五章 別勇者ナヴァイオ
人間界。北大陸東部。バドルクオン王国、王都。
女神暦最古の歴史を持つ由緒正しいこの国は、かつて人類が滅亡しかけた、死の七日間を生き抜いたバドルクオン王家によって代々統治されている。
王都は上空から眺めると見事な七芒星型を描いている。中心部には王城が据えられ、取り囲むようにして家々が立ち並んでいた。また、王城(中心部)から城壁(外側)へ向かっては、緩やかな下り坂となっている。
国民は無幻の才を色濃く持つ者が多く、国としても武力に優れている。
現国王が国家顧問想術師に命じ、無幻の力を生活基盤に組み込んだため、利便性にも優れた住みよい花の都だった。
しかし今は、瓦礫と化していた。
バドルクオン王国滅亡(正確には王都)の一報を受け、エリーネルンはノヴァールに調査を命じた。ノヴァールは即座に現地へ飛んだ。目の当たりにしたのが、全壊状態の王都と、そこここに転がっている死体だった。死体には傷跡があった。殺害されていた。
まったくもって酷い有様だった。
「いったいこの国に何があったというのでしょう……」
途方に暮れる心持になったノヴァールは、ひとまず半壊状態の王城へ向かった。対した理由はない。平らになった王都の中では、半分でも形を保つ王城が目立っていたというだけだ。
ところがそこで、ただ一人生存していた人間と遭遇した。
「………………魔人か」
何の感慨のなくつぶやいたその男にノヴァールは見覚えがあった。
ツンツンと逆立った金色の短髪。精悍な顔立ち。蒼天色の瞳。ネイヴィーのプレートアーマー。どういうわけか、髪も顔も装備も砂ぼこりで汚れている。しかし間違いない。バドルクオン王国が誇る勇者その人だった。
「お前は別勇――いや、勇者ナヴァイオ・プルースではないか……!」
ノヴァールら魔王軍には別勇者と呼ばれているナヴァイオは、半壊した城の、薄汚れた玉座に虚ろな表情で座っていた。
「お前はそこで何をしている。この国はいったいどうしたのだ?」
「俺はここで勇者を待っている。この王都は俺が滅ぼした」
「どういうことだ?」
「どういうことだって? そうだなぁ……始まりは俺が九死に一生を得てしまった時からだった――」
+++
俺はこの王都の近隣にある貧しい村の出身で、農夫をしていた。
四年前のある日のことだった。当時十六歳だった俺の全身を猛烈な痛みが襲った。太陽を飲みこんだように体が熱を持った。死ぬかと思った。実際に死にかけた。体中から出血していた。
だが俺は死ななかった。生き残ってしまった。目覚めた俺はとてつもないパワーに目覚めていた。
間もなく王国から使者が来て言ったさ。俺が勇者の加護を受けたのだと。俺は魔王を滅ぼすために選ばれた勇者なのだと、な。
すぐに王都へ連れていかれた。強制だったよ。毎日鍛錬をさせられた。鍬から剣に持ち替えさせられた。剣なんて触ったこともなかった。嫌だった。
俺のモチベーションを上げるためか、王様から、魔王を倒した暁には褒美として娘のオルキ姫と結婚させてやると言われた。
正直、正気を疑った。娘の人生を、女の人権を何だと思ってるのかと思った。
俺は答えたさ。――王女様がお嫌でなければ。
オルキ姫には婚約者がいたんだ。数年前、王都で行われた剣術大会で優勝した騎士だ。オルキ姫とは幼い頃からの付き合いで、二人は思い合っていた。剣術大会で優勝すれば何でも願いを叶えると王様が言ったから、その騎士はオルキ姫との結婚を願った。そして許されたはずだった。
それなのに王様は、俺への褒美にオルキ姫を差し出そうとしたんだ……。
俺は故郷の村に帰りたかった。結婚を約束した幼馴染が……カルティスがいたんだ。
一年ぐらいした。俺の修行はてんで捗っちゃいなかった。
そんな時だった。ある深夜、故郷の村が魔王軍の襲撃を受けているという報せが入った。俺は騎士達とともに急行した。村は焼き払われていた。親も兄妹も幼馴染も、他の村人達も惨殺されていた。いち早く駆けつけた騎士団も全滅していた。
「……魔王軍の襲撃……?」
なんだ? どうした魔人。
「ああ、これは失礼。どうぞ話を続けてください」
そうか。……。
俺は怒り狂った。復讐に燃えた。魔人達への恨みを糧に、修行に取り組んだ。ほどなくして俺は北大陸最強の勇者になった。
大いに喜んだ王様は、まだ魔王を倒していないっていうのに、オルキ姫と俺を結婚させた。俺は受け入れた。オルキ姫も望んでくれた。魔王軍の襲撃で俺は幼馴染を、オルキ姫は例の騎士を亡くしていた。大切な人を失った者同士、慰め合うには恰好の相手だった。
仲間も王様が集めてくれた。優しげな面差しの女性僧侶、屈強な体躯の男性戦士、全属性を操る男性想術師。俺の強さには匹敵しないものの、実力は確かで頼りになった。
二年が過ぎた。俺達は北大陸にはびこる魔人達を順調に倒していった。そろそろ東大陸にも手を広げてもいい頃合いだと思っていたが、王様に引き止められた。もう少しレベルを上げてからの方がいいと言われた。王様は俺を息子も同然と思ってくれていて、絶対に死んでほしくないのだと泣かれた。
