第26話《挿話》にんぎょひめ ― ひと晩、孫の凛と語る物語 ―
ひと晩、眠れぬ凛に語った“人魚姫”のお話。
伸子の胸に残る想いと、孫への小さな祈りの物語です。
伸子は、長旅から帰ってきました。
遠い異国の話を凛にしようかと思ったけれど、自然と出てきたのは、「人魚姫」でした。
お布団の中は暖かい海のよう。
でも、やっぱり、この話は少し、さみしいお話……。
台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO
《挿話》にんぎょひめ ― ひと晩、孫の凛と語る物語 ―
「お話して、お話、お話」
凛ちゃんは布団に入ると、伸子にお話をせがみました。
「人魚姫は声を失い、王子のそばで生きることを選んだの」
伸子は人差し指を唇にあて、そっと凛を見ます。
凛は人形姫のように口を閉じ、聞き入っています。
「人魚姫は、言葉ではなく心で伝える方法を学んだの。
優しさや笑顔、深い想いが、王子の心を少しずつ動かしていったの。
王子は気づいたのよ。
本当に大切にしたいのは、この声なき愛を捧げる人魚姫だって。
でも、彼は国を守らなければならない立場。
二人のことを秘密にする決断をしたの」
凛は人魚姫になりきり、何も言わず伸子に体を寄せました。
「でも、それを知った国の数人は、かれらをせめるでしょう。
この二人を守ろうとした人も、せめられるでしょう。
現実的に考えると、そんな状況は避けられなかった。
秘密が明るみに出たとき、二人に石を投げる人、彼らを守ろうとした人たちもまた、たくさんの人の厳しい目にさらされることになるでしょう。
それが、人間社会の難しさね。」
凛はさらに伸子に近づき、顔をうずめました。
「でも、そんな中で、人魚姫と王子を守ろうとする人たちが希望をくれるの。
石を投げられることを覚悟して守る――
それが王子と人魚姫、お城への愛や信念のすごさを伝えるの。
少数派でも、『理解しようとする心』が確かにあるのね。
それが物語のハートなの」
凛は伸子の手を握りました。
「このお話を守るには、ふじのすそのにでも埋めましょう、と誰かが言ったのね。
富士山のすそのという場所は、自然の中でもとても神様が住んでいる美しい場所。
そこに『人魚姫』のお話を埋めるというのは、まるでその物語を日本の地にずっと、誰かの心の中で生き続けてね、ということなの」
「富士山のすそに物語を埋めることで、切なくも美しい『人魚姫』の物語が大地に溶け込み、そこから新しい芽が出るの。
その芽は、新しい希望やハートの形をあらわすの。
だけれども、この芽は、そうたやすくは出ないのね。
話を埋めても、まだ、かれらに石を投げる人はいるのね」
お話をハッピーエンドにするには、多くのむずくしさが、あるのね。
「石を投げる人も、自分なりに正しいと思って投げるの。
大切な人を守ろうとする気持ちと重なることもあるのね。
だから、人魚姫は、せっかく覚えた言葉も失ってしまうことになる」
王子も支えた人も、今までの汗も涙も投げ出しました。
そして、この話の海を海に出せと言われ、とうとう富士山も海に沈んでいくのでした。」
◇◇◇
人魚姫の歌
どうして、どうして、また会いたいなんて言ってしまったのだろう?
会えればいいと思っていたのに…
どうして、どうして、ノックなんてしてしまっただろう?
いいおとなだってことは知っているのに。
知っていて、私はノックしているのに
あなたはノックがあったといえばいいのに
どうして、どうして言わないの?
あなたのそんなやさしさが
こんなことになることは
みんな知っていたのに
どうして、どうして、父でもないあなたが
ちゃんちゃらおかしいと、石を受けるの?
この国のコンプライアンス、わたしはわからない
うみのおとにしかきこえない
だけど、あなたのこえはきこえるのよ
ほんとなのよ ざわざわざわ、さらさらさらら、
いつかには、きっとくるの。ざわざわざわ、さらさらさら。
◇◇◇
ラジオから、同じ歌が流れだしました。
「さて、人魚姫の物語の芽は出ると思う?」
伸子「おしまい」
凛「めでたし、めでたしの話がよかったなのに」
伸子「この話は、これからめでたし、めでたしになるのよ。一応だけどね」
凛「聞かせて。眠れないもの。可哀想で。
昔の世界に行っても、王子様も見つけられない。
今も、お友達の家にノックもできない」
伸子は、あわてて言いました。
「あっ。そこまで考えなかったの。ごめんね。
でも、それがね、人魚姫、いたのよ。王子の国の、王子の近くに、ずっと前から。」
伸子は少し声を落として、凛に語ります。
「その人魚姫、お城でいつも働いていてね。
だから、王子の近くで働く人たちは、彼女のことをよく知っていたのよ。
だけど、このお姫さま――じゃなくて、王子の想い人になりそうな人――大変なことになるでしょ?
少なくとも、今は。だから、この城の元国王が、
『そんなこと言ったら、みんな追放だぞ』みたいなこと、言っちゃったのよ。
あとから、なんでそんなこと言ったかなあって頭かかえるんだけどね、まあ……」
伸子は肩をすくめて笑いました。
「でもね、王子や元国王や城の中のみんなが、ありったけの知恵を使って城を守るの。
もう城は、外国からもいっぱい石を投げられて、王子は仲間たちとカラオケボックスでかくれたり、あの手この手で、ひっちゃかめっちゃかになりながらも、ぎりぎりで富士山と人魚姫のお話を守るの。」
凛の目がきらきら光ります。
「王子たちは、歌っているふりをしてマイクを回していたけれど、実は作戦会議なの。
そんなときに、本当に素敵な替え歌なんかができたりしてね。
たくさん歌っているうちに、どっちが本当の歌詞かわからなくなったり、逃げることさえ忘れて大笑いしたり。
そうそう、お話を埋めるときには、お城の花瓶に飾ってある青いガーベラも一緒に埋めたのよ。
だから、いつか富士の裾野には青いガーベラが咲くんだって。
そんな歌と笑い声が、外の冷たい夜風まであたためるみたいで、
あ、まだ大丈夫、って人魚姫も思えたの。」
「あれ、凛、寝ちゃった?」
「このえちゃんち、ノックして、人魚姫の話を教えてあげるよ」
「おやすみ、凛」
凛の寝顔があまりにかわいくて、
このまま朝まで起きて見ていたい――
そんな気さえした。
けれど、部屋の灯りが落ちていくように、
静かな闇の中で、伸子の魂も人魚姫の物語へと溶けるように沈んでいき、
そっと眠りについた。
おしまい
* * *
次話へつづく
* * *
後書き
最後まで読んでくださりありがとうございます。
読んでくださる方がいて、富士山の裾野にそっと埋められた人魚姫の物語は、小さな芽を出すのだと思います。
そんな芽が出たとしたら、どんなに愛おしいことでしょう。
手を止めてくれたあなたに感謝です。
次話「第27話 凛の誕生日会①〜謎のレシピの答え」




