*8 大荒れのち大盛況な文化祭
付き合うふりをする、と言っても、教室ではそれぞれの持ち場――永和は陽キャな奴らのグループに、僕はぼっち――でそれぞれ過ごしていたし、お互いにあえて声をかけるような事はしていなかった。
それでも、昼休みとか、体育の授業中に二人組で何かをする時とか、グループ学習みたいなときは自然と二人が同じグループになっていたりしたのだ。特に、周りは僕らのことなんて気にしていなかったように見えるのに。
「最近さ、永和ってあのー……あいつ、佐鳥だっけ? そいつと一緒にいるよね」
昼休み、トイレに行った帰りに、廊下の角の向こうから永和と僕を話題にする声が聞こえた。僕はとっさに身を潜め、声に耳を澄ませてしまう。
やっぱり、カースト上位者とモブの組み合わせなんて、周りから見たらおかしな組み合わせなんだろうか。息を潜めるようにして話し声を聞いていると、話題はやはり思ったような方へ転がっていく。
「あー、いたなぁ。あんま目立たないやつだよね、佐鳥だっけ?」
「そうそう。でもさ、永和のやつやたら絡んでんじゃん? あいつら同じ中学だった?」
「さー? でもあいつらなんかいい感じに見えるよな」
「っはは。つーか、男同士だぞ?」
「それな。俺はちょっと考えらんねーけど」
俺も、と片方の言葉にもう片方が賛同し、二人で笑っている声がする。その言葉に、自分の考えが及ばない、という以上の他意はないんだろうとは思う。でも何故か、嗤われているように感じて、胸がチクチクと痛む。
どうしよう、僕のせいで、永和が余計な噂をされている――
「翠ー? 何してんの、こんなとこでしゃがんで」
息を潜めていたら、いつの間にかうずくまっていた僕に、永和の声が降ってきた。顔をあげると、二人分の教科書やノートを手に持った永和がにこやかに僕を覗き込んでいる。
糸目の人懐っこい笑顔に、僕はそれまでチクチクと感じていた胸がやさしく撫でられていく。
「や、べつに……」
曖昧に笑って立ち上がろうとした僕は、不意に足元がふらついて永和の方に倒れ込みそうになり、永和に抱き留められた。しかもそれを、さっきの二人組に見られてしまった。案の定、面白いものを見たと言う顔をされる。
「うわ、マジかよ。公共の場でイチャついてる~」
「見せつけてんの? 家でやれよ」
くすくすとせせら笑うような声に、僕は永和への申し訳なさでうつむきながら永和から離れようとした。僕のせいで、永和がバカにされている。それは不本意で悔しいけど、モブの僕なんかがどうにかできることじゃない。
ごめん、永和……そう、思いながら唇を噛んでいたら、支えていたはずの永和の腕が突然僕をがっしりと抱きしめて密着してきて、永和はこう笑った。
「いーだろ? 俺らすっげぇ仲良しだから」
邪魔するなよ、と永和はそのまま抱きかかえるように僕を連れて廊下を歩いて行く。からかってきた二人は、バカみたいに口をポカンと開けて僕らを見送っていた。それが少しおかしかったんだけれど、それ以上に、肩をがっちりと抱かれて密着した姿で歩いて行く方がずっとドキドキしていた。
何でもない仕草なのに、いちいち永和の体温を感じてしまう。平常心を保たなきゃなのに、内心嬉しくて仕方ない。もっとこうしていてよ。そんなことを口走りそうになる。
「と、永和……あの、もういいよ……」
「…………」
「永和?」
恐る恐る見上げながら名を読んだけれど、永和は口を真一文字に結んだまま、ずんずんと大股で歩いて行く。黙ったまま、僕を抱きかかえるようにしてそうして進んでいる横顔は、ただ僕の嘘のために付き合っているふりをしている、というにしては真剣すぎて怖いぐらいだった。
「永和、ちょっと、苦しいよ」
ようやくそれだけ言えた時、永和はハッと我に返ったようで、やっと僕を解放してくれた。ほどかれた途端、首回りがすぅっとして、名残惜しく思ってしまう。
腕を解いた永和は少し気まずそうに曖昧に笑い、「ごめん、」と呟いてからまた真剣な面持ちをする。その真っ直ぐさが、僕の本当の気持ち――永和が好きなくせに、永和との関係をないものにしようとしているとか、いまの状況を内心喜んでいるとか――を見透かされていそうで、怖気づきそうになる。
(たぶんそれはきっと、僕が永和に嘘をついている後ろめたさからだよね……)
元々ウソをつくのは得意ではないし、上手くもない。だから、そういう苦手意識みたいなのが出ているだけだろう――そう、思うことにした。そうでないと、僕は何か勘違いしてしまいそうな気がして。
僕がこの頃に戻って来たのは、永和との未来を変えるため。彼を失うことで悲しまない、未来のため。
やさしいのは僕の勘違い。彼はみんなにやさしい。
僕だけにやさしいんじゃない。
――他愛ない話を永和として歩きながら、僕は胸の中で呪文のように唱える。ちゃんと望むような未来になるように。
(――でも、もし、ウトに言った願いが叶わないってことになったら……僕は、どうなっちゃうんだろう? やっぱり、すぐに死んじゃうんだろうか……?)
ふと湧いた疑問に、僕は胸の奥がずきりと痛む。いままで考えてこなかったけれど、願いが必ず叶えられる、とはウトは言わなかった。それはつまり、ウトの力が絶対じゃないということではないだろうか? 神様なのに?