感激した俺はこの王都にとどまった。考えてみれば、王国周辺には未だに魔人が、それも前に倒した覚えのある奴と同種の魔人が出現していたから、そいつらをしっかり根絶やしにしてやろうと思った。
仲間達も、魔王軍の力は未知数だから、レベル上げはいくらやっておいても損はないと賛成していた。
そして先月、西大陸で活躍しているという勇者の話が耳に入った。喜ばしい話しだった。俺も負けていられないと思った。
王様と仲間達に西大陸の勇者と合流したいと言ってみたが、いずれこの北大陸へやって来るだろうから待っていた方がいいと反対された。解せなかった。けれど、信頼する王と仲間達が言うのだから間違いはないと己を納得させた。
それでもやっぱり、西の勇者達のことが気になった。一目会ってみたかった。
俺はオルキ姫とベッドをともにした夜、それらのことを相談してみた。すると彼女は、思ってみなかった信じられない話を始めた。
『ナヴァイオ。黙っていましたけれど実はね、お父様や仲間達が別大陸行きを反対するのは、あなたを自分達の下で飼い殺しにするためなのですよ』
にわかには理解できなかった。質の悪い冗談かと思った。それか、オルキ姫の気が触れたことを疑った。
『聞いてください、ナヴァイオ。あなたは本当は勇者などではなかったのです。あなたに目覚めた勇者の力は、本来は王家の人間が背負わなければならないものだったのです』
それは死の七日間を生き抜いた王家に伝わる言い伝えだったという。再び人類に危機が訪れた時、勇者の加護を受ける儀式――〈勇者受命の儀〉によって、人ならざる力を手に入れ、その身を犠牲にして戦う。それこそがバドルクオン王家が背負った運命だった。
そして魔王が現れた。
しかし現バドルクオン王は、自らの子供らを犠牲にすることを拒み、運命を他人に押しつけようと企て、実行した。
近隣の村の中から適当に選んでは勝手に儀式を受けさせた。
俺は思い出した。俺が勇者の力に目覚めるより少し前、伝染病が流行っているからと、王都からきた使者が薬水を村人に飲まして回っていた。その後、本当に病が流行って幾人かが死んだ。全身から血を吹き出して。
そのことをオルキ姫に話すと、彼女は答えた。
『その薬水は〈勇者受命の水〉です。勇者の加護を与えるに相応しいかを試すもので、相応しくなければ全身から血を吹き出して命を落とすのです。勇者の素養がある王家の者でも、生き残れるかは五分五分。王家の者でない者が飲めば十中八九が死に到ります』
奇跡的に、あるいは不幸にも俺は生き残った。それはただの結果論であって、俺が生き残る確証など王にはなかった。自分の肉親以外の命などどうでもいいからだ。
オルキ姫は更に王の悪行を語った。
『ナヴァイオの村を焼き払ったのは魔王軍ではありません。お父様が騎士達に命じてやったことです。あなたの心の拠り所を奪い、魔人達への復讐心を持たせあるため。それと同時に私に心酔させるためです』
俺は呆然とした。オルキ姫の話が濁流となって聞こえて、俺は言葉の意味を上手く呑み込めなかった。今にも溺れそうだった。
『それからあなたが信頼する仲間達。彼らも悪逆非道の限りを尽くしてきた悪人です』
優しい面差しの女性僧侶は、自身が運営する孤児院の男児に性暴力を振う変態的嗜好を持つ好色で、人身売買にも手を染めている。
屈強な体躯の男性戦士は、強姦、強盗、暴行殺人の常習犯。幾人もの女性が自殺に追い込まれている。
全属性を操る男性想術師は、非人道的な現を編み出し、命を奪うことでその者が持つ寿命と属性を我が物としてきた外道中の外道。
悪人達の悪行を王は全て知っていて、自分に忠誠を誓うことと引き換えに見過ごしている。
俺は信じなかった。だが、オルキ姫の話を聞いていて、仲間達の行動に思い当たる節があった。違和感を覚えていたことがあった。
『ナヴァイオ。悪逆非道の王と彼らを討ちましょう。そして、あなたがこの国の王になるのです。私は妃としてあなたを支えましょう』
俺は答えた。――俺が王に? そんなのは無理だ。それに王子達がいるだろう。
『そんなものは殺してしまえば済むことです』
オルキ姫は笑っていた。歪んだ笑みだった。
俺はふと考えた。オルキ姫はどうして今こんな話を俺に聞かせるのだろうと。同時にどうして今日まで黙っていたのだろうと。
『私はあの男を許さない。私の愛する人を魔王軍の襲撃に見せかけて殺したあの男を!』
彼女は王を恨んでいた。復讐を考えていた。だから土臭い農夫あがりの俺との結婚を受け入れた。自身では葬り去ることのできない強き者達に守られた王。それに対抗する、いや、凌駕する力を持つ俺。その俺の復讐心を煽り、王を、王子達を護衛を葬り去る。
それが今この時。待ちに待っていた好機。
『殺してくれでしょう? ナヴァイオ。あなたは散々私の体を好きにしたのですから! やってくれるでしょう? ねえ、やって? やりなさいよ! でなければ、あなたなんかに抱かれてきた意味がないじゃない!』
俺とオルキ姫の間には何もなかったのだと悟った瞬間だった。姫との間だけじゃない。王都で過ごしてきたこれまでの日々は全て無為だった。無駄だった。ただ時間を、故郷を、思い人を、人生を奪われてきただけと知った。手元に残ったのは、深く暗い絶望と死のような虚無感だけだった。
