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四章 淡雪の罪




 ――消したくても消せない罪がある。

 もうずいぶん前。何百年も前、魔人が人間界へ進出したことがあった。本気で地上を乗っ取るために。

 魔人界はエリーネルン様の手中にあったから、支配者になり損ねた魔人達は手つかずの地上を目指した。圧倒的強者がために魔王になったものの、権力欲にも支配欲にも乏しいエリーネルン様は彼らの好きにさせていた。今じゃ想像もつかないけれど、ノヴァールは当時ヤンチャをしていた時期で、人間界乗っ取りにノリノリだった。

 僕も地上を目指した。乗っ取りにノリノリだったわけじゃない。僕と同じ白い羽を持つ生き物に会いたかったからだ。魔人界には、黒やコウモリや昆虫のような羽を持つ魔人はいたけれど、真っ白な羽はいなかった。

 白い羽の生き物は、人間界では比較的簡単に見つけられた。赤いトサカを持ち、日本の脚でテクテク歩くニワトリという鳥だった。

 僕は嬉しくて、つい駆け寄った。それがいけなかった。


「おめさ誰だ! おらのニワトリさ近寄んじゃねえ! さては、最近ここらを荒らしまわってるニワトリドロボーだべな!」


 と、人間に怒鳴られた。

 僕は気が弱い。少しでも馬鹿にされたり、からかわれたり、罵られたりすると、まともに受け止めて落ち込んでしまう。怒鳴られたりしたら、びっくりして怖くなって、思ってもみない行動をとってしまうんだ。


「ひっ」


 短い悲鳴を上げながら僕は、咄嗟に天狗の扇を振っていた。そうしたら、「ブワァァン」と風が巻き起こって、その人間とニワトリを国ごと切り裂いていたんだ。

 たった一振り。たったの一振りで、僕はその国を半壊に追いやっていた。当然、ニワトリは死んでいた。真っ白な羽は真っ赤に染まっていた。僕を怒鳴った人も死んだ。関係のない人々もたくさん死んでいた。

 僕がころした。

 運よく半壊から免れたものの、生き残った人々は恐怖のどん底に陥り、半狂乱になっていた。僕は弁解した。違うのだと必死で否定すればするほど、人々は傷つき死んでいった。弁解する僕の手には天狗の扇があったんだから、当たり前だ。

 十五分にも満たない時間だった。現は使っていない。なのに、その国は滅んだ。途方もない力の差が魔人と人間にはあった。

 気がつけば、僕の白い羽と赤い肌は返り血で真っ黒に染まっていた。人間の血も、ニワトリの血も赤かったのに、いつの間にか黒く淀んでいた。命が失われた証のような色だった。

 僕は己のしでかしたことの重大さに慄いた。魔人界に逃げ帰り、魔王城の自室に閉じこもって震えていた。

 すぐにエリーネルン様が見舞ってくれて、僕は全部を打ち明けた。


「何もかも妾のせいだ」


 そんなことは絶対になかった。どう考えても僕が悪い。だけれど、同時期、地上を乗っ取りに行った魔人同士争いで、人類のほとんどが死滅しかけ、地上は傷みに傷み、魔人達も深手を負っていた。

 お優しく責任感の強いエリーネルン様が自身を責める材料が出揃い、更に僕が追い打ちをかけた。

 エリーネルン様は全魔人に人間界への手出し無用を命じた。そして手ずから生き残った人間達の保護をした。現在人間界で主流になっている女神信仰は、この時誕生したものだったりする。

 エリーネルン様は僕やノヴァールや他の魔人達のアフターケアもしてくださった。それだけでなく、僕達が滅ぼした国の人々や生き物を埋葬し、花を手向けてもくださった。本来なら僕達が……僕こそがやるべきことだったのに。


「あなたは過失。私は故意。人間を殺めた点は同じでも、私の方が遥に罪深いではありませんか」


 そう言ってノヴァールが慰めてくれたことがあったけれど、僕からしてみればどちらも等しく罪深いことに変わりなかった。

 自分と同じ白い羽の仲間と、日々を生き抜く人間達を殺した罪悪感。一日たりとも忘れたことはない。

 ずっと死のうと思ってた。でも、自死じゃダメだとも思ってた。人間にコロサレナクチャって思ってた。

 そうして募る罪悪感から逃れたい反動か、人間嫌いな言動が無意識に出るようになっていた。でも、そうやって人を毛嫌いしてみても、心はすり減るばかりだった。

 だから早く。シンジュ、早く僕をコロシニキテ?


      +++


 人間界ゲーデル。東大陸北部。ジオストシア共和国、首都。堅牢な城壁に守られた円形の城塞都市は、大陸随一の防御力を誇る。

 東大陸は全土が肥沃な大地であるからして食糧危機がなく、その余裕が首都の武力面を優れさせた。

 近年では芸術に力を入れており、街の景観も美しい。

 数年前までは王制だったのだが、王家内部でお家騒動が勃発。血脈は絶えた。後の共和制国家となり、現元首は王制当時に王の側近として政務の補佐をした人物が選ばれた。


「――てな具合でさぁ、勇者のニーサンネーサン方」


 首都について訊ねたところ、ジェイクさんが説明してくれました。彼は一つ前に立ち寄った町、テオトラガンアの住民で、町長の倅さんです。

 テオトラガンアを魔人から守ったお礼として、首都までの案内役を買って出てくれました。お陰で鉱山も迷うことなく通り抜け、首都の厳しい入門審査も手早く済みました。


 ――どうも、ピカラでございます。やって来ました、芸術を愛する街、ジオストシア共和国首都。美術館、博物館、歌劇場、サーカステント、芸術学校と、他の国ではお目にかかれない施設の目白押しです。

 町並みも、カードゥーンオ王国と比較すると華美で、少年少女の派手な装いすら馴染んでいます。


「【スパイダー】出しても、サーカスの芸ってことで受け入れられそう」

「ねーよ。戦闘狂にならなくなったとはいえ、エクリプスが遺してった歩行脚でゴッテゴテに強化したグロいもん、こんなお高くとまった町中で出すとか悪趣味っつーか犯罪だろ」

「その悪趣味な私が作ったイヤーカフスを耳につけておいてよく言うわね。文句があるなら返してもらうわよ?」


 マロウ様がオウレン様の耳を摘まみました。


「いぢぢぢぢっ! るっせー、放せ! これはもうオレんだ、誰が返すか!」

「大体、悪趣味さで言ったらオウレンの片手斧だって負けてないわよ。ギネーベスピアスみたいな配色してるじゃない」

「ヨリマサは、あいつをぶっ倒して手に入れた武器なんだから仕方ねーだろ……!」

「あら、じゃあ私にだって同じことが言えると思わない?」

「うぐっ」


 お二人とも、各々の師匠が遺された武器を、大層気に入っておいでてよろしゅうございます。


「いやー、こーんな服着た俺達が悪趣味の押しつけ合いしても虚しいだけじゃない~?」

 おっと、シンジュ様。それは言ってはいけないお約束ですよ?

