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*13 乖離していく現実

 永和と残りの人生を共に歩めるところまで歩む――そう決めてから、いくらか僕の心は軽くなった気がする。少なくとも、本心では惹かれているのに、好きになってはいけない、というジレンマを覚えなくていいのはかなり楽ではある。

 ただ一つ問題があるとすれば、いま僕が抱えている想いを永和に伝えてしまうかどうかだ。

 確かに永和とは、僕の記憶の仲よりも親密だし、好意らしきものを感じることができる。進路先を一緒にしようと声をかけられたことが、決定打とも考えていいかもしれない。

 だけど、それを真に受けていいのか? と、踏み止まっている自分もいる。ネガティブ思考のもう一人の僕だ。永和は、あくまで僕を秘密を打ち明けてもいい親友、としか見ていないのでは? と思えてきたのだ。

 永和はいまでもやはりスクールカースト上位者であることに変わりはないし、彼とモブである僕が親密であることを、不釣り合いだという目で見てくる奴もいなくはない。

 それらのことを考慮すると、高校在学中のいまは、親密な友達、というポジションを維持している方が無難なのではないかだろうか。

 永和と進路を同じ大学にする事を決めてから数日間更に考えた末、僕は「僕と永和の未来を、関わり合いがなかったものへ変える」と言う願い事を取り消す報告をしに高倉神社へ向かった。

 制服のポケットに奇跡的に入っていた十円玉を賽銭箱へ放り投げ、柏手を打って僕はウトに向かってこう祈るように呟いて伝える。


「ウト、僕、やっぱり永和を忘れるなんて出来そうにない。もうすぐ死んじゃうかもしれないけど、一緒に生きていきたいから、あの願い事はなかったことにして下さい」


 なんて人間は虫がいいんだ、というウトの声が聞こえた気がしたけれど、それでそのまま僕の命が奪われる気配もなかったので、そっと目を開けて社殿の奥を見つめる。薄暗くてよく見えないけれど、あの白いカラスのような、不思議な鳥が描かれた掛け軸みたいなのが掛けられているのが見えた。僕は掛け軸に向かってぺこりと一礼し、境内を後にする。

 参道の石畳を歩き、もう一度社殿の方を振り返った時、きらりと何かが建物の奥で光った気がした。

 え? と思って足を止めて体ごと振り返ったけれど、社殿もその周りも特に変わった様子はなく、静かないつもの風景が広がっている。

 気のせいかな……と、向き直って歩き出そうとしたら、今度は明らかにはっきりと耳元でささやく声が聞こえた。


『この先はそなたの記憶とは全く違う人生になる。そなたの経験則なんぞあてにならぬからな、翠。心しておけよ』


 明らかにウトの声だ、と認識して辺りを見渡してもあの白いカラスの影も形もなく、耳元には厳かな声の名残があった。

 これは、神様であるウトからの最終警告なのかもしれない――折角願いを叶えてやろうとしたのに、それを突っぱねたのだから。

 僕の記憶の中にある後悔や悲しみを拭い去るために、さかのぼってまでやり直そうとした二度目の人生は、この瞬間を境に全く新たなものとなったのだろうから。



 ウトに報告したことですべてが丸く収まる――かと思っていたのに、新たな問題が生じる。

 進路先を東京から地元に変えたい、と担任である鶴賀と親に伝えたのだけれど、両者から待ったがかかったのだ。


「佐鳥の実力で東京を目指さないのはもったいない。親御さんが良いと言うなら挑戦してみろ。男なんだから、一度くらい東京に出たらどうだ」

「で、でも……あの、お金とか……」

「それぐらいどうにかするわよ。地方にいるより、東京の方が選択肢はあるんだから。ねえ、鶴賀先生」


 3者面談で2対1になってしまったことでまったく勝ち目がなく、加えて僕自身が大人に反抗できるような意気地がないこともあり、進路先の変更は帳消しになってしまった。

 折角永和が声を――そこに恋愛感情の有無はわからないにしても――かけてくれたのに、それをふいにしてしまった申し訳なさで、僕はどう永和に事情を話せばいいかわからなかった。