気がつけば、俺はオルキ姫を手にかけていた。現を使ったから跡形も残らなかった。
俺は調査を開始した。オルキ姫の言っていたことが真実であるかを調べた。時間はかからなかった。全て嘘偽りない真実だった。
俺は頭から王や仲間達を信じていたから気がつけなかった。気づこうともしなかったからわからなかったけれど、疑念を持ってみれば、彼らの行動は不審な点だらけだった。権力でもみ消すだけの強引なやり方じゃ、隠し通せるはずもなかった。
俺は全員殺した。僧侶も、戦士も、想術師も。悪逆非道を知っていた、関わった者達、騎士も、大臣達も殺して、玉座に向かった。
王が待ち構えていた。てっきり逃亡するものと思っていたから、その潔さには感心した。
しかし違った。
王は想像を絶する醜い抵抗を試みた。玉座の間には幾何学模様の陣が描かれていた。想術師が施した想術陣と呼ばれるものだった。それは王都中に及んでいた。王が命じて、無幻による生活の利便性を図るためとして施されたものだったが、真実は違った。
王が想術陣を発動させた。最低最悪の想術陣の効果は、王都に住まう人々を王の意のままに操れる兵士へと変貌させるものだった。都民半分の命を想術陣発動のエネルギー(想)に変え、そのエネルギーでもって残る半分の人々を操る。
王は操った人々で俺に総攻撃をしかけてきた。老いも若いも、男も女も、子供も赤ん坊でさえも俺に向かってきた。
俺はまず王を殺した。そして王都中の想術陣を破壊した。それで人々が解放されるかと思った。
しかし、そうはならなかった。王の支配からは解放されたが、もはや支配される前の人々ではなくなっていた。まるで生ける屍のようだった。
俺は急いで想術師の研究書物を読んだ。頭の中を想で満たして操る際に、損傷させるとあった。損傷部分は癒しの魔法でも治らないとあった。
支配から解き放たれた人々は、本能のまま動くようになっていた。彼らは共食いを始めた。
だから俺は彼らを一人残らず殺した。
+++
――だから俺は彼らを一人残らず殺した。
北大陸の勇者は、聞くに堪えない話をそう結んだ。
「俺にはもう魔人も世界の平和もどうでもいい。ただここで勇者を待っている」
魔人、ノヴァール・グレイリスは理由を問うた。
「なぜだ?」
「俺は人間に絶望した。人間は弱い。人間は醜い。特に力――権力や富や身体的強さを誇る人間は腐っている。他人の命を、人生を何とも思っていない。だから平気で奪える。俺のように、な。それが人間の弱さだ。でも俺は、本当は信じたい。人間は強いと、人間は美しいと。権力や富や身体的強さを持つ人間は本来、他人の命を、人生を慈しむものだと。損得を考えず、救う存在だと損じたい。信じて……いる。それを見たい。俺はたくさん殺した。許されない。すぐにでも地獄へ落ちよう。だが、せめて最後に人間の強さを見ておきたい。だから勇者達を待っている。邪魔立てするなら、容赦はしない」
ナヴァイオは初めて事を構える素振りを見せた。殺気を漂わせる人間を相手に、魔人ノヴァールは深く頭を下げた。
「すまない」
「……なぜ魔人が謝る?」
ノヴァールは〈勇者計画〉をナヴァイオに説明する。全容を知ったナヴァイオの表情に大きく動揺が走った。
「自分達を殺させるため……だと……? そんな茶番のせいで俺は、俺達は……っ」
ノヴァールは自分の剣と首を差し出した。
「……何の真似だ……?」
「斬れ。こんなことで気が済むとは到底思えないが、私の首でもって贖わせてほしい。我らの行動がお前の人生を狂わせた。すまなかった」
ノヴァールが再び頭を垂れた。
「魔人が謝るのか。人間は誰も謝らなかったのに……。金を差し出すとか、自分と同じ甘い汁を味わわせてやるだとか、醜い命乞いをするだけだったのに」
勇者ナヴァイオは嘆き、天を仰いだ。しかる後、食いしばる歯の隙間から呻くように答えた。
「きっかけは、お前達だったことは確かだ。けれど、この結末への道を選択してきたのは人間(俺)達だ」
「必ずしもそうとは――」
限らない。そう続くノヴァールの言葉を、ナヴァイオは遮って言った。
「全部を全部、他人のせいにするほど俺は恥知らずじゃないさ。しかし、本当に愚かだな、人間(俺)達は。普通に魔王討伐を目指していればこうはならなかったのか。そうすれば誰も彼も殺さずに済んだのに。……ああ、俺は本当は誰も殺したくなんかなかった。ちゃんとした勇者になりたかった。なりたかった……なあっ……」
ナヴァイオは命が尽きようとしていた。
実は瀕死の怪我を負っていた。それは、王に操られた人々を助けるため、想術師の所を調べている間も、彼らの攻撃を甘んじて受けていたためだった。
塵も積もれば山となる。如何に驚異的な回復力を誇るナヴァイオであっても、多勢からの攻撃を何度も受ければ、その生命力にも限界が来る。
「できないならせめて……、せめて本当の勇者に会いたい……っ」
「その願い、私に叶えさせてほしいと言ったらどうします」
「……叶えられるのか? お前に」
「できなければ提案などしませんよ。ただし、あなたは人間ではなくなってしいます。それでも構わないと言うのであればですが」