「翠? どうした?」
移動教室である物理教室の前まであと少しのところで足が止まってしまった僕に、永和がにこやかに笑いかけてくる。いつものあの、人懐っこくて糸目になるあの笑顔で。
胸の奥が、シュワッと甘酸っぱくしぼむ。そしてそのたびに、切ないほどに彼への想いが降り積もっていく。――これはいずれ、葬らなきゃいけないのに。
だからせめていまだけは、“恋人のふりができるぐらいに仲のいい友達”のふりをする。
「ううん、なんでもない。行こう、授業始まっちゃう」
教室までの数メートル、どさくさにまぎれて手を牽いてみる。いまだけ、いまだけだから。そう言い訳もしながら。
そうこうしている間に、文化祭当日となった。
三日間行われる文化祭は、基本的に在学生徒とその家族のみが来校できるようになっているのだけれど、最終日だけ学外の人も来校できる。そのため、三日目はとても盛り上がるし、人も多いので、みんな大忙しだ。
「っしゃいませー、3-A異性装カフェでーす」
「異性装カフェってなに?」
「男子が女装してて、女子が男装してるんすよ~。どちらに接客してもらうかは選べることもあるっす」
「お兄さんはしないの?」
俺は裏方なんで、と言いつつも、永和は愛想よく声をかけて来たお客さんに受け答えして、あれよあれよと来店させてしまった。こういうケースはこの人たちで二組目だ。
単なるスクールカースト上位者、ということを抜きにしても、永和はすごく愛想がいい。それだけなく気も利いているし、その上笑顔が人懐っこいので人の警戒心を解きやすいのだろう。
それに対して僕は……
「お、おまたせし、し、ました……」
「何この子。めっちゃ緊張しててかわいいんだけど」
「俺、初心系好きー。ねえ、LENE交換しようよ」
メッセージアプリのIDを軽率に訊いて来てナンパしようとしてくる、若い男の客たちの声に曖昧にぎこちなく笑うしかできない。なんでだか裏方だったはずの僕が、急きょメイド役をやらされることになり、何人かからこうして声をかけられる。
(七年前ってこんなに声かけられてたっけ? いや、そもそも異性装カフェなんてやってたっけ?)
記憶が曖昧過ぎて、当時のことを思い出せないことが多いけれど、少なくともこんなにモテるような事はなかった……はず。
僕の記憶違いなのだとしても……兎に角モテ方が気持ち悪いのだ。声をかけてくる奴来るやつ、舐めるような目で僕を見てくる。特にスカートの足許をニヤニヤと眺めているのが吐き気がしそうだ。
「あのさ、シフトいつ空くの? 学校案内してよ」
「ぼ、僕がですか?」
コーヒーを運んだら突然腕をつかみながらそう言われ、どう返していいかわからず凍り付いてしまう。手を振り払いたいけれど、お客さんだし……でもやっぱり気持ち悪い……!
そもそも僕が異性装カフェを提案したとはいえ、こんなことになるなんて思ってもいなかった。もしこれが女子だったらと思うと、僕でよかったと思う反面、やっぱり本能的に気色悪い。
どうしよう、怖い、助けて……永和……と、胸の中で祈るように呟いていると、不意に後ろへと牽かれ、誰かの腕の中に納まる格好となった。
一体何が起こったんだ……? と、恐る恐る顔をあげると、永和が、にこやかながらも全く笑っていないのがわかる笑みを浮かべて僕の背後に立っていた。
「永和……?」
「お客さーん、ウチはお触り禁止なんすよぉ。高校生が青春してるカフェ、なんで。そういうことしたかったら、そういうお店、行ってもらえます?」
「な……べつに俺らは冗談で言っただけだよ……何、本気にしてんだよ、ガキが」
永和ににこやかに注意され、男性客たちは冷笑しながらぼくから手を放す。「ちょっとかわいいからって勘違いしてんじゃねーよ」とか、「接客態度悪くね?」とか、大声で雰囲気を凍り付かせるようなことを言い出し、教室内は重く沈黙していく。
僕のせいで最後の文化祭が最悪な思い出になってしまうのではないだろうか、とさえ危惧して震えそうになっていたその時、テーブル代わりにしていた机を、永和が大きな音を立ててたたきつけ、低い声で呟いた。
「――勘違いしてんのはどっちだよ? 素人のやってる模擬店で風俗みたいなこと要求する方が勘違いしてんだろうが」
「な……! ふざけんなよお前、さっきから!」
「ふざけてんのはどっちだよ。警察呼ぶぞ」
それまでにこやかに細めていた糸目が見開かれ、男性客たちをにらみ付けると、僕らより年上であろう彼らは、舌打ちをしながらすごすごと出ていった。
「翠、大丈夫?」
「あ、ありがと、永和……」
本当のことを言うと、そんな言葉だけじゃなく、永和に抱き着いてお礼を言いたいくらいに嬉しかったんだ。
そして何より、僕のためにあんなに怒ってくれた永和が、すごくカッコいいと思ったし、やっぱりすごく好きだなと感じた。
入れ替わるように、誰かが呼んだらしい何人かの先生が入ってきて、永和と他の生徒たちが状況を説明すると、その後を追いかけていくように出ていく。
うちのクラスも周りもかなりざわついていたけれど、永和が大きく手を叩きながら、「さー、文化祭続きやろうぜー」と、かなり強引に空気を換えようとし始めた。
だから僕も合わせるように手を叩きながら、「いらっしゃいませー!」と、半ばやけくそで声を張り上げる。そんな僕に永和がが驚いたような顔をし、やがてニッと笑って負けないくらいに大きな声をあげる。
すると、周りも段々と声を出し始め、カフェというよりも魚屋の呼び込みみたいになっていた。でもそれが妙おかしくて、かえって空気が大きく変わっていくのがわかる。
僕と永和は顔を見合わせて苦笑し、それから何人もお客さんを迎え入れることができた。