「いぇいぇ」


 と、スオウ様(ロクレア様)作白スーツを擁護したのは、ジェイクさんでした。


「勇者のニーサンネーサン方が着てるソイツぁ、中々どうしてイカしてますぜ?」


 ――え?


「「「「「え?」」」」」


 わたくしが言えた義理じゃありませんが、そんな全員一致団結して驚かなくても……。


「ほら、よぉく見てくださいよ、皆サン方注目の的でさぁ。この街の住人は目が肥えてますからねぇ。あたしも親父おやじの仕事を手伝ってよく出入りするんで、多少は肥えてるつもりですさぁ」


 ジェイクさんが言った通り、行き交う人々の目は羨望に輝いていました。

 ――え~?


「「「「「え~?」」」」」


 ですから、そんな全員一致団結して戸惑わなくても……って、わたくしが言えた義理じゃありませんが。


「ははっ。勇者のニーサンネーサン方は、まだぁ本当のアートを知らないみてぇでさぁ。よし来た、あたしが美術館へお連れして、眠っているアートの目を覚まさしてございやしょう」


 甘いマスクをしたジェイクさんが自信満々に言ってのけました。そのあまりのうさん臭さに、少年少女は返事をすることを忘れ、美術館へといざなわれたのでした。

 ジオストシア共和国の首都、円形城塞都市は、大まかにいうと四つに区分できます。東西南北を十字に結ぶ大通りで区切られ、円の左上は聖騎士の隊舎、貴族学校、大聖堂、美術館といった公共施設、右上は貴族街、左下は平民街、右下も平民街ですが、城壁へ追いやるように隠された貧民街があります。

 また、東西南北を結ぶ大通りの先は開けており、北には城壁の要であるジオストシア城、東には平民用の教会、南は城門と噴水広場、西にはサーカステントがあります。

 一見カムフラージュしていますが、この街の中には、外の城壁に勝るとも劣らない明確かつ差別的な貧富の壁が立ちはだかっています。

 とはいえ、旅から旅の根無し草である勇者一行では、中々関わり合いになれない案件です。表立った部分では取り繕われていますし、ティリオ様達に隠された暗部を見抜けるほどの知識と人生経験はありません。窮状を訴える陳情があれば別ですが。


「――さあ、美術館にご到着でさぁ。隣に見えるのが博物館で、裏に見えるのが歌劇場。その奥が芸術学校。歌劇場の裏が貴族学校で、その隣が聖騎士軍の隊舎。そんで貴族学校の裏にあんのが大聖堂。そのお隣が、この大通りの突き当りでもあるジオストシア城でござぁい」


 ジェイクさんが叩き売りをする商人かのような勢いで説明してくれました。お見事、まさに立て板に水。


「私の中のアートの目が目覚めちゃったらどうしよう」

「おうマロウ、そん時はオレが目つぶししてやっから安心し、ぃぎ――ってぇ!!??」

「大丈夫? その目じゃせっかくの美術館も楽しめないだろうし、外で待ってれば?」

「マロウ、お前なぁ! 冗談もわかんねーのか⁉」

「オウレンさん、美術館ではお静かにでさぁ」

「そうよ、オウレン。美術館ではお静かにしてくださーい」

「うっぜぇぇぇ!」


 マロウ様、オウレン様、ジェイクさんが先立って入館。


「わたし彫像とか見た~い。ティリオは?」

「おれ、点描画」


 続いてプニカ様、ティリオ様が入館。

 ジェイクさんより「猫ちゃんは入館禁止でさぁ」と言われましたので、わたくしは定位置であるプニカ様の肩から降り、お留守番です。


「俺もピカラと一緒に外で待ってよーっと」


 わたくしを気遣ってか、シンジュ様は中へは入らず、街路のベンチへ腰かけました。しかし、せっかくの美術館ですのに、よろしいのでしょうか?


 わたくしは念のため窺いを立てます。


「ナ~ゴ?」

「いーの、いーの。アートに興味ないし、いーのなのだよーだ」


 そう言いながら、シンジュ様はふと、ジオストシア城を眺めました。耳飾りの琥珀がそよ風に揺れて、キラキラ光っていました。


 二時間ほど経ち、美術館見学組が帰ってきました。


「ああっ、私今無性にシルバーアクセサリーが作りたい……! 作ったらプニカにあげるね? とびっきり可愛いデザインにするから」

「うれしい! じゃあお揃いにしようよ~、マロウ!」

「プニカとお揃い……あ、ティリオとプニカのエンゲージリングも私に作らせてね?」

「やぁん! マロウ好き!」

「言っておくけど、オウレンにはもう何も作ってあげないから」

「はぁー? 別に欲しかねーよ」

「オウレン……。マロウ、えっと、おれもオウレンとシンジュの三人で、お揃いのアクセサリーが欲しいな、なんて」

「ティリオ、いらねー気を回すんじゃねー」

「でも、オウレン」

「オリャもうコイツらだけで満足なんだよ」


 オウレン様は、右耳につけた三つのイヤーカフスを見せつけました。


「ははぁーん」

「ほぉーん」

「へぇー、はぁー、そういうことですかい」

「そのムカツク顔やめろ! プニカ、ティリオ、ジェイク!」

「……今の方がもっといいアクセサリーが作れるのに」


 青い春を繰り広げる少年少女達の背後から、権力者っぽい大人達が出てきました。出入り口で立ち止まっていたことに思い当たったのでしょう、ティリオ様達がわたくしとシンジュ様のもとへ移動してきました。


「シンジュー! おっ待たせー!」


 プニカ様が元気よく上げた手を振りました。

 その大声に驚いたのか、権力者っぽい大人達の中でも一際権力者然とした紳士が、こちらへ振り返りました。そして、鋭利なナイフを思わせる細い目を、これでもかと見開きました。あまつさえ、夢遊病者のような覚束ない足取りで向かってくるではありませんか。