「是非もない。俺はとうに人間じゃない。オルキ姫をこの手にかけた時点で……な」
ナヴァイオは手のひらを見た。自分の手を見ているとは思えない侮蔑の視線はしかし、ノヴァールの青みがかった手によって阻まれた。
ノヴァールがナヴァイオの手を掴み、握手の形を取った。
「これから私は、あなたの命を救うため、あなた主体での同化を行います。あなたをベースにあなたの肉体と私の肉体を融合させることで、あなたを延命させようというわけです」
「俺は勇者に会えるのなら本望だが、お前はそれでいいのか? 魔王はそれを許すのか?」
「ええ、これは私の本望でもあります。魔王様――エリーネルン様には許可を取っていません。反対されれば従わずにはいられませんので、あえてそうしました」
「なぜそうまでして俺に義理立てする?」
「贖いと、後は……情が移りました。ナヴァイオ・プルース、あなたに」
「おかしな奴だな」
二人は旧知の仲であったかのように微笑み合った。
「延命するとはいえ、あなたは魔人になるのです。それも、魔王軍五棘が一人、第一ノ棘のノヴァール・グレイリスと一つになる。すなわち、これからやって来る勇者に滅ぼされる運命にあるということです」
「俺の望みは勇者に会い、討たれることだ。それ以降の延命は望んじゃいない」
「わかりました。それでは、勇者達をよろしく頼みます――ナヴァイオ」
「茶番に巻き込まれたことは恨んでるが、ラストチャンスをくれたことは恩に着る。任せろ――ノヴァール」
まばゆい光が二人を包み、やがて消える。
そして一人の魔人と一人の人間は、一つとなった。
+++
――悲劇の臭いがする。どんどんと濃くなっていく。
我々魔人が綴る物語が原因となって起きた現実。それが、この海を越えた先で待ち受けていることを、わたくしは仮想ソサエティーを通じて知っています。
ですが、少年少女達は知り得ません。
あり得ない速度を出す帆船に必死にしがみつきつつも、その十個の瞳は進路を――薄くなった黒煙を上げるバドルクオン王国王都を見据えています。焦燥、不安、恐怖、勇気、そして希望を宿して。
お世話になっております、ピカラです。昨夜遅く、見張りの兵より伝令が入りました。バドルクオン王国王都が位置する方角に火の手が目撃された、と。
魔王軍の襲撃かもしれない。そう考えた勇者一行は、すぐさま出航を試みました。しかし、常より穏やかである方が稀な海洋です。夜間の船出は船長の許可がおりませんでした。シンジュ様の【キャッツ・ボウ】では航続距離が足りません。
結局、出航は夜明けを待ってからとなりました。
とはいえ、シンジュ様が加速してくださったので、大分時間を短縮できました。引き換えに、シンジュ様の想が空っぽになってしまいましたが。
王都は無残に、あるいは綺麗に崩壊していました。巨人がやって来て、邪魔な建物を踏み潰し尽くし、仕上げにと言わんばかりに均していった。そんな戯言を聞かされたとしても、真実味を覚えてしまいそうな光景でした。
いえ、事実の方がよっぽど戯言めいています。これを成したのは、一人の人間なのですから……。
「――だめだ。皆死んでやがる。くそがっ……!」
「城……だよね? あそこへ行ってみよう」
ティリオ様達は救援活動を諦めました。生存者がいないのですから、諦めざるをえません。
唯一建物の形を保っている王城へ向かおうとした、その時――
「それには及ばないさ」
不可思議な声が降ってきました。どう不可思議かと言えばそれは、二つの声が同時に同じ内容の言葉を発して聞こえてきたのでした。
続いて、声の主が瓦礫の上へと降り立ってきました。宙に浮いていた時と同じく仁王立ちのまま着地しました。衝撃で破片が飛び散ります。
「――ようこそ、勇者一行」
そのお声の一つはノヴァール様のもの。もう一つは別勇者ナヴァイオのものでしょう。
「俺の名は……ノヴァイオ。バドルクオン王国勇者ナヴァイオ・プルースと、魔王軍五棘、第一ノ棘のノヴァール・グレイリスが融合して生まれた混成物。お前達人類のエネミー。敵だよ」
お姿を拝見するのは、わたくしもこれが初めてとなります。
ノヴァール様の青みがかった肌はそのままですが、顔を正面から見た時、向かって右半分の金髪と蒼天の瞳が別勇者ナヴァイオ、左半分のオレンジがかった赤髪と黄色の瞳がノヴァール様となっています。よくよく見れば、編んだ襟足と竜の尻尾も残っているようです。
面持ちと髪型は別勇者ナヴァイオのものですね。装備している鎧、武器も同様です。
五棘【エスピーナ】たる証の青薔薇は、蔓を伸ばし、プレートアーマーの胸部分に巻きついています。
わたくしは場違いにも感心していました。人間との融合、それも人間ベースとなると、このようになるのだと。
しかし、ティリオ様達はそういうわけにはいきません。
「……魔人と融合して生まれた……?」
困惑の声を漏らす方がほとんど。シンジュ様だけが「ふぅーん」と淡白な反応を示していました。
「は……ハッ! いったいぜんたいどーゆー冗談だっつーんだ、ボケ魔人! 魔人と北大陸一の勇者が融合だぁ? どうせオレ達の動揺を誘おうって魂胆だろーが! 寝言は寝て言えいいやがれっ!」
