第17話 レシピの余白に咲く文字
台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO
第17話 レシピの余白に咲く文字
マグルーバ(Maqluba / Maqlouba)——中東の料理。
響香と伸子の時間が、そっと重なり合うことで。
㊙(まるひ)のレシピは、時代も、国境も越えて、
ゆっくりと、いろいろなものを重ねていった。
1
「レシピなのね。」
「でも、中東に行っていたのは、スマホどころか、携帯電話だってなんてない時代よ。いつ撮ったのかしら?
ハイジャックがテレビで映し出された日には、鹿児島のおばあちゃんと母が黒電話で遠距離電話してたんだから。」
伸子は、幼い響香が、異国から帰ってきた父のレシピの余白に、初めての「ひらがな」をぎこちなく綴る姿を思い浮かべる。
逆さまの「よ」に、ふっと微笑む。
先々週、帰国した台所にも、同じような文字のメモが貼ってあった。
「さしすせそ」
下には未希と凛の合作で、
さとう・しお・しょうゆ・ソース?味噌——。
どれも、伸子にとって宝物のように愛おしかった。
不完全さの中に、やわらかな時間の記憶が宿る。
ふと、壁の時計が五時を指している。
伸子の長旅の話も、花人クラブの話も、結局ひとつもできていなかった。
「ねえ、あっちでは何語しゃべってたの?」
「うーん、名古屋弁……かな?」
「異国で?」
伸子がくすっと笑い、響香も思わず吹き出す。
窓の外はすっかり暗く、店に残っていたのは二人だけ。
オレンジ色の照明に照らされ、バイトのスタッフが静かに片付けを始める。
二人は少し照れくさそうに、その空間に取り残されていた。
――二年前の秋。北海道大使きゅんちゃんのボールペンを一本、手渡されたときのこと。
「きゅんちゃん、かわいいでしょ?
一本、伸子さんにもあげるわ。」
あれから長旅中は音信不通だったけれど、ボールペンから始まった物語が、静かに胸に甦る。
蔦屋書房の駐車場で、二年前の秋のように別れた。
伸子は何も話さなかったけれど、その思いを胸に帰路につく。
浴槽の上で孫たちのおもちゃ入れになったメッシュの袋。
そこに描かれた、モニュメントのような二つの手のシルエット。
語れなかった話の入れ物として、湯気の中で待っているような気がした。
2
その夜、響香は日記を開く。
2024年10月5日
晴れ時々曇り。最高気温21.1℃、最低12.7℃。
伸子さんと再会。
蔦屋書房で待ち合わせ、「メモリー」で昼食。
お土産をもらう。
「あとで開けてね」と手渡された包み。
——中東にいた若き日の父にも、どこかで会えたような気がした。
夜、家に戻り、テレビをつける。
中東情勢の悪化が報じられていた。
父がかつて赴いたあの国は、もはやまったく別の世界のようだった。
日記の最後に、そっと「?」と記してページを閉じる。
そして――。
1972年11月7日の夢を見たのは、年が明けた2025年のことだった。
ペルシャ湾の夕日に向かって歩く男性の背中は、
一見、父のそれによく似ていた。
* * *
次話へつづく
* * *
◇◆◇ あとがき ◇◆◇
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
また次話で、お会いできましたらうれしいです。
伸子の住む町、北海道・北広嶋市が舞台です。
完成したエスコンフィールドがあります。
次話 第18話 旅のイントロ 左ウインカー です。
―― 朧月 澪




