた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