困惑から無理やり脱したであろうオウレン様が啖呵を切るも、ノヴァイオ様(と呼ばせていただきます)は、悠然と応じます。
「俺の名を知ってくれていたとは光栄だな、西大陸の勇者達よ。だが、北大陸一の勇者というのはまやかしだ。そもそも俺が勇者であったこと自体が間違いだったのさ」
「……どういうことだ?」
「聞くな、ティリオ! 奴の術中にハマんぞ!」
「疑念を抱えたまま戦うのは得策じゃない。そうだろ?」
「わたしも知りたい。もしこの人の言う通りだとしたら、わたし達は魔人ごと人を――倒さなくちゃならないってことだから」
その瞬間、勇者一行の心に鎌のように鋭利な影が差しました。
プニカ様はその言葉を使いませんでしたが、倒すとはすなわち殺めると同意なのです。
「……だからだろうが」
オウレン様は血を吐くような声を絞り出しました。全てを承知した上で、あえて知らぬままでいようと、考えていたようです。それは恐らく、皆さんを思ってのこと。
慰めるように、マロウ様がオウレン様の背中をさすっています。
「耐えられるのかよ。オマエらに……」
誰もが逡巡する中――勇者が答えました。
「ありがとう、オウレン」
「ティリオ」
勇者は朴訥な笑みをもってして返事とし、それ以上は言葉を求めませんでした。
仲間達は異論の言葉を呑み込みます。ティリオならなんとかしてくれるだろう。勇者の言動とは、そう思わせてくれる力があるからです。
そしてノヴァイオ様が、別勇者ナヴァイオの半生と、魔人ノヴァール・グレイリスとの融合の経緯を語りました。
絶句。悲嘆。絶句に次ぐ絶句。また悲嘆。
勇者一行の若く柔らかな心は叩きつけられ、揺さぶられ、打ちのめされました。
畳みかけるように、ノヴァイオ様は剣先を突きつけました。幟型をした一風変わった形状の剣でした。
「この双剣は〈御旗の剣〉という。魔王軍討伐の旗印にして、人類守護の旗印。そう意味を込めてつけられた名だが、皮肉だな。今は人類殲滅の旗印となった。阻止したくば、この旗ごと俺をへし折ることだな」
堪らずといった様子でプニカ様が飛び出しました。
「待って! あなたは確かに魔人と融合した。でも基礎となったのはナヴァイオさんなんでしょ⁉ だったら、争う理由なんてない! そうでしょう?」
「俺は王都の民を、罪なき人々を殺した。そして魔人となった。俺は悪だ。お前達は勇者。すなわち正義。むしろ争う理由しかない――だろう!」
そちらから来ないのならこちらから行くまで。そう言わんばかりに、ノヴァイオ様がプニカ様に斬りかかってきました。
御旗の剣の切っ先がプニカ様の前髪へ触れようとする刹那、ティリオ様がプニカ様を突き飛ばし、同時にイバラレイピアで斬撃を受け止めました。
けれども相手は双剣士。即時に次の斬撃が繰り出されます。御旗の剣は見た目よりも軽量構造らしく、手旗を振るかのような手さばきで攻撃をしかけてきます。
とはいえ、手数の多さではティリオ様も負けません。たまゆらに全てを託する剣であれば、なおのこと。
刹那、刹那の斬り結びを演じてみせる両者。凄まじいラッシュに、ティリオ様以外の皆さんは邪魔にならぬようにしつつも、攻撃を挟むチャンスを油断なく窺っています。
その中、ティリオ様とノヴァイオ様は、斬り結ぶ度に言葉を交わしていました。
「おれ達は、別に正義じゃない」
「馬鹿な。お前達は正義だ」
「おれ達は命の恩人である死を殺められ、その仇を討ちたいだけの復讐者だ」
「悪を倒すのであればそれは正義だ」
「復讐者になったと感じた時、子供の頃に描いた勇者=正義の味方という図式は消え去った」
「消えて去ってなどいない。お前達はこの王都でいの一番に救援を行っていたじゃないか」
「目の前で苦しむ人々を放ってはおけないが、だからといって自分達を正義とは思わない」
「そう難しく考えるな」
「なぜなら! おれ達は魔人を殺めているからだ」
「それが何だ? 魔人は悪だ。悪を殺して何が悪い?」
「魔人を悪とするのは人間側の視点だ。魔人から見れば人間もまた悪かもしれない」
「では魔人が正義とでも? ならば悪である人類は討たれなければならないのか?」
「魔人もまた正義じゃない。人間と魔人は主義主張が異なり、相容れない。そこに正義も悪もない。相容れない相手を殺めている時点でどちらにも正義を語る資格なんてない」
「物語には正義と悪が不可欠だ! 殺める正義が必要とされており、勇者はそれが許される! そして勇者は必ず正義の徒でなければならない! 正義と悪で飾り立てなければそれはただの殺し合いだからだ!」
「だから! 勇者とは人類を守るためのただの力ある殺戮者だ! 一片たりとも正義であるはずがない!」
「それを人々の前で声高に言えるのか! 人々の心の安寧のため、勇者には正義を騙る責任がある! それに正義を騙らなければ、ただの殺戮者のお前達はいずれ迫害されるぞ! 過ぎた力を持つお前達を疎ましく思う人間は必ず出てくるものだ!」
「それは正義を騙っても同じことだ! 殺戮者が勝手に殺戮を行い、この人間界から去る。これこそが一番、人々の心の安寧になる……! それがおれが見つけた、おれの勇者の在り方で、おれが行き着く勇者の最期だ!」
