第93話 夢のづづき 青いガーベラ鉄道へ
台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO
第93話 夢のつづきと、青いガーベラ鉄道
――夢の中で、私はたしかに《青いガーベラ鉄道》に乗っていた。
現実より濃密な色が、まだまぶたの裏にこびりついている。
パソコンの画面を閉じた、そのとたん。
二階から哲郎の足音が、そっと床を叩いた。
外にはまだ、夜の名残が沈んでいる。
私はあわてて、深夜に食べてしまったアイスのカップを洗い、
気配を消すようにゴミ箱へ落とした。
部屋の灯りを消し、ソファへ腰を下ろす。
思わず、独り言のようにこぼす。
「……ソファで寝ちゃったんだ」
昨夜の夢は異様なほど鮮明だった。
千歳空港から青いガーベラ鉄道に乗り、岩水沢へ向かう――
そんな現実のようで現実でない旅。
明らかに夢なのに、夢の中の私はしっかりと
「これは夢だ」と認識していた。
その確かさが、むしろ現実以上の質量をもって胸に残っている。
忘れないうちにと、私は再びパソコンを開き、
深夜の昂ぶりのまま、指が追い立てられるようにキーボードを叩いた。
けれど――夢はどこから始まっていたのだろう。
まさか、あの時から夢だったということはないはずだ。
現に、こうして手元には、あの日に買ったガイドブックがあるのだから。
思い返せば、あれは数週間前のことだった。
恵別の蔦屋で、伸子さんと待ち合わせをした。
講演が終わったら、ゆっくり二人で旅の計画を立てよう――
そんな約束を交わしていたのだ。
彼女の講演は素晴らしく、会場には温かい笑いと拍手の余韻が
やわらかく漂っていた。
その気配をもう一度味わうように、私たちはカフェの席に並んでいた。
「どうであれ、ほっとしたって感じね。思ったほど感想はなかったけれど……」
そう口にしながらも、伸子さんの表情には満足の色が浮かんでいた。
「しゅぽぽ、しゅぽぽ。鉄道と水道って、ほんとうに深い関係があるのよ。
汽車は大量の水を使うから」
私はつい、彼女の調子を真似してしまう。
「やめてよ、響香さん」
「だって、本当に感動したのよ。まだまだ聞きたいくらい。
水道管を通って百五十年前まで旅して戻ってきたみたいだった。
未希さんの人形劇も、とっても素敵だったわ」
「あれ、人形劇は最初から組み込んでたのよ」
「でも、外国で一年半も研修してきたのに、外国の話って……パーマ氏くらい?」
私が伸子さんのLINEを開くと、画面には“もじゃもじゃ”そっくりな似顔絵。
「これ、亀田課長に似てるでしょ?」
「内緒よ……ばれてるけど」
「もじゃもじゃ似の課長さん」
「うふふ」
窓の向こう、ベンチには湿った三月の雪が薄く積もっている。
私たちはあのベンチを“べらぼうベンチ”と呼んでいた。
コーヒーの温かさを両手に抱えながら、ガイドブックを開き、
つぎの旅の計画をひそやかに膨らませていく。
「そういえば伸子さん。“虹の輪の旅”の話、今度こそちゃんと聞かせてよ」
そのとき、彼女はベンチを見つめたまま、ふっと声を落とした。
「響香さん。……知覧の帰りに見た“あの夢”。
どんな夢だったの?」
胸の奥がひやりと冷え、私は思わず足元へ視線を落とした。
知覧で見た、あの夢――。
気がかりだったのは“メモの余白の謎”だけじゃない。
夢そのものが、ずっと意識の端で静かに居座っていた。
考えてみれば、伸子さんには何ひとつ話していなかった。
ここしばらくは公演準備ばかりで、
あのドラマチックな夢を語る機会をずっと先延ばしにしていたのだ。
「中東の鰹節……メモの余白の謎も解けたわ。でも、けっこう長い話なの」
「いくらでも付き合うわ」
「……ありがとう」
コーヒーの香りの奥で、
知覧で見た夢が、静かに輪郭を取り戻していく。
――その話は、“覚醒遺伝”から始まっていた。
* * *
次話へつづく
* * *
◇◆◇ あとがき ◇◆◇
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
どこかで、それぞれの「台所」から、小さなせかいを動かしています。
日々の中にある記憶や香り、音のひとしずくを、どこかで感じていただけたなら幸いです。
つづきは――
次話予告:『第94話 中東のかつおぶし(仮)』
心のスイッチが、またひとつ灯ります。どうぞお楽しみに。
◇◇◇
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お会いできたみなさまへ、心より感謝をこめて。
あなたの一言が、つぎの物語を運んでくれます。
◇◆◇
朧月 澪




