プロローグ
最初のイメージは水。
深くて暗い、底の見えない水の中。どこまでも沈んでいくイメージ。
沈んでいく私の周りには、いくつもの泡が見える。泡の中には、いろいろな私が映っている。
幼稚園のお遊戯会で歌っている私。
小学校の教室で勉強している私。
休み時間にグラウンドを駆け回る私。
友達と一緒に漫画を読んでいる私。
受験勉強に苦しんでいる私。
いろいろな私。
これが私の記憶だと気づいたのは、すべて私が知っている私の姿だったから。
幼稚園くらいから大学生くらいまで。正確には、大学に入学するほんの少し前まで。
私が生きていた十数年の記憶だ。
そう認識すると同時に、泡が私の中に流れ込んできた。水の中に沈んでいくイメージは、激流に流されるイメージに変わった。
激しい流れに逆らうことはできず、私は溺れた。
記憶の激流に流され続け、いったいどのくらい時間がたったのかもわからなくなったころ。
ようやく私は水面に顔を出した。まだ体は言うことを聞かず、流されるままだったが、それでも何とか目を開けることができた。息をすることができた。
「――ぁ」
最初に私の目に映ったのは、兄の姿だった。
先ほどまで私が見ていた記憶の中にはいない、今の私の兄だ。
「お兄ちゃん?」
「っ! うん、ちょっと待ってて!」
兄が慌てて両親を呼びに行く。
未だぼんやりとする頭で、先ほどまで見ていた記憶は以前の自分のもの。つまり前世の記憶なのだと理解した。
前世の記憶があるということは、良いことなのか悪いことなのかはわからない。
ただ、ぼんやりと、
(そう言えば、私、お兄ちゃん欲しかったんだ。夢、叶ったんだぁ……)
そんなことを思いながら眠りに落ちた。
私、空木杏花音には他人には絶対に言えない秘密ができた。
前世の記憶があります。
……うん。言えない。危ない人だって思われるのがオチだ。もしくは中二病とか。最悪、病院に連れていかれるかもしれない。
私自身、他の人が同じことを言ったら絶対信じない。
まぁでも、バレなければそんなに実害はない、と思う。たぶん。
何せ、その『前世の記憶』を思い出したのがつい先ほど。人間一人分の記憶という情報量の多さに、一時的に脳の処理能力がオーバーしたのだろう。記憶を思い出すと同時に高熱を出して寝込んでしまった。高熱の中、今世と前世記憶が混ざり合って、記憶がシェイクされて死ぬかと思った。いやマジで。インフルエンザで高熱を出したことあったけど、その比じゃない。
そんな命の危険を感じるような高熱も、記憶が整理されていくにつれてだんだんと下がっていき、今ではすっかり落ち着いている。
今の私は小学生。
そのことを踏まえてバレないように生活していこう。
今後の方針が決まったところで、横に目をやると眠っている少年が視界に入った。
今世での私の兄、空木杏也だ。
少し長めの黒髪。瞳の色も黒。非常に整った顔立ちをしており、小学生の今から将来は美形になることが容易に想像できる。
美形の兄である。
もう一度言う。
美形の兄である。
私は心の中でガッツポーズをとった。
前世でずっと欲しかった兄。しかも美形。そのうえ優しくて妹思い。今も熱を出した私を心配してずっと寄り添ってくれていたのだ。やだ、何この完璧な兄。好き。
私ブラコンになる自信がある。
というかすでにブラコンだった。
(美形で妹思い。成績優秀でスポーツもできる。流石メイン攻略キャラ、完璧にもほどがある)
……ん?
……んん?
攻略キャラ?
(うつぎ、あかね。……うつぎ、きょうや)
それは、私が前世でハマっていた乙女ゲームのキャラクターの名前。
兄の顔をもう一度見る。
……うん。幼いけど、ゲームで見た空木杏也の面影がある。
恐る恐る自分の顔を鏡で確認する。
そこに映っていたのは、ゲームで見た空木杏花音の小学生Ver.だった。
「……っ」
私はまた気を失った。
今度は高熱ではなくショックで。