このままでは埒が明かないと距離を取ったのはノヴァイオ様でした。しかしその表情は平然としています。それに引き換え、ティリオ様の表情は今までになく険しく、切羽詰まって見えました。
一方、観戦を余儀なくされていた皆さんは、間合いができたことにより、もようやく戦闘に臨みます。
「――待ってくれ。オウレンとマロウはシンジュの防御を頼む。プニカはおれに支援を」
上がる異論の声を制して、ティリオ様は続けます。
「見てくれこの汗。たった数分の削り合いをしただけだ。しかもおれは、いいように遊ばれただけだった」
滝のような汗の隙間から横目で窺い見てくる勇者の瞳が、切実に語りかけています。一瞬の隙が命取りになる、と。
「オウレンとマロウが俺を死守するのは超賛成。あちらさん、お次は無幻での削り合いをご所望みたいだし~?」
苦笑いを浮かべるシンジュ様。端正なお顔が若干引きつっているのは、ノヴァイオ様の体を取り巻く濃厚な想を目の当たりにしかたらでしょう。
「【常雨】」
ノヴァイオ様はノヴァール様の雨にちなんだ現を使用してみせました。【常雨】はただ雨を降らせるだけですが、体温を奪い、視界も悪くする地味に困る技です。また、その他の現を使用するための条件を満たす役割も果たしています。
「………………やばいのが来る、よ」
上擦ったマロウ様のお声。同意するオウレン様の三白眼も慄きに揺れています。かくいうわたくしも、ノヴァイオ様が練る想の凄絶さに、全身の毛が逆立っております。
「【冥土雨】――自分達を正義と認めろ」
それは想を使い果たす、渾身の一撃。天という器が割れ、貯水していた大量の水が落っこちてくる、最早、雨とも言えぬ雨。
わたくしの目には、天災が落ちて来るかのようでした。
天災を前に我知らず立ち尽くす面々。臆病などではなく、脳が思考を停止した結果でしょう。そんな中、踊るように飛び出してきたのは、男性化したプニカ様でした。
「【氷瀑】――三連撃! はああああああ!」
天災級の雨がみるみる凍りついていきました。
「【星六花】! 【樹枝六花】! 【扇六花】! 【十二花】!」
続いて、凍結が間に合わず一部漏れ落ちてきた水を利用し、氷の結晶を生み出しました。常であれば、人の顔くらいの大きさで、ダメージもそれほどない攻撃です。しかしどういうわけか、今は直径が十歳前後の子供の身長ほどあります。
雪の極大結晶でもって氷瀑化した天災級の水を砕き、プニカ様はこの重大局面を退けました。
「悪いけど……目の前にある水を凍らせるだけなら、大した苦労はないんだよ。ノヴァイオ。いえ、ナヴァイオ」
プニカ様がこともなげに言ってのけました。
(((カカカ、カッコイイイイイ~~っ!)))
ティリオ様とマロウ様、それからわたくしの心内歓声が同時に上がった瞬間でした。
「うっひゃぁ~~、た、たぁーすかったよぉ~~、プニカ~」
「さすがに死んだかと思ったぜ……」
「プニカ……っ、抱いて?」
「け、結婚してくれ、プニカ」
「こらこら! なに戦闘中に乙女モードになってるのさ? マロウもティリオも!」
珍しくシンジュ様が窘め役に回るその傍らで、オウレン様は地味にマロウ様の発言にダメージを負っていました。
「抱くも結婚もあとあと! ほら見てよ! 使い切ったはずの想が回復してってる!」
ばんなそかな。いえ、そんな馬鹿な。全想力を使い切る【冥土雨】を放っては、そうそう回復するはずなどありません。
ところが、わたくしの思い込みをあざ笑うかのような光景がそこにはありました。
「【ヒーローズ・カルマ(超体力&想力回復)】」
あわわわ、そうでした。失念していました。
別勇者ナヴァイオの現、【ヒーローズ・カルマ】は、〈勇者受命の儀〉で強制的に授けられてしまう、世界を救う勇者が背負った業。世界に訪れた危機から救世するまで逃れられない、戦い続けなければならない、戦い続けられるようにされてしまう、とんでもない現。
属性は土属性で、系統は日月両系統。
大地から生命エネルギーと想が補充され、常に肉体を強化される。ただの攻撃が【ヒーローズ・カルマ(超攻撃力強化)】で必殺技になり、防御であれば【ヒーローズ・カルマ(超防御力強化)】で絶対防御、速さであれば【ヒーローズ・カルマ(超回避力強化)】で絶対回避になる。最強にならされる。
「悪いけどな……ただ勝つだけなら、大した苦労はいらないのだよ。プニカとやら」
不敵に微笑むノヴァイオ様が口を開くと同時に、プニカ様も動きます。
「【冥土雨】」
「【氷瀑】――三連撃! 砕くのはみんなに任せる!」
「「「「おう」」」」
ティリオ様、マロウ様、オウレン様に加え、シンジュ様までもがわずかに回復したばかりの想を駆使して、氷瀑を砕きました。
「……なぜだ。お前ほどの術者であれば、凍結した時点である程度の操作が可能だろう? なぜ俺にぶつけてこない?」
「はぁ、はぁ……、わたしはあなたとは戦いたくない」
訝しげだったノヴァイオ様が、一転、白けた表情になりました。次の発言を聞くまでは。
「できるなら魔人達とだって」
「……なに?」