「ナ~ゴ!」


 わたくしが警戒の声を上げるが早いか、鋭い目つきの紳士が、シンジュ様の両肩に縋りつかんばかりの勢いで言いました。


「――その面差し、シンジュ様ではありませんか?」


 紳士の圧の強さに、シンジュ様は及び腰になっていました。周囲へ助けを求める視線を投げかけつつ、とりあえずと言った様子で訊ねました。


「えぇ~っと? おじさん、だれ? なの?」


 ティリオ様達も同様の疑問を抱いていることが、表情から窺えます。ジェイクさんは一人、陸揚げされたお魚になって口をパクパクさせていました。


「無礼者! その御方はジオストシア共和国の元首であらせられるのだぞ!」


 ツカツカと駆け寄ってきたそこそこ権力者っぽい中年男性が怒鳴り散らしました。しかし、我らがシンジュ様は意に介さず問い返します。


「あっそう。んで、その偉いおじさんが何で俺の名前を知ってんの?」

「貴様!」

「構わない」


 鋭い目つきの紳士、基、ジオストシア共和国元首は、側近らしい中年男性を制しました。


「し、しかし!」

「すまないが、急用ができてしまった。この後の予定については日を改めさせてくれないか?」

「へ? いやしかしですね、元首……」


 食い下がろうとする側近を、元首は眼光鋭く見据えました。有無を言わせぬ迫力というやつですね。近くにいたシンジュ様が「目、こわ~」と正直な感想を漏らしています。


「……か、かしこまりました」

「無理を言ってすまない。恩に着るよ。――それで君達、時間はあるかな。あるならば、これからジオストシア城までご足労願いたいのだが……」

「え? やだ、めんどくさ――」

「もももっ、もちろんありますでさぁでございまさぁ!」


 陸揚げされた魚から水を得た魚になったジェイクさんが、勝手に了承してしまいました。しかも、過剰にかしこまろうとした結果、ヘンテコリンな言葉遣いになっています。


「ありがとう。では、ついてきてくれたまえ」

「はいでさぁ!」

「もしもしジェイクさん? 何を勝手にアレコレ決めちゃってくれてるのかな?」

「いいから行っときやしょう、シンジュさん! この国一番の権力者とのパイプなんて作らにゃ損々でさぁ!」

「俺達、商人じゃないんだって」

「いンや……ジェイクに一理あるな、これは。なあマロウ?」

「そうね、オウレン。私もぜひ話を聞きたいわ」


 パーティーのまとめ役であり、交渉事も請け負っているオウレン様とマロウ様にこう言われては、従う他ありません。


「何なんだよ、もう。二人とも目の色変えちゃってサ~」


 口を尖らせるシンジュ様。ティリオ様が肩を叩いて諭します。


「あの人がシンジュのことを知ってる風だったからだよ、きっと。シンジュだって気になるだろ?」

「ならない。そーゆーのめんどくさい」

「キッパリ言うなぁ~。でもわたしは気になるよ。五人の中でシンジュの過去だけが真っ白なんだもん。シンジュ本人はきれいさっぱり忘れちゃったって言うし、ウルシ師匠だってその耳飾り以外何も知らなかったみたいだからね。つきとめちゃうぞー、シンジュの生い立ち!」


 俄然やる気のプニカ様は、ティリオ様を相手にシンジュ様の生い立ちをアレコレと推察し始めました。

 元首の後に続く仲間達から一人遅れるシンジュ様が誰に言うでもなくつぶやきました。


「あの人は知ってたよ。知ってて何も教えなかった。そしてそれはウル師匠だけじゃない……」


 かくして我々は、ジオストシア城へ足を運びました。


      +++


 ――引き続き、ピカラがお送りしています。ジオストシア城へ招かれた我々は、三階の元首執務室へ通されました。同行していたジェイクさんは、一階のエントランスホールにて別行動となり、応接室へ案内されたようです。


「三階はこの執務室の他には私室と書庫しかない。私が許可するまで何人も三階へ続く階段には近寄らぬようにも言ってある」

「ご用件を伺いましょう」

「そのための人払い。そのためのこの場所。……だろ?」


 マロウ様とオウレン様が挑むように言いました。少年少女らは、執務机の対面に並べられた五脚の椅子に腰かけています。腰かける前に、まず名前を名乗るだけの軽い自己紹介をしました。向かって右から、ティリオ様、プニカ様、シンジュ様、マロウ様、オウレン様の順です。何だか集団面接のようです。

 面接官、いえ、元首は少年少女らを油断なく観察していました。しかし、そうとは悟られぬように背筋を伸ばし、胸の前で手を組み、紳士然と振舞っています。そして、マロウ様、オウレン様の言葉を聞くと、口元に薄っすらと笑みを浮かべました。


「話が早くて助かるよ。では単刀直入に言うとしよう。――そこにおられるシンジュ様は王族です。それも、かつてこのジオストシアに君臨していた王族の唯一の生き残りです」


  息を飲む声が二つ上がりました。

 ……ええ、二つだけです。それもそのはずです。だって――


「え~? そうかな~? そんなことないって~」


 シンジュ様は、自分が人並み以上に可愛いことを自覚しておきながらも、他人から「可愛い」と言われると、「そんなことないってば~」と謙遜してみせるあざとか可愛い女子のようになり、


「シンジュは気品があるもんな!」


 ティリオ様は大層喜び、


「王族かぁ~、うんうん! 納得、納得~!」


 プニカ様は頷き、はしゃいでいましたから。

 これには、さしもの元首も紳士然とした佇まいを崩れ、呆気に取られていましたが、


「えっと、そっちのお無邪気三人のことはしばしお気になさらず。それよりも、詳しい話をお聞かせ願えますか?」


 マロウ様に水を向けられ、居住まいを正し、語り始めました。


「これは数年前、我がジオストシアがまだ王制だった頃の話です。シンジュ様はジオストシア王の四人目の御子として生を受けました。王位継承権は第四位。しかしながら、王位継承権第一、二位にあたる兄上方は既に成人しておられましたので、シンジュ様は王位の継承争いとは縁遠くありました。末の子とあって、ジオストシア王と御妃も大変可愛がっておられました。しかし――」


 元首の口元から笑みが消えました。


「シンジュ様は人並み外れた才覚を授かっておいででした。御年三つにして学問と政治に精通するばかりか、無幻に至っては、類を見ない恐るべき風属性の才をも持ち合わせていたのです。ジオストシア王はそれはもう喜ばれました。歓天喜地のあまり、シンジュ様が五歳になった暁には、王位を譲るとまでおっしゃいました。シンジュ様を幼君とし、自らと他のご兄弟達で幼い王を支えるのだと決めてしまいました。それが、いけませんでした……」


