第1話
これはきっと、いつまでも追い続けたいと願う片思いの物語。
ラブストーリーには程遠い。みっともなくて、空回りして、何度も失敗して。
それでも、ハッピーエンドを掴み取るために頑張った、私の物語だ。
皆さんこんにちは。空木杏花音です。
私は今、布団の中で丸まって現実逃避真っ最中です。って、誰に話しかけてるんだ。
思わず現実逃避してしまった。なぜこんなことになったのかというと……。
前世の記憶を思い出し、さらに今世が乙女ゲームの世界であることに気が付いた。
もう絶対ヤバいやつです。正気を疑われるやつです。
いろんな意味でちょっと泣きそう。
とにかく、まずは乙女ゲームについて思い出そうと頑張った。
しかし、ゲームのタイトルがどうしても思い出せない。何故かは分からないが、記憶に靄がかかったみたいに、そこだけはどうしても思い出せない。
その代わり、登場キャラクターやストーリー、設定などはスラスラと思い出せた。
もしかして、前世の記憶があることと、タイトルが思い出せないことに何か関係があるのだろうか……
ストーリーは至って普通の恋愛ゲーム。
高校入学と同時に引っ越してきた主人公が、3人の攻略キャラたちと出会い、仲を深めていく恋愛シミュレーションゲームだ。
ストーリーを進めるためには、コマンドを選択してパラメーターを上げる必要がある。イベント発生時にパラメーターの数値が条件をクリアしていれば、対象キャラとの専用イベントを見ることができるというシステム。この条件というのが、それぞれの攻略キャラごとに存在するライバルキャラのパラメーターより高いこと。
逆にパラメーターが条件を満たしていなかった場合は、攻略対象とライバルキャラのイベントが発生してしまう。
つまり、攻略キャラにはそれぞれライバルキャラと呼ばれるキャラが存在し、そのキャラよりもパラメーターが勝っていれば主人公のイベント、負けていればライバルキャラのイベントが進む。
攻略対象は3人。ライバルキャラもそれに合わせて3人存在する。
ただし、メイン攻略対象である空木杏也には、隠しパラメーター要素がある。それが妹の空木杏花音だ。
簡単に言えば、メイン攻略対象のみライバルキャラが2人いて、そのため難易度も高いのだ。
とまあ簡単にまとめるとこんな感じ。
至って普通の乙女ゲー。
私はその隠れライバルキャラみたいな存在。メイン攻略対象の妹。
とりあえず、異世界ファンタジーで命の危険があるとかお金持ちの娘で没落の危機があるとか、そんな重大な危険は無いので一安心。
しかも、直接主人公と争ったりするようなこともないポジション。
あれ? もしかして特に心配するようなこともない?
……うん。たぶん、ない。はず。
ゲームをフルコンプできなかったから、絶対の確証はないけれど。
でも、大分心が軽くなったのも事実。ちょっと安心。
私こと空木杏花音。
メイン攻略キャラの空木杏也の妹。幼いころから病弱で、いつも兄の後ろに隠れているような少女。病弱のため体力のパラメーターは低めだが、杏也のライバルキャラと合わせるとパラメーターが鬼のように高い。そのため杏也の攻略難易度が跳ねあがっており、杏也ファンからはライバルキャラと杏花音は煙たがられている。
かくいう私も、ゲームをプレイしているときは、他のキャラとの難易度の違いに何度も泣かされた。ライバルキャラ、パラメーター高過ぎ。マジ完璧超人。妹よりあっちのほうがヤバい。
それはさておき、杏花音は病弱という設定なのだが、実はこれには裏話がある。
後に発売されたファンブックにて、製作者が明かしているのだ。
『実は、杏花音は病弱ではないんですよ。幼いころに病気で寝込んだことがあって、それから両親や兄が過保護になってしまって。それで体力が無いだけで、実は杏也と同じくらい運動神経良いんですよ。というのは建前で、難易度高過ぎたので調整しました(笑)』
これを読んだファンは、病弱設定が無かったら難易度もっと高かったのか……! と戦慄したという。
このことを思い出した私は、体力づくりをしよう! と決意した。
運動神経が良いというのは自分では分からなかったが、熱を出して寝込んでしまったのは今世の私も同じ。家族に心配かけないように体力をつけることにした。
しかし、前世ではインドア派だった私。何をすればよいか全くわからなかった。
小学生が急に筋トレとか始めるのもな……
と悩んでいた時に、ふとテレビでバスケットボールの試合が放送されているのが目に入った。
(……これだっ!)
前世ではバスケなんて体育の授業でやったくらいの経験しかないが、バスケを題材にしたとある漫画が大好きだったのだ。
その漫画にドハマりし、バスケやってみようかな、でも今更なぁ、と二の足を踏んでいた私。
これはちょうど良い機会なのではないか。なにせ今の私は小学生。今更なんて言い訳することはできない。
今こそ前世でできなかったことをするチャンス。別にプロの選手になるとか大げさなことではない、チャレンジすらできなかったことにチャレンジするだけだ。失うものなんて無い。
ふんす、と気合を入れて立ち上がった。
のだが、
(それで、バスケの練習って何から始めれば良いんだろう……?)
ほぼ振出しに戻った。
とりあえず、家にあったボールを借りて公園に来た。
家の近所にある公園にバスケットゴールがあったのを思い出したのだ。
誰もバスケットゴールを使用していないのを確認して、漫画を思い出しながらシュートを打つ。
ゴールにかすりもしないどころか、全然届かなかった。
使っているボールは、子供用のゴム製のボールなので本物のバスケットボールよりだいぶ軽いはず、なのだが全く届く気配もなかった。
あと、おそらくシュートフォームも怪しい。きっとはたから見るとめちゃくちゃだと思う。
思い返すとちょっと恥ずかしい。
すいません、嘘です。結構恥ずかしい。
だけど、その時の私は、
(こんな難しいこと、軽々とやってたんだ! すごい!)
漫画のキャラたちと同じことをしている――正確には同じことをしているつもり――と、興奮して恥ずかしさなんて微塵も感じていなかった。
全然届かないゴールに向かって、不格好にボールを投げているだけ。
ただそれだけのことが、たまらなく嬉しくて楽しかった。
翌日、全身筋肉痛になって動けなかった。
家族に、杏花音は身体が弱いのでは? と心配をかけた。
やっぱり、ほぼ振出しに戻った。……ちょっと泣いた。