現実と夢の狭間 【月夜譚No.355】
ステージの上では、自分でない存在でいられる。マイクを握り締め、大きな声で観客に呼びかけ、歌い、踊る。普段の自分からは想像ができないほど堂々としたパフォーマンスは、多くの人が喜び楽しんでくれた。
そこに立っているのが苦痛ではなく嬉しいことだと思えるなんて、数年前の自身に聞かせたら、絶対に信じない。教室の隅で静かにしていた彼女がこんな明るい場所にいると知ったら、当時のクラスメイトも驚くだろう。
だが、そんな心配も要らない。彼女は生まれ変わった。ステージに立っている間、何重にも仮面を被っている彼女の素顔を知る者は限られている。嘘で固めた彼女の正体を見破れる人は、きっといない。
アンコールが終わって楽屋に戻り、大きな鏡の前の椅子に腰かける。余韻のようにキラキラと輝いていた瞳が翳り、口角が下がる。いつもの自分に沈んでいく感覚が、全身から力を奪っていく。
だらりと下がった手に、飾り気のない私物のリュックがぶつかる。それを目の端に捉えて、彼女はそっと瞼を閉じた。
今まで見ていた夢を噛み締めるように。覚めた後も心に残るように。
現実と夢の境はいつも曖昧で、けれどはっきりとしていた。