 元首の話に聞き入っていた少年少女らは、身を乗り出しました。蚊帳の外扱いになっていたお無邪気三人も、一緒なって聞き入っています。


「シンジュ様の三人の兄上は王位継承権を失いました。いかにシンジュ様が神童とはいえ、お三方の無念は察するに余ります。彼らは手を組み、あろうことか、シンジュ様を亡き者とする計画を企てました。とこれがこれをシンジュ様ご本人に見抜かれてしまいました。当然、王からお叱りを受けたお三方は、勘当を言い渡されたことで逆上し、王を……父上を手にかけてしまったのです」

「そんな……」


 プニカ様が嘆きました。誰もが項垂れて暗い表情を浮かべる状況の中、ただ一人、当のシンジュ様だけは平静そのものでした。


「お三方は口裏を合わせ、協力体制を取っていましたが、王を手にかけた高ぶりからでしょうか、次第に口論が生ずるようになりました。完全に常軌を逸してしまったのでしょう。仲たがいはやがて殺し合いにまで発展したのです。御妃様は、いち早く事態を察した臣下の助けを借り、シンジュ様を連れて城壁の外へと逃れました。しかし、殺し合いを制したご長男に見つかってしまったのでしょう。我々が駆けつけた時には、殺害された御妃の遺体と、自害されたご様子のご長男の遺体のみが残されていました。周辺をくまなく探しましたが、ついぞシンジュ様を見つけることは叶いませんでした」


 壮絶なる話にして、凄惨なる結末です。初見でないわたくしでさえ圧倒されてしまったのですから、初めて知る少年少女ら、特にシンジュ様の胸中を思うと心苦しくなります。


「どうしてそのシンジュが俺だって言えるの? 確かに名前は一致してるけど」


 わたくしの心配どころか、圧倒される周囲も、壮絶な話の内容すらどこ吹く風といった様子で、シンジュ様が訊ねました。強心臓というやつでしょうか。


「その耳飾りですよ、シンジュ様。その琥珀の耳飾りは御妃様のもの。亡きがら一つ紛失していたので、落としたものと思っていましたが、あなた様に託されたのですね」

「あー、形見分けで発覚か」

「それだけではありません。その高貴な面差しも、亡き御妃様と瓜二つでございます。何より、あなた方のその白い装い。カードゥーンオ王国を二度も魔王軍から守ってみせた勇者一行の武勇伝は聞き及んでいます。強大な魔王軍に対抗しうるその力、類を見ない恐るべき風属性の才こそ、あなた様がシンジュ様だと如実に物語っているではありませんか」

「言われてみればそうですね!」

「わたしもそう思います!」

「え~? そうかな~? 俺の顔面ってそんなに高貴かな~?」


 と、お無邪気三人のお返事。


「先ほど名を名乗る際は旅人と言いましたが、元首がおっしゃる通り我々は魔王討伐を目的としています。その行動の結果、勇者一行と呼称されるようになりました。ご紹介が遅れて申し訳ありません」


 マロウ様が頭を下げた刹那、元首が愉悦の笑みを浮かべるのをわたくしは見ました。しかし、即座に表情を引き締め、誠実さを取り繕いました。


「やはりそうでしたか。人類を代表してお礼を申し上げます」


 元首は起立し、深々と頭を下げました。

 少年少女らが何かを言うより先に、「――と同時に、ご相談があるのですが」と、顔だけを上げて言いました。


「現在この街は五棘エスピーナの一人に支配されているのです……」

「――話を伺いましょう」


 マロウ様がそう促し、残る少年少女らも真剣な面持ちになって頷きました。……あ、いえ、シンジュ様は面倒そうな顔をしていました。

 元首曰く、一見穏やかそうに見えるこの街は、これまた一見温厚そうに見える子供の魔人の支配下にあるという。街の破壊や、大量殺戮されるという被害はないものの、月に一度生贄を一人捧げるようにと強要されている。言う通りにしなければ、国民を皆殺しにすると脅され、泣く泣く従っている。


「国民を守るための苦渋の選択でした」


 元首は顔を覆い、嗚咽を漏らしていました。やにわに立ち上がり、舞台役者のように言いました。


「どうか、どうか皆さんのお力で、魔人淡雪を討伐してはいただけないでしょうか! この国を、国民を、シンジュ様の故郷でもあるジオストシアを! どうか救ってくたさい、勇者ご一行の皆さん!」


 元首の熱烈な訴えに引っ張られるように、ティリオ様とプニカ様が勢いよく、そして快く応じました。


「わかりました!」

「任せてください!」


 大船に乗ったつもりでと言わんばかりに胸を叩いています。

 マロウ様とオウレン様は少々渋い顔を、シンジュ様は思案顔をしていました。


「――となれば、決戦は明後日がよいでしょう。丁度、生贄を捧げる日なのです。お一人は生贄役を、他の皆さんには生贄を運ぶ係りの者に成りすましてもらいましょう」

「完璧ですね……! そうしましょう。おれが生贄役をやります!」

「恐れ入ります。……いえ、生贄は子供と決まっていますので、ティリオ様ですと少々無理があるかと」

「じゃあ、わたしならどうですか?」

「プニカ様であれば誤魔化せるでしょう。危険な役になりますが、なにとぞよろしくお願いします」

「淡雪って魔人はどこにいるんですか?」

「淡雪はここより西、ザナンビ火山地帯のザナンビ湖内に建った《天の翼》という教会を根城にしています。非常にわかりやい場所ですので、案内がなくともたどり着けるでしょう」

「わかりました!」


 とんとん拍子で事が決まっていきます。ティリオ様とプニカ様に交渉事を任せると、大概こうなるのです。いつもであればマロウ様かオウレン様がストップをかけるのですが、今日は静観を決め込んでいるご様子です。


「ありがとうございます。ああ、今日は何と良き日でしょう。シンジュ様がご帰還され、勇者ご一行が助力してくださる。前祝をいたしましょう! 皆さんが思う存分英気を養えるよう、もてなさせてください!」