これにはノヴァイオ様だけでなく、オウレン様、マロウ様、シンジュ様までもが驚いていました。
「師匠達を殺められたことは許せないけれど、謝ってくれるなら折り合いをつけたかった。争いたくなかった。敵対したくなかった。でも、敵対した。そう決めなければきっと、誰も、なに一つさえ、救えないと思ったから。だから、魔人とはもう折り合いなんてつけられない。その時点はとっくの昔に過ぎてしまった。けど、あなたは、半分は人間のあなたならまだ間に合うでしょう!」
懸命に訴えかけ、手を伸ばすプニカ様。
答えるようにノヴァイオ様の手が上がり――振り払われた。
「手遅れだ」
無下に言い放ち、
「【ヒーローズ・カルマ(超想力回復】、【ヒーローズ・カルマ(超想力回復】、【ヒーローズ・カルマ(超想力回復】、【ヒーローズ・カルマ(超想力回復】、【ヒーローズ・カルマ(超想力回復】……」
ひたすら想の回復をし始めました。一度目の【ヒーローズ・カルマ】で完全回復したにもかかわらず、やめようとしません。
限度を超えての回復は、通常の無幻(たとえばプニカ様が使われる回復技)ではできません。完全回復した状態になおも回復をしても効果がない。意味をなさないのです。
しかし、別勇者ナヴァイオの【ヒーローズ・カルマ】は別でした。最強にならせるために、その限りがない。つまり、限界を超えて想を蓄え蓄え蓄えて、いよいよ耐えられなくなったノヴァイオ様の体が破裂するまで蓄え続けられるということです。
「……な、なんだ? あいつ光って……まるでキクバ師匠が話してくれた超新星みたいな――まさかっ!」
オウレン様も見当がついたご様子です。
ただでさえ、膨大な量を誇るノヴァイオ様の想。そこへ限界を超えて蓄えられた想が破裂するとなれば、その被害は甚大。破裂どころの騒ぎではありません。
おそらくは、大爆発となるでしょう。それも、王都一つを吹き飛ばすくらい容易い規模の。
「【ヒーローズ・カルマ(超想力回復】」
「今すぐ奴の回復を止めろっ!! あのヤロウは自爆するつもりだ! あんなやべー量の想が吹き出してここら一帯吹き飛んじまうぞっ!!!!」
弾かれたように動き出す面々。
「【特大火球】――二連……いや、三連撃!」
「【スカル】――五体……同時……くっ……生成っ!」
オウレン様、マロウ様によるお馴染みの、しかしながら進歩した必殺技。
「【ビウガ(ターン1:マイヤティヨル)】」
想が回復していないシンジュ様の攻撃は【ビウガ】。あまり想を消費せず、かつ(一定の時間を必要とする条件があるが)大ダメージとなる現です。
ターン1は、雪をはらはらと降らせるマイヤティヨル。ターン2が降った雪が巻き上げられるような嵐のザメット。ターン3が暴風雪のビウガとなります。
「【御神渡り】!」
【氷瀑】を上回るプニカ様の必殺技【御神渡り】。フィールド周辺を冷気で閉じ、地面一面に分厚い氷を発生させます。敵に向かって氷の大地に割れ目が走り、隆起した氷ともどもダメージを与えます。
攻撃は全て直撃しました。必殺技のフルコースとも言えるような壮絶なるラッシュを食らってもなお、無傷。
「【ヒーローズ・カルマ(超体力&超想力回復】」
反則的な強さ。それが、ヒーローズ・カルマ(勇者の業)。
成す術なし。万策尽きる。そんな言葉が、攻撃を繰り出した面々の脳裏を過る中、
「【御神渡り】!」
プニカ様はめげませんでした。
「絶対に諦めない! 絶対にあなたを死なせやしない! 止めてやるんだからっ――ナヴァイオ!」
「【ヒーローズ・カルマ(超体力&超想力回復】。――違う! 今の俺は魔人ノヴァイオ! 勇者ならば俺を倒せ! 正義を成せ! でなければ諸共に死ぬだけだ!」
信念と信念をぶつけ合い、咆哮する両者。マロウ様とエクリプス様の時のように、根競べに突入――
「……すまない、プニカ……。……すまない、ナヴァイオ。そして……」
――とは、なりませんでした。
ティリオ様が何をしたのか、にわかにはわかりませんでした。
ただ一瞬のこと。ノヴァイオ様を上回る想をイバラレイピアに込め、ノヴァイオ様の膨大な想ごと胸を貫きました。すると、一瞬遅れて、ノヴァイオ様の背後からレーザー砲のような光が放射されました。レーザーは半壊を保っていた王城を粉々にすると、そのまま空へと伸び、やがて消えていきました。
そして今、ノヴァイオ様が膝から崩れ落ちようとするのを、ティリオ様が受け止めていました。
こうして説明してみても、その説明した内容が自分で信じられません。現実感が希薄で、まるで都合のいい夢を見ているかのようでした。
「っひぁ」
過呼吸を起こしたかのような悲鳴ともつかない音。それがわたくしを、延いてはティリオ様を除く面々を我に返らせました。
「あぁぁぁ、あぁぁぁぁぁ……!」
受け入れがたい現実に直面したその嘆きの声は、プニカ様のものでした。先ほどの悲鳴もおそらくはプニカ様でしょう。
パニックに陥ったプニカ様のもとに、マロウ様とオウレン様が駆け寄ります。シンジュ様は刹那の逡巡の後、ティリオ様とノヴァイオ様のもとへ向かいました。
わたくしも、シンジュ様に続きました。
