第12話 ピロリンの音とともに――アンジェラの咲く台所
台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO
第12話 ピロリンの音とともに――アンジェラの咲く
◇◇◇
キッチンの台に置いたスマートスピーカーから流れてきたのは、
まぎれもなく、電話口で響いていた――懐かしい響香の声だった。
キッチンに飾ったアンジェラのバラの写真をLINEで送ると、
二人の時間が再び動き出したのだ。
先週の響香の声で、伸子は帰国したことがようやく実感できた。
「名古屋旅行の話だって、詳しく聞いてないのに。
次の旅行に行っちゃうんだもの。」
あのときの声が、何度も頭の中でリフレインする。
名古屋への初めての一人旅から、もう二年。
北海道で生まれ育ち、就職し、結婚し、子どもを産み育てた伸子にとって、
どの風景も、見たことのないものばかりだった。
「こんな私がいたのかしら。」
秋の空の下、部屋の隅によせたばかりの空っぽのスーツケースを見つめる。
旅の記憶を、ひとつずつ思い返した。
きっかけになったのは、おととし、名古屋へ初めて一人旅したことだった。
念願のコンサート参加の前後に四間道にいった。
その、名古屋の四間道の白壁も、もう遠い記憶のなか。
印象的だったういろうの味だけが、かすかに舌の奥に残っている。
店の名前は、どうしても思い出せなかった。
スーツケースをひきずりながら家の玄関に向かう途中、
伸子は「変わらぬもの」を探していた。
北海道ボールパーク(Fビレッジ)隣接地に、
千歳線の新駅を設置する話はまだ構想段階みたいだ。
けれども、北広嶋の駅前の人の流れも、建物も、すっかり変わっている。
馴染みの駅前広場では、新たな商業施設の開業準備が着々と進んでいた。
まるで、自分だけがまだ異邦人のように感じられた。
夫が造作してくれた四段の階段をのぼり、引き戸の玄関を開けた瞬間――
それが、この二年という旅の、静かなクライマックスだった。
窓を開けると、心配していたバラのアンジェラが咲いていた。
台所の食器はきれいに整えられ、二年前とほぼ同じ場所に置かれている。
新しく買われた計量カップさえも、伸子の心をやわらかく温めてくれた。
そして、台所の壁に貼られた「さしすせそ」の貼り紙。
きっと孫の凛が、一人で料理する夫のために、未希にうながされて書いたメモなのだろう。
そんな想像をすると、この台所を何度も抱きしめたくなった。
それは決して大袈裟ではなかった。
──長年の日常が戻った中で、不意に伸子のスマホが震えた。
夕飯の支度どき。
椅子にかけていた作業服のポケットの中だった。
――そのとき。
台所の片隅で、ピロリンと音が鳴った。
それは、新しい物語のはじまりを告げるような、
どこか懐かしい響きだった。
* * *
次話へつづく
* * *
◇◆◇ あとがき ◇◆◇
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
どこかで、それぞれの「台所」から、小さなせかいを動かしています。
日々の中にある記憶や香り、音のひとしずくを、どこかで感じていただけたなら幸いです。
次話予告:『第13話 2枚目の謎のメモ 〜きょうかへ㊙kyokaの手紙』
心のスイッチが、またひとつ灯ります。
◇◇◇
お会いできたみなさまへ、心より感謝をこめて。
―― 朧月 澪