 人が変わったような元首の発案で宴が催されました。

 場所は二階の大広間。豪勢な料理がどんどん運び込まれていました。美術館前で会った側近らしい中年男性や上級文官が集まっており、ジェイクさんの姿もありました。

 ボタンをかけ違えたようなどこか釈然としない歓待を受け、夜が更けていきました。


      +++


 ジオストシア共和国首都。貴族街。元首邸宅内、二階客室(男性陣用)。

 宴の翌日、シンジュは昼過ぎに目を覚ました。通常であれば起こしてくる人(オウレン、ティリオ、マロウ、プニカのいずれか)が起こしに来ず、寝坊をした。

 客室にはシンジュの他に誰もいなかった。身支度を整え、女性陣用の客室を訪ねてみたが、そちらも同様だった。

 不審に思ったシンジュは一階の応接間へ向かった。

 するとそこには、元首が待ち構えていた。

 悠然とソファーに腰かける元首を一目見ただけで、シンジュは大体の事態を察した。

 シンジュは無言で元首の対面に腰を下ろした。

 応接間の隅に控えていたメイドが静々と進み出てきて、シンジュの分のお茶を用意した。彼女もやはり無言だった。


「ありがっと」


 シンジュはメイドに言い、お茶を一口飲んだ。


「……で、何が望み? ティリオ達は俺を残して魔人淡雪討伐の真っ最中~。そしてそれはおじさんの差し金。生贄もたぶん魔人側からの指示じゃなくて、おじさん達腐った大人側からの提案だね、はあーあ。俺、ティリオ達を追わないといけないから、話は手短にしてねぇ~」


 枝毛を気にしながら、さも面倒くささそうに言い放ったシンジュに対し、元首は隠し立てすることなく、厳かに言い返した。


「さすがはシンジュ様。全てお見通しでしたか。しかしそれはなりません。みすみす王家の血筋を絶やすわけにはいきません。あなた様はこの国の王になる資格をお持ちだ。いや、ならなければならない。これは決定事項なのです」

「おじさんが欲しいのは王家の血筋を引く傀儡でしょ? ていうか子供の命を差し出して生き延びる国の王なんかご免被るね。子供の命を差し出すくらいなら、いくら俺でも戦いを選ぶ」

「戦いなど! 学も金もない大した血筋でもない輩にやらせておけばいいのです。戦うこと、命を捨てること以外に能がないのですから! 高貴な我々は己と財を守るべきなのです!」

「そんなこと言っちゃって、明日もし魔王に世界を滅ぼされたらどうするの? その時、財や血筋になんの意味がある? お前が守ろうとしているものは、今の生活が続かなければ価値がない。なら本当に守るべきものは今の生活、今の世界、つまり今を生きる人達じゃないのか?」

「それは極論が過ぎるというものです! シンジュ様、どうか考えを改めてくだい。よいではありませんか。勇者が淡雪を倒しさえすれば生贄は必要なくなるのです。負けたとしても、生贄を捧げ続ければいいだけのことです。淡雪は魔人ですが、頭の中身は愚かな子供そのもの。生贄を餌にいくらでも言いくるめられます。これまでがそうであったよう――」


 もうたくさん、とでも言うようにシンジュが声を張り上げる。


「そーなんですよ、これが人間のテンプレなんですよ! わかりきった理想の形が見えているのに、絶対にそこへたどり着けない憐れな生き物は? じゃん! にんげ~ん! へはっ!」

「……シンジュ様?」

「でも、わかりきった理想の形を見据えてそこへたどり着こうとする人――テンプレ外の人もいる」


 何でもできたがために父に認められたが、何でもできたがために兄達に嫉妬され、父と母を死に至らしめ、自分の命を奪われかけた。だから俺は何もやらないようにした。万事において消極的。万事においてネガティブ。万事が万事面倒くさい。そう生きた。別に見放されてもよかった。けど、師匠達とティリオ達は、誰一人として俺を見放さなかった。師匠達は、まあ、ともかく……ティリオ達はそれぞれ大変な目に遭ってきたくせにね。

 恐ろしく利己的な人間がいる一方で、恐ろしく利他的な人間がいる。


 例えば、我が子を守るためなら死も厭わない母親。見ず知らずの人達のために勝てない相手に挑む勇者とヒーラー。仲間から逃げていいと言われたにもかかわらず、助太刀してしまう戦士と変則剣士。国民のために私財をなげうつ王。村民のために一刻も早い瓦礫の撤去と復興をと、日夜励む兵士達。厳しい避難所生活の中にあってもお互いを助け合う人々。

 それから、元首に唆されるまま戦うことが好きじゃない仲間を安全圏に残し、魔人淡雪の討伐へ向かったであろうお人好し達。


「そもそも、たかだか十六年しか生きてない子供が命を懸けて戦わなければ滅んでしまう世界なんて、滅んだ方がよくない? だってそんな社会間違ってると思わない? 思わないんだよなぁ~、ティリオ達って。そういう誰かのためにって諦めない人達がいるせいで、俺は俺や人間を見限れないんだよな……困るよねー、まったくさ!」


 語気を強めたシンジュに同調するように、つむじ風が応接間に巻き起こった。その混乱に乗じてシンジュは元首邸宅を飛び出す。言葉とは裏腹にシンジュの面持ちは心底愛おしげだった。

 向かうはザナンビ火山の麓、ザナンビ湖に建つ教会――。


     +++


 天の翼。現ジオストシア元首によって数年前に建てられた、童神を崇める教会。管理、維持も元首指示のもとに行われており、許された者しか立ち入ることができず、それ以外の者は近寄ることすら許されていない。

 とはいうものの、溶岩の川が流れる灼熱の危険地帯であるザナンビ火山に近づこうとする者は元々少ない。希少な鉱石を採掘できるが、その危険性がゆえに、王制時代では罪人が鉱夫として働かされていたので、不名誉と思う国民が多いことも関係しているかもしれない。刑罰は現ジオストシア元首によって撤廃された。


 ――ごきげんよう、ピカラでございます。白い羽を持つ童神(どう考えても淡雪様のこと)が住んでいると巷で噂の教会、天の翼へやって来ましたが、どうなんでしょう? おかしいですよね?

 元首さんは童神を崇めるために教会を建てました。

 ジェイクさんや首都に住む人々は、天の翼には白い翼を持つ童神が住んでいると思っていました。

 ところが天の翼は、白い翼を持つ魔王軍五棘エスピーナの淡雪様が根城にしており、月に一度生贄を捧げさせているのです。

 これらが意味することとは――?


