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*7 思いがけない提案からの思い掛けない関係

 永和の言っていることがいよいよわからず、僕はとっさに返事ができなかった。

 今しがた、鶴賀達のことを、「男が好きな男の、性質(たち)の悪い奴なんじゃないか」みたいなことを言っていたのに、どうしてそこで、僕が永和と付き合っていることにならなきゃいけないんだろうか?

 それに何より、永和の提案はあまりに生前の僕の報われなかった初恋の想いに寄り添う都合のいい話過ぎる。ありえない! という想いと、願ったり叶ったりで踊り出したり叫んだりしたいほど嬉しい気持ちがないまぜになって苦しくて痛い。何でいきなり永和はそんなことを言いだしたんだろう。彼にとってメリットなんて1ミリもないだろうに。

 言葉の真意を測りかねて思わず後退りしていると、永和が慌てて両手を顔の前で振って何かを打ち消そうとする。


「ああ、えっと、“ふり”だよ、“ふり”! 本当に付き合わなくていいからさ、あいつらが佐鳥のこと諦めるまで、どうだろう?」

「どうって……付き合ってるふりなら、女子の方が良くない?」

「女子だったら、佐鳥がそいつ好きになるかもしれないだろ!」


 僕はもう当時から女子を好きになったり、興味を持ったりしていなかったから、その可能性はほぼない。だれど、それを素直にここで言ってしまうには、校舎から飛び降りるほどの勇気がいるので、言えなかった。だってまさか、好きな人に、“ふり”でもいいから付き合おうなんて、こんなに強く言われるなんて思うわけがないから。泣きそうなほど嬉しい気持ちと、思いがけない展開に体が震えだしそうだ。

 だけど、なんで永和が、僕が女の子に好かれることを危惧するのかがわからない。べつに、僕のことなんてモブなんだから放っておけばいいのに。


(もしかして、モブに彼女とか出来たらイヤなのかな? 自分が負けた! みたいに思うのかな?)


 そういう、プライドとも言えない感情って、十代の頃ってよくあったよなぁ、確かに……なんて、中身が二十五歳の僕は懐かしく思い、くすりと笑って首を横に振る。


「大丈夫だよ、僕なんかモブキャラだから、そういう勘違いしてくれるような女子はいないよ」

「モブなんかじゃない!」

「へ?」


 本人が、それも中身は未来の僕が言っているのに、永和は大きな声で否定してきた。その勢いに僕は驚いてしまい、呆気に取られる。

 なんで永和は頑なに、まるで僕がモテモテの女の子のように言うんだろう? しかも、モブじゃない! なんて力説しているし……

 ポカンとしている僕の視線を気まずそうに受ける永和は、気まずそうに唇を尖らし、頭を掻きながら言った。


「と、兎に角……今日から、俺は佐鳥のこと、下の名前で呼ぶから。(すい)、だろ?」


 よく間違われるややこしい名前なんだけれど、僕の名前は“翠”と書いて、“すい”と読む。父親が野鳥好きで、その中でもカワセミが起きにだからその異名の翡翠鳥から取ったらしい。名前負けもいい所であまり好きじゃない。女の子みたいだとよく言われるし、そもそも読み間違いが多いし。

 だけど、その瞬間、僕は自分の名前が特別な響きと意味を持つものに思えたのだ。好きな人に名前を呼ばれるということが、こんなにも胸がときめくものだなんて知らなかった。やり直しとは言え、生きている内にこうして呼ばれるなんて思ってもいなかったから、なおのこと嬉しい。


「あれ? 違ったっけ?」


 僕が呆けて返事をし損ねていると、永和は読み間違ったかと慌てふためく。

 だから今度は僕が慌てて首を横に振り、赤くなっていく頬に気づきながらも、「……違わない」と、小さく返すので精一杯だった。

 名前を読み間違っていなかったと知ったからか、永和は嬉しそうに笑って、こうも提案してきた。


「じゃあさ、俺のことは永和(とわ)って呼んでよ」

「え、で、でも……僕らそんな仲良くは……」

「付き合ってることにするんだから、そういう風に呼ぶ方がいいだろ?」


 確かにそうかもしれない……と、永和の言葉の説得力に僕が思わずうなずくと、彼はますます嬉しそうに笑い、手を差し出してくる。


「じゃ、よろしくな、翠」

「あ、う、うん……と、永和……」


 いままで胸の中で密かに呼んでいた名前を、実際に本人に向けて口にする日が来るなんて。当時の僕(いまも当時ではあるんだけれど)が知ったら、きっと天にも昇るような気持ちがしたんじゃないだろうか。

 いや、本音を言えば、いまだって嬉しい気持ちがないと言えば嘘になる。むしろ、嬉しくて仕方ない。


(でも、あくまで永和なりの作戦の一環でそうするだけで、何の意図もないんだよね)


 だから、喜んでいいわけではないんだ、と、自分を戒める。何より僕は、永和と関わらないようにして、そして失う未来に悲しまないようにするために戻って来たのだから。


(いまの状況はちょっとしたボーナスステージなんだ。そう長く続かない……はず……)


