第18話 旅のイントロ 左ウインカー
秋の夕暮れ、雪虫が舞う短い時間。
ふわりと流れる風や、ライトに照らされる小さな命たちに、思わず胸がきゅっとなる。
助手席に座る誰かの代わりに、過去の記憶や音楽がそっと寄り添う時間。
友の車を追ったあとの「カチ、カチ、カチ」というウインカーの音――
それは、小さな別れの瞬間で、その響きが、なぜか胸にいつまでも残る。
二年前も、一緒。
そんな小さな別れからも、また、いつもの日常がスタートする。
ふわりと、また伸子の助手席に乗ってみたくなる。
台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO
第18話 旅のイントロ 左ウインカー
「あんなに暖かかったのに、急に冷え込んだわね。
旭川あたりでは、もう初雪かもしれないわね。」
蔦屋書房の広い駐車場も、夕暮れとともに車の数がまばらになっていた。
「またね。今度、旅の話をゆっくり聞かせてね。」
響香は、大切そうに箱を助手席へそっと置き、そのまま車に乗り込んだ。
彼女の車は、おととしの秋とは違う、グレーの車だった。
ヘッドライトをつける。
秋の日暮れは早い。
たん、たん、たん、たん……
ピアノの和音が、伸子の車のスピーカーから静かに流れ出す。
そろそろ、雪虫の季節。
この虫は飛ぶ力が弱く、風に乗ってふわふわと流される。
雪虫のオスには口がなく、寿命はおよそ一週間。
メスも卵を産んだ後、間もなく死んでしまう。
人間の体温ほどの熱にも弱い――
ライトに舞う小さな命の話に、悲しみがそっと、胸にこみあげる。
カーステの曲は、一昨年の秋。
伸子が一人で行った、桑田佳祐さんのコンサートで、終盤に流れた曲。
――『白い恋人たち』
響香の姿が消えた助手席に、代わりに桑田さんの歌声がふと座ったような、不思議な感覚。
響香の車のあとを、わずかに追う。
「カチ、カチ、カチ」とウインカーの音が、桑田さんの歌声に重なって左折していく。
ほんの一瞬だけ、まっすぐ進んでいく響香のグレーの車が、闇に吸い込まれるように見えた。
朝から一緒に過ごしていたのに、
結局、旅の話はひと言も語られないまま終わった。
旅のイントロは、なんだったのだろうか?
伸子の車のスピーカーから、再び歌が流れる。
伸子は、数人を乗せたバスの後ろについて走っていた。
ふと目に入ったのは、「元町」というバス停の名前。
――名古屋にも、横浜にも、「元町」というバス停があった。
プラタナス並木の横を走りながら、なぜかその次のバス停の名前が気になった。
「牧場東」
……この北の町、江別も、そういえばレンガの町だったな。
そのバス停の方から、助手席の小さな隙間を抜けて、ひんやりとした風が差し込んだ。
まるで、その風と一緒に、「白い恋人」がそっと乗り込んできたような――
思えば、そんな旅イントロだった。
* * *
次話へつづく
* * *
◇◆◇ あとがき ◇◆◇
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
また次話で、お会いできましたらうれしいです。
◇◆◇
次回予告:「第19話 100万年の旅の始まり」
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―― 朧月 澪