「ウルシ師匠の仇を取らせてもらう。それから、ジオストシアの人達が崇める童神の名を騙り、その信仰心を悪用したこと、到底見過ごすわけにはいかない……!」

「え、レア顔⁉ ティリオが私憤なんてめずらしいね? よっぽど信仰心が悪用されたのが許せないのね⁉ んん~、その顔も好きよ!」

「ウルシ師匠の仇はもちろん、シンジュの安寧のためにも倒させてもらうぞ? オレはシンジュの母ちゃんみてーなもんだからな!」

「シンジュとウルシ師匠、二人のためにも私達はあなたを討つ!」


 ………………。あれ? シンジュ様とプニカ様が頭っから元首のことを信じているのはしょうがないとして、オウレン様とマロウ様はなぜ? ……あっ。さてはお二人ともシンジュ様の幸せな将来のことで頭いっぱいですね⁉


「……腐っても元王族だ、大事にしてもらえンだろ」

「ええ」


 ほぉらね!


「……虚無。シンジュがいないんじゃ気が乗らないや。――【マタサブロー《野分》】。とりあえず洗濯機みたいになってなよ」


 魔王軍五棘エスピーナ第二ノセコンド・エスピーナの淡雪・サンと名乗ることすらせず、淡雪様が攻撃をしかけてきました。

 野の草をかき分けながら吹きすぎる強風が、教会内に吹き荒れます。

 天の翼の外観は教会というよりは高い塔がそびえるお城です。一番高い塔のてっぺんには童神らしき彫像が飾られています。

 内部は円形状の空間になっていて、一階は礼拝堂になっています。天井がものすごく高く、巨大なシャンデリアを吊っています。これまた恐ろしく長い螺旋階段を上った先が尖塔部、外から見て一番高い塔に当たります。推察するに、淡雪様の部屋となっていることでしょう。


 我々が現在いる場所は、一階礼拝堂です。正面には花で彩られた童神像と淡雪様が座しておられる椅子。その両脇にはパイプオルガン、ヴィオラ・ダ・ガンバといった教会音楽用の楽器や燭台が備えられています。童神像へ続くブルーのカーペットの左右に整列されたベンチが並び、壁際には花を生けた花瓶が置かれています。

 それらの装飾品やら家具やらと一緒に、ティリオ様達は礼拝堂の中をぐるぐると回っていました。淡雪様が起こした風によって、洗濯機のようにそれはもうぐるぐると回されていました。

 かくいうわたくしも一緒にぐるぐるしています。……む? 風なので洗濯機というよりは、乾燥機でしょうか?


「……他愛もないね。やっぱり虚無だ」


 淡雪様は台風の目にいるがごとく、この室内で唯一静止しておられます。

 ティリオ様達は、装飾品、家具との衝突を避けるべく積極的に破壊しています。徐々に慣れてきてはいる様子ですが、淡雪様への攻撃へ転じる余裕はまだなく。とはいえ、各々必死に思考を巡らせ、この悪環境の中での戦い方を導き出そうとしている面持ちです。

 やがて、何かが閃いたティリオ様が呼びかけました。


「オウレン! マロウ! 大技を頼む!」


 イバラレイピアで壁を示す姿に、オウレン様とマロウ様だけでなく、プニカ様も言わんとするところを察したご様子でした。


「――【大火球】!」


 オウレン様が一メートルほどの火球を壁に向かって放ちました。


「――【スパイダー】!」


 ほぼ同時にマロウ様も【スパイダー】を解放し、四本の脚でもって壁を攻撃しました。

 礼拝堂の壁に大きな風穴が二つ開けられたことにより、淡雪様の風が外へと逃げていきます。


「バターになるまで回ってればよかたのに。煩わ、し――っ」


 ――トス、と何てことない音を立てて、ティリオ様のイバラレイピアが淡雪様の腹部を貫きました。


「【串刺し】!」


 イバラレイピアの刀身から無数の刺が生え、淡雪様の体が内側から串刺しにされました。


「――い、なあ」


 二撃離脱を決めていたのか、淡雪様が反撃に転ずるよりも先に、ティリオ様は退避していました。

 攻撃が当たったと同時に【串刺し】を解除、離脱という流れでした。


「全身バネみたいな動きだね、興味ないけど。でもって技は陰湿。勇者のくせにね。まあ興味ないけど」


 穴だらけになった服を気にする淡雪様に、オウレン様とマロウ様が先ほどと同じ技をしかけました。


「一度見せた技を使うなんて馬鹿なの?」


 淡雪様はこともなげに回避。広げた白い翼で悠々と上昇していました。

 その頭上目がけてプニカ様が氷の滝を降らせます。


「【氷瀑】!」

「【ビンヅメジゴク《竜巻》】」


 淡雪様の竜巻が氷の滝を飲みこみ、封じてしまいました。本来は特定の一人を烈しい風の渦に閉じ込め、戦闘への不参加を行使する技ですが、このような使い方もできるのですね。

 淡雪様が手を一振りすると、竜巻はマロウ様が開けた穴から外へ出ていきました。


「僕の上を取ろうなんてね。不愉快極まりないコの相手をこんな至近距離でするのは苦痛以外の何ものでもない。即刻離れてほしいけど、僕から距離を取った方が早いだろうからそうするよ。もう近づいてこないでね?」


 毒づきたいだけ毒づくと、淡雪様はぐんぐん上昇していきました。

 ほどなく天井へ到達し、シャンデリアを背に我々を見下ろしています。


「最初からこうすればよかったんだ。――【カンタロー《大北風》】」


 猛烈な大北風が吹き荒れ、ティリオ様達に襲いかかります。突如として雪山の雪中行軍に放り出されたかのような冷たい暴風が、容赦なく体力を奪っていきます。


「クソっ、風属性は攻撃範囲が広ぇな! こっちは攻撃範囲外だっつーのによ! どうするティリオ! このままじゃジリ貧だぜ! いったん外へ出るか?」


 マロウ様の【スカル】を風よけにして、ティリオ様達は肩を寄せ合っていました。


「退避も選択肢にいれよう。でも、淡雪のところへ行く道は内側にあるあの螺旋階段しかない。淡雪が戦法を変えない限り、どっちみちこの暴風の中を行くことになる」

「【恋の水】――なら、わたしがこうやってみんなを回復させ続けて、階段を上っていくしかないんじゃない?」


 現在進行形で奪われてゆく体力を、女性体に戻ったプニカ様が癒していました。

 【甘露の水】は対象一人を小回復させる技でしたが、【恋の水】はパーティー全体を中回復させます。ただし、ご自身のことは対象から外しているようです。


「……プニカ、寒くないの?」


 思わずと言った様子でマロウ様が訊ねました。


「うん!」


 さすがは雪国出身。


「プニカの案で行ってみよう。――この作戦はプニカが要になる。オウレン、マロウ、おれ達三人でプニカを守るんだ」


 オウレン様とマロウ様が雄々しく応じました。


「寒いからピカラはここへおいで?」


 〝ここ〟とは、はだけさせたプニカ様の胸元でした。


「ナゥ⁉」


 い、いけませんプニカ様!!?? うら若き乙女がそんなはしたない真似を!!


