*6 記憶にない災難
途中中間テストと全国規模の模試を挟んで、朝晩の気温がぐっと下がるようになってきた頃、学校全体が文化祭の準備に向けて動き始めた。
管理上の問題で、早朝や夜遅くまでの準備は禁止されていたけれど、それでも年間で一番とも言えるイベントへの準備は否が応でも盛り上がっていく。特に僕らの学年は最後の文化祭であり、これ以降は受験一色になるので、何のかんの言いつつも熱が入ってしまうようだ。
「見てー! こっちが女子用で、こっちが男子用!」
そう言いながら、うちのクラスの女子の一人が両手を広げて、異性装カフェで着用する衣装を試着する僕と、自分の姿をアピールしている。
立て看板や装飾を準備していた他のクラスメイトはその手を停め、教壇のところでほぼさらし者にされている僕らの周りに集まってくる。
女子は執事の格好、男子はメイドの格好で、お客さんから指名された方が接客をすることになり、いまはその時に着る衣装が出来上がったのをお披露目しているのだ。女子はファストファッションの黒いジャケット、制服のカッターシャツ、それから保護者に協力してもらって作った蝶ネクタイ、男子生徒から貸してもらった制服のスラックスを身に着けることになっている。
「結構サマになってるねー」
「ジャケットは男女兼用デザインだから、終わった後も着られるよー」
「で、こっちが男子?」
対する男子が身に着けるメイド服というのが、所謂パーティーグッズと呼ばれる、青い布地の衣装一式がセットになっているものに、レースを手縫いでデコレーションしたものになる――のだが、これを何故か、僕が着せられている。
「うおー! かわいー!」
「きゃはは! ウケるー! マジ似合ってるし!」
女子と交流のない男子校の生徒なら、まだ僕の女装姿で盛り上がるのは仕方ないかとは思うのだけれど、何故かうちのクラスはもとより、通りかかったほかのクラスのやつらまでのぞき込んでくるのだ。
クラスのやつらの目論見としては、モブの陰キャに着せて受け狙いを狙ったんだろう。まあ、それも外れではない。
くるくる回って~、とか、ポーズして~、とか言われていやいや従ってはいるけれど、笑い物にされている自覚はあるので正直気分の良いものではない。スマホでの撮影会も始まっていて、これがSNSとかで晒し者になるんじゃないかと思うと気が気でない。
イヤだなぁ……と、内心うんざりしていると、「もういいんじゃねーの?」という声がして、一同がそちらを振り返る。そこには、苦笑いよりも冷めた笑みを浮かべている永和が佇んでいた。
「衣装お披露目もいいけどさ、店ちゃんと作んなきゃ出来なくね? あと十日もないんだしさ」
そう言いながら永和は僕の方に歩み寄ってきて、それまで彼が羽織っていたジャージの上着を肩にかけてくれた。まるで、みんなの好奇の目から僕を隠すように。
「そうだねぇ、じゃあ、準備の続きやろっかー」
永和の呼びかけに応じるような声がどこからともなく上がり、それまで衣装に注目していたクラスのみんなが、それぞれの持ち場に戻っていく。さっきまでスマホを取り出してまでやっていた撮影会なんてなかったかのように。
さり気なく気遣われたことに気づき、嬉しさと恥ずかしさで耳の端まで赤くなっていくのが止まらない。胸が、たったそれだけでうるさいくらいに暴れている。
さすが、スクールカースト上位者だな……と、僕がぽかんとその様子を眺めていると、ポン、と肩を叩かれた。
「佐鳥もさ、着替えてきたら? いつまでもスカートとか、イヤじゃない?」
「あ、う、うん……」
永和に声をかけられてハッと我に返り、僕は慌てて制服に着替えに教室の外に出る。女子でもないから、廊下で着替えていてもいいだろう、と、思ったからだ。ちょうど今ならみんなセットの準備で忙しいし、誰も見ていないだろうから。
「あれ……これってどうやって脱ぐんだろう?」
着た時はバタバタと手伝ってもらったりしていたから、脱ぎ方がわからない。スカートと上がバラバラなデザインではないらしく、どうすればいいのだろう。
「なにしてんの? 着替え?」
とりあえず頭につけていたレース付きのカチューシャを取り、背中にあると気付いたジッパーを下に引こうと一人でジタバタしていたら、不意に声をかけられる。振り返ると、ジャージ姿の鴨井が立っていた。
「ああ、うん……悪いけど、ちょっとこのジッパー引っ張ってくれない? 届かなくて」
「いいけど、ここだと女子にパンツとか見られちゃうんじゃない?」
「あ、そうか……」
「あっちに空き教室あるから、そっちで着替えれば?」
確かに、女子の前で下着をさらすのはちょっと恥ずかしいな、と思えたので、僕は鴨井が教えてくれた空き教室へと向かうことにする。
自分の制服を抱え、ひと気がない空き教室に入って、さっき鴨井に下ろしてもらったジッパーから衣装を脱ぐことにした。
と、その時、誰も入ってこないだろうと思っていた空き教室の引き戸が開き、誰かが入ってくる気配がする。
驚いて僕が振り向くと同時に、入ってきたのは――
「鶴賀、先生……?」
