第30話 ザ・シークレットアイス ― おとうさんがくれた地図
台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO
第30話 ザ・シークレットアイス ― おとうさんがくれた地図
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アイスのマークのあとに、いつのまにか響香からLINEが届いていた。
「夜のアイスって、クセになりそう。クセになったら、きっとやめられない。
……でも、こないだ、こっそりひとりで食べたの。小雪だいふく。2つ入りの、両方とも(笑)」
◇
伸子はチューハイと、持ち帰ったピスタチオの缶を机に置いた。
その横には、ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』。
日本ではあまり知られていないかもしれないが、この本は2006年、アメリカで出版された自己啓発書だ。
◇
世界的なベストセラーで、中心は“引き寄せの法則”。
願えば叶うっていう、ちょっと不思議で、でも力強い考え方。
――ポジティブな思考は現実を変える。
思考はエネルギーで、願いは紙に書けば叶う。
とてもシンプルで、力強い理論。
まるで、大谷翔平が実践しているようなことだな、と伸子は思った。
◇
そのとき、スピーカーから響香の声が流れてきた。
「伸子さんからもらった本、覚えてる? ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』」
「うん。あれに願いを書いたの。父の闘病中に」
「……家族みんなで、旅行に行きたいって。富士山、見に、みんなと」
「そっか……」
◇
伸子は、おととしの四十九日にもコロナで参加できなかった響香のことを思い出していた。
あのとき、声が沈んでいた。
その響香が今、こうして話していること――それだけで胸が熱くなる。
◇
「叶ったの。旅行、行けたの。
夢みたいだった。あのときだけ、時間が戻ったみたいで。
伝えなきゃって思って……伸子さんに」
響香の声が、ほんの少しだけ震えていた。
◇
「会いたいって思ったら、会えちゃったんだよね、伸子さんにも」
その言葉には、ためらいが混ざっていた。
なぜなら、本当は――お父さんはもう、いないのだから。
◇
旅行には、母と弟、そして響香と夫が同行した。
けれど、どうしても“そこにいる”気がしたのだという。お父さんが。
ステテコが似合って、猪みたいに野生的で。
でも記憶力や方向感覚は抜群で、まるで動物の本能みたいだった。
だからなのか、今でもその存在を、ふと感じる瞬間があるという。
◇
「最後の“出来事”はね……iPad」
旅行のあと、富士山麓のコテージに忘れていたiPadが、戻ってきた。
中には、お父さんの写真がたっぷり。
グーグルフォト 「うえのじゅうい 思い出」
しかも、GPS機能のおかげで、iPadの旅路がまるで地図のように追えたらしい。
トラックに揺られ、飛行機に乗り、また別のトラックに――。
その一部始終が、自宅のパソコンに映し出されたという。
まるで、父が“余計に一泊した旅”の奇跡のようだった。
◇
「……ほんとうにね、願えば叶うのね」
「本当に、あの本が私の人生を変えてくれた。ありがとう」
電話越しの響香は、涙をぬぐっているような声だった。
長い、長い沈黙のような間。
でも、その間にも、すべてが語られていた。
◇
もし『ザ・シークレット』の著者がこの話を聞いたなら。
響香がこの本と出会い、信じ、そして実際に願いを叶えた――
その一部始終は、世界中の自己啓発運動のなかでも、
きっと象徴的な出来事になるに違いない。
そんなふうに、伸子は思った。
◇
響香のアイスの話は、まだ続いた。
「大好きなアイス、ずーっと冷蔵庫にいれて続けていたかった」
◇
* * *
次話へつづく
* * *
◇◆◇ あとがき ◇◆◇
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
また次話で、お会いできましたらうれしいです。
◇◆◇
―― 朧月 澪