「いいから来るの!」


 首根っこを掴まれ、胸元に押し込められてしまいました。

 一部始終を見ていたマロウ様とティリオ様が「なんかちょっと……羨ましい?」「わかる」と緊張感に欠けるやり取りをしていました。


「お前らなぁ……オレ達死ぬぞ?」


 その心配はないと知りつつも、わたくしはオウレン様に同意したくなりました。


      +++


 教会天の翼へたどり着いたシンジュは、建物に開いた二つの風穴が目に入った。瞬時に風穴が開くに至った経緯を幾通り脳裏に浮かべ、対応策を列挙する。

 こうすることで、どんな不測の事態にも遺憾なく対応するつもりだし、事実、シンジュなら実行できるだろう。

 礼拝堂の入口まで来ると、凄まじい冷気を感じた。シンジュは中で起こっている事態を把握した。

 確信をもって突入、そして発声――


「【シヌック】」


 〝Snow eater〟――雪喰いの意味を持つ言葉を与えられた技によって、氷雪世界と化していた礼拝堂内に暖かな風が行き渡る。

 シンジュが睨んでいた通り、淡雪は冷気をともなった風を起こしていた。シンジュは知る由もないが【カンタロー《大北風》】という大技で、それを【シヌック】で相殺させることに成功した。

 総程の範疇だったので驚きも喜びもなく、シンジュは次なる手を打つ。


「【キャッツ・ボウ】」


 自在に宙を飛び回れる無幻を使い、猫のような軽やかな足取りで上昇していく。

 というのも、礼拝堂に備え付けられている螺旋階段の中腹に仲間の姿を見つけていたからだ。

 突然止んだ暴風を不思議に思う反面、これ幸いと反撃に出ている。この辺の逞しさは流石だ、とシンジュは賞賛の念を抱いた。


 仲間達の相手は話に聞いていた魔人淡雪ではなかった。これまたシンジュが知る由もないが、淡雪が無幻で召喚した狗賓ぐひんという、犬の口をして狼のような姿をした天狗だった。

 戦闘能力こそ下位魔人程度だが、何しろ数が多い。加えて、先ほどまでのような暴風のただ中にあっては厄介な相手だっただろう。

 だがもう風は凪いだ。シンジュが加勢する間もなく、ティリオ、オウレン、マロウによって撃退された。


(遅くなってごめん? いや、やっぱり俺がいなくちゃだめだね~かな? それとも、置いて行くなんてヒドイ! とか?)


 仲間達の前に降り立ったシンジュが思案していると、


「シンジュ! てンめぇ、何で来やがった⁉ 危ねーだろ!」


 オウレンが真剣なまなざしを向けてきた。


「来たらだめじゃないか。シンジュは王族に戻って幸せに暮らすんだから。そのためにおれ達が戦う。シンジュが二度と戦わなくて済むように……!」


 朴訥な笑顔を浮かべたティリオが、それが己の幸せとばかりに言った。


「心配かけてごめんね、シンジュ。でも大丈夫だからね? それよりケガしてない?」


 プニカが駆け寄り、シンジュの全身を検めた。その後ろにはマロウもいる。


「ありがとう。お陰で助かったわ。ここから巻き返すから、シンジュは首都で待っていて」

 馬鹿ばっかりだとシンジュは思った。


(どいつもこいつも他人おれの心配してる場合じゃないだろ)


 プニカの回復を頼みに、あの冷たい暴風の中をここまで上がってきたんだろう。はっきり言って信じられない。嗜虐的嗜好を持つ異常者の集まりとしか考えられない。いくら回復できるからといって傷みがないわけでもなければ、恐怖が薄れるわけでもない。


(てゆーか、回復追いついていなくね? 腕と足の肉、ちょいちょい喰い千切られてるじゃん、えっぐ!)


 絶体絶命ではなかったのかもしれない。けれど苦しい状況だったに違いないはずだ。それにもかかわらず、他人シンジュを心配している。


「――本当、君達って気持ち悪いよね! あと気味が悪いし怖いしやっぱり気持ち悪い!」


 悪態をついてみても、「シンジュは仕方がないなぁ」や、「シンジュは可愛いなぁ」というような腹の立つ笑みを浮かべている。


「オイ、気持ち悪いって二回も言うんじゃねーよ。つか、他人様に言ったら許さねーぞ?」


 言い返してきても、この程度だ。


「母親面すんのやめてよね」

「うっせ。オレはお前の母ちゃん代わりなんだよ」

「だったら置いて行くなよ!」


 思いがけないシンジュの咆哮にティリオ達は驚いた。


「一緒に戦おうとしてくれよ! 何で元首にコロッと騙されてんだよ! あんな奴の言うことより俺の意見を聞いてくれよ! どいつもこいつも間抜けのお人好しばっかりなんだから、性格の悪い俺がいないとダメなんだよ! それから俺も! 俺もみんながいないとダメだし嫌なんだからさあ!」


 慣れない大声を出したせいでシンジュは呼吸を乱していた。言ってやったという達成感と、言ってしまったという後悔と、やっと言えたという安堵が胸の中で綯い交ぜになっている。


「「「――シンジュっ!」」」


 ティリオとプニカとマロウ抱き着いてきた。揃いも揃って両手を広げて、とんでもなく嬉しそうな顔をしていた。予想通りだった。


「おれもシンジュがいないと嫌だ! 寂しい!」

「ごめんね、ごめんね! もう置いてかないよぉ~!」

「そうよね! 一緒に戦いましょう、シンジュ!」


 右肩、胸、左肩にそれぞれ抱き着いていた三人が顔を上げると、たら~んと伸びた鼻水がシンジュの服についていた。


「ぐわっ、汚ーっ⁉」


 これは予想外だった。


「キモチワリーな、お前の口から一緒に戦おうだなんてよ」


 大粒の涙を流して言われても説得力に欠けるが、シンジュはあえてそこには触れず、オウレンの口真似をしてこう言った。


「キモチワリーなんて、他人様に言ったら許さねーぞ?」

「うっせ! 似てねーんだよ!」


 照れ隠しの怒号。こちらは予想通り。シンジュはニッと笑った。


「さぁて――真打も登場したことだし、サクッと倒しちゃってよね! みんな!」

「ああ!」

「うん!」

「任せて!」

「おお! ……いや待て! 真打はいいとしても後半は何だ⁉ 結局お得意の人任せ発言になってねーかオイ!」


 やっぱり馬鹿ばっかりだとシンジュは思い、破顔一笑する。


      +++


「………………。終わった、かな。もう話しかけても平気な空気だよね」


 シンジュ様が合流し、ともに戦う喜びを分かち合った勇者一行。そんな彼らを一通り見届けていた淡雪様が、そうつぶやいたのが聞こえました。わざわざシャンデリア付近から中腹まで下降して来た上で待っています。何て律儀なのでしょう。