何故ここに? と、問うよりも先に、鶴賀は急ぎ足で僕の許に歩み寄り、大きな手で僕の口を塞ごうとしながら、衣装を脱ぎかけていた僕の身体に手を伸ばしてくる。その目つきが異様だ。
無言で突然迫って来る鶴賀の日によく焼けた顔に、僕は恐怖を感じた。意味が解らないままに、いつぞやよりも一方的に距離を詰められていくことに本能的な危機を覚えたのだ。
こいつ、この前から何かおかしい! 僕が男であるなしに関わらず、生徒にそういう目を向けてくるなんておかしい。流石の僕も身の危険を感じ、脱ぎかけた服を掴んだまま後ずさる。
「なにしてんだ、佐鳥、こんなとこで」
「き、着替えです……先生こそ、何を……」
「見回りだ。生徒の安全を見回るのが教師ってもんだろ?」
口ではもっともらしいことを言っているのに、説得力がまるでない。それはやはり、鶴賀の目つきのせいだろうか。
後退りしていきながら僕は窓際に行き当たり、あとがない。じりじりと迫りくる鶴賀は恐怖と不気味さをもって近づいて来る。
このままでは僕の身の安全が危うい……! 足がすくみ、伸びてくる鶴賀の手を避ける気力もなく目をぎゅっとつぶっていると、がらりと教室の戸が開く音がした。
誰かが来てくれた! 助けを求めるように目を開けてそちらを向くと、そこには永和が型で息をしながら立っていたのだ。
「は、鳩羽……」
思いがけない人物の登場に鶴賀は明らかにうろたえていたが、永和は構うことなく僕らの方に近づき、そして僕の手を掴んでこう言った。
「佐鳥、おまえ、片付けやれよ。みんな待ってるんだからさ」
そう言うが早いか、永和は僕の手を牽いて空き教室を出た。うろたえて泡喰っていた鶴賀を置き去りにして。
永和に手を牽かれたまま、僕は教室へ向かう廊下を歩いていた。もう少し進めば教室があって人が行きかっているけれど、ここは切り取られたように静かだ。
雑踏と賑やかな光景を遠くに感じるところまで来た時、ようやく永和が手を放してくれた。
背を向けられているけれど、永和から醸し出される空気が明らかに怒気を含んでいる気がして、僕はつい、「……ごめん」と呟く。
すると永和がこちらを振り向き、呆れたように溜め息をついた。やっぱり、怒っているんだろうか。
「あのさ、俺言ったよね? 鶴賀たちには気を付けろって」
女の子でもないし、そもそも記憶の中で、僕は鶴賀や鴨井につけ狙われる何かをしたはずがないのだ。それなのに、またしても鶴賀に急接近されてしまった。偶然だとか間違いだとしても、気分のいいことではない。
「先生、僕が小柄でこういう格好してたから、女子と間違えたのかな」
僕が脱ぎかけていたスカートの端を摘まんで苦笑してみても、永和は一緒に笑ってはくれなかった。それどころか苦々しい顔をして、はだけていた僕の制服のブレザーの前をきつく閉じようとしてくる。
べつに僕の胸元がさらされていても、誰も困らないんじゃない? と、首を傾げても、永和は不機嫌な顔を崩さない。それどころか、少し、恥ずかしそうにしている。
「……佐鳥のさ、そういうとこ、ホント、どうかと思うよ」
「え……なんか、ごめん……」
この前もそうだったけれど、永和は僕の何かが気に入らないらしい。スクールカースト上位の彼に嫌われてしまったら、この先の未来的には彼と関わらなくなっていいのかもしれない。
でも、高校生活を問題なく過ごすには少し難が出てしまいかねない。何より、好きになってもらえないまでも、嫌われたくないと言うのが僕の本音だからだ。
(そうは言っても、永和はなんだか僕の何かがイヤみたいだし……やっぱり嫌われたのかな……その方が好都合ではあるんだろうけれど、それはちょっとツラいかも……)
好かれないまでも嫌われたくない、ってこんなにも難しいのか……と、改めて自分の考えの虫の良さを痛感させられてうつむいていると、永和が、「あー、そうじゃなくってさ……」と、何か歯切れ悪く呟く。
じゃあ何だと言うんだろうか? と、問うように顔をあげると、永和は少し考えたのちに言いにくそうに話し始めた。
「あのさ、俺の思い過ごしかもしれないんだけど……佐鳥ってさ、やっぱり鶴賀とか鴨井に狙われてるんだと思うんだよな」
「僕が?! 僕、男だよ?!」
「世の中男が好きな奴もいるって言うだろ」
自分のセクシャリティを棚に上げて驚いてしまった僕は、眉間に皺を寄せて返してくる永和の言葉に再びうつむきかけ、おや? と顔をあげる。
「それって、鶴賀先生たちがそうじゃないかってこと?」
「俺の勘だけどな。あいつら露骨に佐鳥のこと目ぇつけてる気がする」
「そ、そうかな……偶然じゃない?」
「偶然で、こんな人のいないとこに連れてこられて襲われそうになるか?」
それは確かにそうだ。しかも僕はこれが二度目でもある。やはり偶然にしては出来過ぎているのかもしれない。
永和の言うことにも一理あるのかな。でも、何でこんなことが? そう、僕が考えていると、永和がパチンと手を叩いて、唐突に一つの提案をしてきたのだ。
「あのさ、俺ら、付き合ってるってことにしない?」