ノヴァイオ様は地面に横たわり、上半身をティリオ様に支えられていました。
もはや【ヒーローズ・カルマ】も発動しません。ティリオ様の一撃によって、想も、命も、業も消し飛んでしまったのでしょう。
わずかに残る生命の残滓が、この時を紡いでいます。
「……一つ聞きたい」
「なんだ?」
「殺す時、何を考えている?」
「……殺人で命を奪う。夢も、思い出も、意思も、その命が持っていた全てを奪う。この上ない理不尽だ。だからせめて、心を込めている。胸の痛みを、殺める相手を忘れないためにも、殺めることに慣れないためにも、心を込めて殺めている。想像を絶する悲しみを、苦しみを、怒りを、無念を、屈辱を思って……。それでも、戦うことでしか終わらない戦いを終わらせるために、おれは最後まで殺め、奪い続ける」
「――そうか。さっきのあの技。勇者の資質の証明だな、お前の。――もちろん他の奴も、あの子も。会えてうれしかったよ、勇者ティリオ」
「できればおれは、違った形で会いたかった」
「そうだな。……おい、そこの――水色の」
ノヴァイオ様がプニカ様を呼び寄せました。プニカ様は女性体に戻られていました。
「辛い思いをさせて悪かった。人殺しで半分魔人の俺を人間扱いしてくれて、最後まで諦めないでいようとしてくれて、ありがとうな」
そう言ってノヴァイオ様が差し出したのは、ノヴァール様の武器――雨竜でした。
「もらってくれ」
プニカ様は泣きながら受け取りました。思いが言葉にならず、ただ黙ったまま。しかし、とても丁重な手つきで。
そして――ノヴァイオ様は、崩れるようにして跡形もなく消えてしましました。
最期の最後、わたくしはノヴァール様側の黄色い瞳と目が合いました。最上級に優しく、最上級に美しく、最上級に詫び入った瞳をしていました。
+++
魔人界。魔王城。城部二階、玉座の間。
別勇者ナヴァイオと融合したノヴァールが没した。エリーネルンの手には、これまでと同じように、死した五棘が身に着けていた薔薇と同じ色の薔薇が現れるはずだった。
今回であれば青薔薇のはずだった。ところが、気韻ある五指の中に現れたのは、ただの青薔薇ではなかった。青を基調とした黄のしぼり模様が入った青薔薇だった。
「……見事なり。勇者ナヴァイオ・プルース」
薔薇を持つエリーネルンの手から、闇色に輝くサファイヤのような血が滴った。あり得ないことに、青薔薇には棘があった。それがエリーネルンの肌を傷つけたのだった。
「「「「「「エリーネルン様っ!」」」」」」
悲鳴交じりの声が六つ上がる。玉座の前にて膝を折っていたネルンソルダ達のものだ。腰を上げかけたネルンソルダ達――その中でも回復士であるグラウスは飛び跳ねん勢いだったが――を制し、エリーネルンは言う。
「よい。これが勇者ナヴァイオの意思であるならば、妾は甘んじて受け入れねばならん。むしろこの程度では足りぬくらいだ」
主の言葉は絶対。しかし、ネルンソルダ達の呼気が、
(何をおっしゃいますか!)
(玉の肌に傷などあってはならないこと!)
(別勇者め! 殺す! ……あ、死んでるか)
(……吐しゃ物の分際でエリーネルン様の麗しい体内を巡る清澄なる血を流させるなぞぉぉ!)
(痛いのイヤッス! エリーネルン様の痛みなら余計にッス!)
(わかっています。別勇者の運命を捻じ曲げた責任を感じてらっしゃるからでしょう。とはいえ……、とはいえっ……!)
といったように、それぞれの胸のうちを物語っていた。
「妾は間違っていた。そなたは濁流のごとく理不尽な運命の中、呑まれず、沈まず、汚れても汚れず、前へ前へと進み続けた立派な船――竜東鷁首であった。ナヴァイオ・プルース。そなたに最大級の敬意と心からの謝罪を贈ろう」
エリーネルンは黄のしぼり模様が入った青薔薇に向かって頭を下げた。直後、声なき絶叫が玉座の間に巻き起こった。
「そしてノヴァールよ。そなたが下した全ての判断を妾は支持する。そなたの花開く瞬間、しかと見届けた。大儀であったぞ」
最期まで主への不忠を気にしていた生真面目者を労い、慈しみ、エリーネルンは青薔薇を冠に挿すと、口跡よく呼びかけた。
「――我がネルンソルダよ」
「「「「「「はっ」」」」」」
「出番だ。じき勇者が来る。心してかかれ」
「「「「「「我が創造主エリーネルン様の御心のままに」」」」」」
「――ッス!」
ネルンソルダ達が退室した後、エリーネルンは独り言ちた。
「ノヴァールとナヴァイオを射止めたティリオの力はいったい……。あの夥多なる量だ。何かを犠牲にしなければ……いやしかし、ティリオの肉体や生命エネルギーに変化はなかった。ということは蓄積……? 旅立ちの日か、それより以前から想を蓄積していたのかもしれぬな……」
最終決戦を見越し、準備をしてきか。そう結論づけたエリーネルンは、誇らしげな笑みを浮かべた。が、それもすぐに哀切の表情へと変わる。
「されど妾を殺めるには……及ばぬであろうな」
魔王は微笑んだ。およそ魔王らしかぬ、まるでいつまでたっても迎えに来ない両親を待つ迷子の少女のような浮かべ、しかし、それが定めと諦観を決め込むことで自身を守る大人ぶったティーンエイジャーのように笑っていた。