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台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO  作者: 朧月 澪(おぼろづき みお)
左ウインカーをいく伸子

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第22話 静けさのアイス 

台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO

第22話 静けさのアイス 


「お母さん、エルコンフィールドのガーデン、まだ行ってないでしょ?」


「うん。忙しくてね。でも、頭を整理してから行こうと思ってるの」


「ほんとにもう……また冬になって、春にどっか行かないでよ」


娘の口調は、相変わらずきびしい。

でも、その奥にある凛の可愛さを思うと、胸の奥がほのかに温かくなる。

今日もまた、娘に感謝した。


凛と未希が帰ったあとの部屋は、急に音が消えたように静かだった。

伸子はソファに腰をおろし、スマホを手にする。「着いたよ」という短いLINEが届くかもしれない――そんな期待とともに。


未希の家までは車なら三十分ほどの距離なのに、今日は不思議と遠く感じられた。久しぶりに会ったからだろうか。


さっき庭の〈アンジェラ〉の前で撮った写真を見返すと、続けて動画が流れ出す。


「スキップ見てみて!」

「炊飯器のごはん、炊けてるぞー!」


窓越しにかけられた声まで入っていた。

画面の中の凛は、いつのまにか背が伸び、すっかり“少女”の動きをしていた。


伸子の心はじんわりと温まっていく。

凛のスキップ。自転車。探検旅行。

どれも、胸にしまっておきたくなる時間だった。


今日こそ家族に旅の話をしようと思っていたのに、結局話せずじまいだった。

エルコンまでの帰り道は、行きよりもずっと長く感じられた。

車で行けば、歌の二コーラス分ほどの距離だ。

けれど、凛と自転車を押して歩いた時間は、時代を越えて城へ向かう旅のようにゆっくりだった。


帰宅すると、部屋の寒さがひどく際立った。

ストーブをつけようとした瞬間、夫がぽつりと言う。


「今シーズン、初めてだな。」


カチカチ、とスイッチが響く。

煙突式ファンヒーターのオレンジ色がほのかに灯り、家族がその光を囲むのは、案外これが初めてかもしれない。


「私にやらせて。スタート、ここでしょ?」


六歳の凛が、やりたいと手を伸ばす。

買ってきたアイスを冷凍庫にしまい、三人と一人の視線が、その小さな指先に集まった。

カチッ――。

たかがストーブのスイッチなのに、どこか記念点灯式のように思えた。ここから、冬が始まる。


未希の家はオールファーヒーティングで、火の色がない。

だから、この「火のある暖かさ」は新鮮だったのだろう。

凛がじっと見つめて言う。


「めっちゃ、あったかい」

「ちかづきすぎよ」


ストーブの中央が、ゆっくりとオレンジ色に光り出す。

煙突に向かって息を吹き返すように、部屋がじわりと暖まっていく。


「ストーブさん、生き物みたいだね」


夫が応じる。

「ああ、酸素を吸って、二酸化炭素を吐くから、そうかもな」


その横顔は、白髪が増え、いつのまにか“女の園”に自然に入ってくるようになった人の顔だった。


「ぞうさんみたいだね」

凛が首をかしげる。「お鼻がのびてるでしょ。大きくて、あったかくて……ストーブぞうさん」


未希が笑いながらうなずく。

空気がやわらかく揺れた。


「この前、めだかでおせんべ焼けたよ」

凛の話はまた突然、別の場所へ飛ぶ。

その右手が伸子と未希の手を順に触れ、最後に伸子の手で止まった。


「おせんべ焼けたよ〜♬」


懐かしさが胸に広がる。

「昔のストーブはね……」と話しはじめたところで、凛がくるりと冷蔵庫へ向かう。


「アイス、食べなきゃ!」


栗味の最中アイスは驚くほどおいしかった。

さっきおせんべを触った手で食べるからなおさらだったのかもしれない。

部屋に漂うターメリックの香りと、アイスの甘さが不思議とよく合っていた。


エルコンフィールドの新球場でアイスを食べる予定もあったけれど、今日のコンビニアイスで十分に感じられた幸せ。

日本のコンビニアイスはすごい。

パッケージの隅にまで、選び抜いた美学の匂いがする。


凛がすすめてくれたすいかのアイスにも惹かれたが、結局べつのものを選んだ。

そのとき、海外のショーウィンドウで見かけた「日本のアイス」を思い出し、信じられない価格に驚いた記憶がよみがえる。


写真に残そうかと思ったが、やめた。

例の“呪文”――

「このプロジェクトで知り得た情報は、いかなるものも外部に漏らさぬこと」

その文言が胸の奥に重く沈んでいたからだ。


リビングの電気をつけずにソファに座る。

暗闇は思いのほかやさしく、体を包む。


――そうだ。夫のアイス、まだ残っていたはず。

「食べちゃおうかな」

冷凍庫から取り出したとたん、ふっと微笑んだ。

やっぱり、日本のアイスは世界一だ。


少し早いけれど、暖房をつけておいてよかった。

そのぬくもりの中で、響香の声がよみがえる。


「北海道に来た当時、真冬にTシャツでアイスを食べてるの、びっくりした〜」


その笑顔が、昨日のことのように浮かんだ。

秋の夜。ほんのり暖かい部屋で食べるアイスは、小さな極楽だ。


時計は夜の八時を回っていたが、思い切ってLINEを開く。

凛と作ったカタール料理の試作品の写真を添え、響香へメッセージを送った。


「昨日は本当に楽しかった!

お父様のレシピ、さっそく試してみたけど、とても美味しかったよ。

異国のレシピにあなたの名前が入ると、なんだかお父様のダンディさがそのまま出て、まるでアラビアンナイトみたいだね。」


驚くほど早く返信が届く。


「とんでもない。

うちの父はイノシシよ。ダンディなんて微塵もない、本当にイノシシみたいな人だったの」


スマホの画面が台所の蛍光灯に照らされ、並んでいたのは――十頭のイノシシのスタンプ。

思わず声を立てて笑ってしまう。


静かな夜に、小さな笑みが灯った。


第22話 おしまい


* * *


 次話へつづく


* * *

◇◆◇ あとがき ◇◆◇

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

また次話で、お会いできましたらうれしいです。

◇◆◇

次回予告:「第23話 アイスの最後の一口」

◇◆◇

―― 朧月おぼろづき みお

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