第10話 ポンポネッラと慣れないスマホ
台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO
第10話 ポンポネッラと慣れないスマホ
二人の時間が再び動き出したとき、庭には薔薇の色が戻っていた。
薔薇のことを語りはじめると、
たったひとつの「ピンク」というカタカナの色名にも、
何百もの色があることに気づく。
桃色。
桜色。
薄紅――。
そしてその色は、季節とともに、
また、朝夕と刻一刻と変わっていく。
伸子と響香がガーデニング教室で出会ってから、もう二十年になる。
熱心な薔薇好きたちに囲まれて影響を受け、二人はそれぞれの庭に薔薇を育て、
咲いた花の様子を語り合ってきた。
伸子の庭に咲くアンジェラ。
響香の庭に咲くポンポネッラ。
どちらもピンク系のつるバラで、房咲きなのは同じ。
アンジェラは、明るめのフレッシュなピンク。
花びらの外側に向かって淡くなるグラデーションがやさしい。
枝いっぱいに花を咲かせ、ふうわりとした可憐さで庭を明るく照らす。
一方、ポンポネッラは、ころんと丸く咲く。
色は濃く落ち着いたローズピンク。
ぎゅっと花びらを重ね、静かに可愛らしい。
けれど、その色の違いが、お互いの花も、そしてそれを育てる自分自身も、
よりいっそう愛おしくしていった。
――今年も、その語らいは叶わなかったと思っていた。
そう思うと、庭に咲くピンクの色さえ、どこか透けて見えていた。
響香は、色の濃いうちにポンポネッラを花瓶に飾ろうと、庭ばさみを手に取った。
この薔薇は、毎年百輪ほどの花をつける。
春の終わりから夏にかけて、まるで日々の出来事を見守るように。
長旅から伸子が帰ったという便りを聞いたときも、響香は半信半疑だった。
夏なら、近所から夕食の香りが漂いはじめる七時過ぎでも、
先に夕飯の支度を済ませてしまえば、哲郎の帰宅まで庭仕事を続けられた。
けれど、九月にもなれば、四時にはもう向かいの公園のオレンジの電灯がともる。
切ってドライフラワーにしようか、それとも最後まで庭で咲かせてあげようか。
大切にしてくれそうな人に花束にして贈ろうか――。
暗い庭先に長くいると、不審がられるかもしれない。
そんなことを気にしてしまう自分を、「へんちくりんなガーデナー」と
思わずにはいられない。
どの花を花瓶に挿すか決められず、ハサミをポケットにしまった。
「伸子さんのアンジェラ、どうしてるかしら」
画面に映る「縣伸子」の名前を見ながら、
自分の表示名「厳島響香」を見て、ふと昔の会話がよみがえる。
「字画が多いのよ」
「薔薇のほうがもっと多いわよ」
そんなやりとりから生まれた架空の人物――何出茂薔薇子。
ふたりで夢中になって、その人生をあれこれ想像した。
「ピエール様のもとに、帰らなくちゃ」
そう言っていそいそと帰っていった何出茂薔薇子。
伸子も、まだ覚えているだろうか。
庭には、出会ったころに植えたバラ「ポンポネッラ」が、
秋の終わりを惜しむように咲いている。
アンジェラと同じくドイツ育種の薔薇で、
冷戦期に生まれたアンジェラに対し、ポンポネッラは
ベルリンの壁が取り払われた後に生まれた花だった。
そんな説明を、伸子と一緒に読んだことを思い出す。
かつては一眼レフで撮っていたが、最近はスマホのほうが
ずっときれいに撮れることを知った。
秋の花をスマホに収めようと、空に咲くポンポネッラにレンズを向ける。
けれど、名前を入力しようとして――指が止まる。
小学生も後期高齢者もスマホを使いこなす時代なのに、
響香の指はもどかしく動く。
哲郎には「ネット難民」って呼ばれるほど。
響香の指のあとに残った文字は、
「pんねっら」「ポンポコリン」「ぽんpん」「ぽんぽねっち」。
どれも、なんだか愛嬌があって、でも情けない。
「もう、めんどくさいわ」
どろどろのエプロンのポケットにスマホを入れようとしたそのとき――
そのとき、LINEの通知音が鳴った。
――伸子から、一年半ぶりの連絡。
画面を見て、響香は一瞬、幻を見たのかと思った。
既読マークがともり、薔薇の写真と、光るステンレスの台所の写真が届く。
台所には、一本のバラが飾られていた。
ふんわり咲く薔薇の色は、まぎれもなくアンジェラだ。
その瞬間、二人の時間が再び動き出した。
そして、長く長く、二人は電話で話した。
いつのまにか、場所はリビングから台所へと移っていた。
「――あー、何時間あっても話しきれないね。
また電話するね。」
通話を切ったあと、ポンポネッラの重なり合う花びらが、台所の明かりを受けて、ローズピンクの輝きを取り戻していた。
* * *
次話へつづく
* * *
◇◆◇ あとがき ◇◆◇
今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は ※間奏話 何でもばら子
※(ピロリンの音と共に 2枚目の謎のメモ(第11話〜第20話))
「第11話 ピロリンの音とともに 虫たちの行列 」をお届け予定です。
物語はまだ続きます――
朧月澪