 そうしている間にも受験シーズンは深まっていき、毎週のように模試が行われ、学校の雰囲気も緊張感が増していく。


「翠~! 俺、受かったよー!」


 その間に、永和はスポーツ推薦を受け、無事に合格を勝ち取った。僕が進路先を変更できないままであることを伝えるよりも先に。

 ある日の昼休み、いつもより遅くに毎日昼食を食べている屋上で待っていたら、永和が走ってきて一番にそう告げてくれた。

 僕は聞いた瞬間嬉しくて、「すごい! やったね!」と言いながら、思わず永和の手を握りしめて飛び跳ねていた。

 永和の実力を侮っていたわけではないけれど、試験は別物だと言うし、何が起こるかわからないのが受験だ。だから僕は永和の合格の知らせが何より喜んだ。

 永和は僕のいつにない行動に面食らったらしく、目を丸くして驚いていたけれど、すぐにハグを返してきて、今度は僕が驚きで身を硬くする。


「と、永和?!」

「翠がこの前お守りくれたからだよ! マジで翠のお陰!」


 ありがとな! と言いながら、屋上にいる他の生徒の目も気にせずにぎゅうぎゅうと僕を抱きしめてくる永和に、僕は入試の前日に高倉神社のお守りをあげたことを思い出す。

 学問の神様ではないけれど、何もないよりはいいだろう、と言うだけの気持ちで永和に渡したに過ぎないお守りだったのに、永和はまるで僕が命の恩人でも言いだしそうな喜びようだ。

 熱い抱擁が恥ずかしいのと嬉しいのとが入り混じって、頬が赤くなっていくのが止まらない。前々から思っていたけれど、永和は本当にスキンシップが過剰だと思う。

 触れ合っている肌や髪から微かに漂う永和のにおいが、煽るように僕をドキドキさせる。もっと好きになれよと焚きつけているようで、正直理性が飛びそうだ。


「は、放して、永和……苦しいよ……」

「あ、ごめんごめん」


 どうにかして腕から解放してもらい、ようやく呼吸を整えたけれど、永和の嬉しそうな顔は変わらない。


「これで俺ら、一緒にのとこ行けるよな。翠の頭なら俺が受けたとこなんて楽勝だろ?」


 無邪気にさえ見える永和の言葉に、僕は何と返せばよかっただろう。永和とこの先一緒にいようと決めた矢先に、その第一歩である進路先がすでに遠く離れてしまうのがほぼ決定していることを、どう彼に伝えればいいのだろう。何をどう言っても、いま僕に向けられている笑顔が曇ってしまうことは避けられそうにない。


「翠? どうした?」


 何からどう永和に話そうと言い淀んで口をつぐむ僕の顔を、永和が覗き込んでくる。無邪気で曇りがない眼差しに、僕は隠している様々な真実に後ろめたさを覚えずにはいられない。

 結局、人生をさかのぼってやり直したとしても、僕が無力であることに変わりはないんだ。心は七年後の二十五歳のままであっても、見た目は十八歳の無力な子どものままなのだから。好意を感じていても、好きな人に想いを伝えることすら躊躇う僕に、彼と一緒に人生を歩む資格なんてないということなんだろうか。

 だから僕は、彼に微笑み返して嘘をつく。それが、ただ一つできることだ。


「ううん、なんでもない。すごいね、永和。合格おめでとう」


 なんでもない。そう言って、胸の中に抱える戸惑いと不安をないものにする。記憶の中の人生と言うガイドも答えもないこの先を、僕は自分で決めて生きていかなくてはいけない。


(でも、人生ってそもそもそういうもんだよね……)


 進学先が違うことで、一層永和と過ごせる時間が少なくなってしまう可能性が出てきているいま、些細な事でも彼と分かち合える瞬間が一層かけがえなく思えてくる。


「サンキュ、翠。マジで翠のお陰だから」

「じゃあ、お礼にマック奢ってよ」

「え~? 俺の合格祝いに翠が奢るんじゃなくて?」

「あ、そうなるのか」

「翠が受かったら俺が奢ってやるからさ」


 永和に笑いかけられながらそう提案され、僕は曖昧にうなずく。その提案が、実現されるかどうかわからない、むしろあり得ないかもしれないなんて言えないから。


(このまま黙って東京の大学を受験して、合格していたら……やっぱりそれも秘密にして……それで……)


 でもいつか近いうちに、僕が同じ大学に受験しないことは永和の知られてしまうのは確実だ。その時、僕はなんて言えば永和を傷つけずに済むのだろう。

 永和を、好きな人を裏切ってしまう。それが、僕の受ける罰なんだろうか? ウトは、自分で何とかしろって言っていた気がするのに。

 でも、それで済むのなら、結果として、最初の願い通りに永和との日々をないことにできる。それで本当にいいのかどうかは、わからないけれど。

 折角好きでいようと決めたのに、離れてしまうかもしれない。そのちぐはぐな現状に、僕は胸が押しつぶされそうに苦しい。

 永和が好きだし、残された時間ずっと彼と一緒にいたい。

 でも、いまのままだと、僕ら卒業式までしかいられないし、永和は僕が一緒の進学先だと思い込んでいる。

 絡まり合う現実問題に永和の懐っこい笑顔が重なり、胸が締め付けられる。ただ好きな人ともう少し一緒にいたいだけなのに……何でこんなに苦しいツラい想いをしなきゃなんだろう。

 永和にはもちろん、ウトにさえも言えない苦しみを抱えたまま、僕らはいつものように屋上で昼食を広げた。




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