 そう自分に何度も言い聞かせながら、僕は永和と握手をし、妙な協定を結ぶことになった。



 あれはちょっとショックな場面を見てしまったことによる、永和なりの気遣いだっただけなのではないだろうか。

 だから、きっと朝になったり、数日経ったりすれば、なかったことになるんじゃないだろうか――そう、僕は楽観的と言えば楽観的に、ネガティブと言えばネガティブに考えていた。モブの自分に、そんなボーナスステージが続くわけがないからだ。

 それなのに――


「翠~。弁当食いに行こう」

「え、あ、うん……はと……」


 昼休み、永和はごく当たり前のように、僕を一緒に弁当を屋上に食べに行こうと誘うようになった。初日こそクラス中の動きと音が止まるほど驚かれたけれど、翠があまりに自然な感じで僕の肩を組んで促していくので、誰も止めたり疑問を呈したりできなかった。

 僕としては、誰かに止めてもらえたらそれが現実だと思えたのに……どうやらこっちの方が現実のようだ。

 三日もすると、クラスのみんなはごく当たり前のように僕らが一緒に弁当を食べに行くのを受け入れてしまったようで、何も言わないし、凝視することもなくなった。僕らの他にも、部活で仲がいい男子同士や女子同士で弁当を食べている組み合わせは多かったので、スクールカースト上位とモブ、ということ以外はさして大きな違和感がなかったのだろう。

 だから僕は、教室を出て屋上までの階段に差し掛かると永和の腕をほどこうとした。好きでもない僕なんかと、そんなに仲良さそうなふりをするのはみんなの前だけでいいだろうから。

 ただおかしかったのは、永和がそれをさせなかった事だ。


「は、鳩羽くん……」

「なに、翆」

「いや、あの……腕を……ほどいて、ほしいんだけど……」

「なんで? 俺ら付き合ってるんだからいいだろ。あと、永和って呼んでよ、翠」

「それはあくまで“ふり”って話じゃ……」


 なかなか解放されなくて僕が反論しようとしても、永和は「しっ」と、口に人さし指を縦にあてて声を潜め、耳元で囁くのだ。


「そーだけど、いつどこでバレるかわかんないんだから、どこででもそう呼んでなきゃだろ?」


 それは確かにそうかもしれないけれど……一理ある上に、永和は僕よりも頭がいいから、上手く言い返せず丸め込まれてしまっている気がする。

 そして何より、呼吸すら感じる至近距離に永和の気配を、これ以上意識しないようにするのもかなり必死だった。僕なんかが永和に気があるなんて知られたら、きっと気を悪くするだろうし。

 でも、やっぱり体温を感じるほど近い永和は、すごくカッコ良くて……ドキドキしてしまうし、見つめていたくなる。


(でも、そもそも、永和ってこんなに僕のこと気にかけていたっけ……?)


 記憶の中では何度か言葉を交わしたことはあっても、ここまで親密だった気がしない。彼はあくまでモブの僕の一方的な憧れのスクールカースト上位者で、手が届かない存在だと思っていたのだから。

 それがなんでいま、弁当のおかずを交換するような仲になっているんだろうか? 記憶の中とは違う、イレギュラーなことが続く日々で、正直場長が安定しないのだけれど……


「うっまー! 翠の母ちゃんって料理上手いよなぁ。ウチ冷凍食品ばっかだからうらやましいわ。この卵焼きとか最高じゃん」

「あ、それ……僕が作ったやつ……」

「ウソ?! マジで?!」


 卵焼きだけは小さな頃から卵焼きだけは作れたので、時間がある朝なんかはそれだけは自分で作ることが当時もありはしたのだ。

 永和と弁当を食べるようになって、余計に、食べてもらえたらいいな、なんて言う下心を若干持って作ってはいたのだけれど……まさか本当に口にされるなんて思ってもいなかった。

 突然の出来事にぽかんと口を開けている僕を、永和は意に介することなく卵焼きを味わい、そして呑み込んでしまった。


「え、食べちゃった……」


 男の、それも好きでもなんでもない相手の手料理なんて、食べたところで美味さも何もないだろうし、人によっては気持ちが悪いなんて思われてしまうかもしれない。付き合うふりを提案してきた永和が後者のような心持ではないと思いたいけれど、実際にそうかどうかはわからない。

 吐き出して! と言いそうになっている僕に、永和はぺろっと舌先で口元を舐めて笑った。


「美味い! さすが翠!」

「いや、全然たいしたことじゃ……」

「大したことだよ。だって、料理って手際よくできなきゃだし、慣れてなきゃこうも上手くできないんもんだろ? 翠はさ、調理実習の時いつも手際いいもんな」


 思いがけないことを、思ってもいなかった人に言われて僕はどう返事をしていいかわからなかった。なにより、そんな調理実習のことを見られていたなんて全く知らなかったのだから。

 なんでそんなことを知っているの? と、訊きたいのに、言葉が詰まって出てこない。嬉しいのと恥ずかしいのと、驚いたのとで気持ちがぐちゃぐちゃになってショートしてしまったからだ。

 それでも何かを言わないといけない気がして、たっぷり数十秒の沈黙ののち、ようやく小さく、「ありがとう、永和」と呟けただけだ。

 永和は、それに嬉しそうにあの糸目になる顔で笑ってくれて、それが何よりも僕の胸を締め付ける。


(ああ、もう少しだけ、こう言う時間が続いたらいいのに――)


 そんな、ウトに願ったこととは真逆なことをうっかり考えてしまい、違う痛みと苦しさを覚えるのだった。




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