 ――ピカラでございます、プニカ様の胸元からごきげんよう。ちなみに淡雪様のお声は、この魔人たるわたくしめの優れに優れた聴覚があってこそキャッチできた所存です。


「……いいよね……?」


 はい。よろしいかと存じます、淡雪様。


「……こうして見るとやっぱり大きくなったね、シンジュ」


 円卓モニターの画面越しでは伝わりにくい成長を噛みしめておられる淡雪様。

 さて、シンジュ様が参戦したことによって前哨戦の幕が下り、本戦が開幕します。

 まずもって、シンジュ様から鏑矢代わりの一声。


「元王族たる高貴な顔立ちかつ気品だだ洩れるこの俺――シンジュ・リュラが命令する。魔人淡雪、ジオストシアからお暇願おう!」


 シンジュ様は、顔の横で掲げた親指を、見よ、と言わんばかりに自身へ指し示していました。傍らに並び立つ四人のうち、三人は頷き、一人は頭を抱えています。誰かは言わずもがなでしょう。


「どうして? 僕はこの国で一番偉いとされる元首に乞われてここにいるんだよ? 汚らわしい人間になんて関わりたくないけど、我慢していてあげてるんだよ?」


 淡雪様の発言を受け、シンジュ様がひそひそとティリオ様に耳打ちします。


「うわぁー……え、なにアイツ? イタイ系じゃない?」

「ああ、幼気かもしない」

「だよね、だよね~」

「頼むからもうちょい真面目にやってくれや」


 オウレン様に全面的に同意です。ティリオ様はわざとではないのでしょうが……。


「たまたまこの国を訪れた僕は、天使信仰のあったこの国の元首に天使として迎えられたんだよ。いつの頃からか童神になってたけど」


 淡雪様は、シンジュ様をお救いになった時も、シンジュ様のお母様から「神々しい白い羽を持つ天使様、どうかこの子を連れてお逃げください。シンジュをお救いください」と頼まれたそうでした。


「元首に天使だ童神だと祀られて、まあ悪くない気分だったからわざわざ逗留してあげてるんだ。生贄を持ちかけたのだって、元首からだよ? 生贄を捧げるから、ジオストシアに恩恵を、てね」


 生贄に選ばれるのは決まって貧困層の子供です。元首と彼に追従する者達は、淡雪様が食い殺していると思い込んでいますが、実際には魔人界へ連れて行き、手厚い保護を受けさせています。

 ですが淡雪様は人類を脅かす悪い魔人の役なので、この場でネタバレをするようなことは言いません。代わりに、悪い人間と手を組み、弱い立場の者を喰い物にする魔人として振舞います。


「事実、僕がここにいることでこの都市は守られてもいるんだ。魔人はもちろん、他国からもね。どうだい? 僕はきみ達と同じだ。きみ達と同じく人間を守ってあげているんだよ?」


 自分達をここへ遣わした元首の真実を知り、ティリオ様達は動揺し、二の句が継げなくなりました。

 シンジュ様だけはすかさず切り返します。


「子供の生贄を受け入れてる時点でアウト中のアウトだよ。そんなのは守ってるなんて言いませーん」

「僕から頼んだことじゃないのに? 人間って本当に勝手で汚らわしいよね。でも僕は汚らわしい人間にも慈悲の心があるんだ。昔、意図せず大量に殺めてしまったことがあってね、それを申し訳なく思ってるんだよ」

「申し訳なく思うだけでどうにかなるレベルじゃないでしょうよ、大量殺人って。弁解のつもりだったのかもしれないけど、アウトレベルが鰻登りっすわ、ニョロニョロ。てなことで、ここで討伐させてもらいまっすわ!」

「ふはは、やっぱりきみはいいね、シンジュ。虚無感ゼロだよ。そういうことなら思う存分やろう。僕が最高のステージへ案内してあげるよ!」


 淡雪様が天狗の団扇を振い、全員一まとめにして上昇。螺旋階段の先にある場所、この教会の尖塔部にあたる淡雪様の部屋へといざないました。


「なにここ……子供部屋、なの?」


 幻覚でも見させられているかのような声音でマロウ様がつぶやきました。他の皆さんもキツネに鼻を摘ままれたような面持ちでいます。

 それも無理からぬ話でしょう。まず視界に飛び込んでくるのは、可愛らしい雲が描かれた空色のカーペット。それから、大きなクマとウサギのぬいぐるみ。愛らしい女の子のお人形。ドールハウス。輪投げ。ボール。すべり台。積み木。カラフルな風船。木馬。おままごとセット。お絵かき帳とクレヨン。どれも幼い子が大喜びしそうなものばかりで、決戦の地とは思えぬファンシーさ加減です。


「ここは生贄を一時的に預かる場所だよ」


 淡雪様の一言で、ティリオ様達の気色はがらりと一変しました。ぬいぐるみやおもちゃが可愛ければ可愛いほどおぞましく映ります。ティリオ様達にとって淡雪様は生贄を食する魔人なのです。おもちゃを与え、喜ばせ、手なずけてから――という行為は、酷くやるせなく残虐です。


「――【サンタ・アナ】!」


 あらゆるものをなぎ倒す、悪魔のような風をシンジュ様が天井へ向けて放ちました。尖塔の屋根が、その上にある童神像もろとも吹き飛び、ややあってから着水音が聞こえてきました。


「もうメンタルヘルス的に超バッドなんで、俺の風でさっさと一掃ムーブかましちゃおうかと思います! みんなは消耗してるし休んでていいけど時々サポートしてね!」


 蒼穹の下、シンジュ様が吠えました。なんと土壇場になってもなお戦闘意欲を失っていません。ティリオ様達も感動を隠し切れず、目頭を押さえています。


「屋根を吹き飛ばしたのは悪手だったんじゃない? 空戦で僕に敵うとでも思って――えっ?」


 淡雪様は空へと羽ばたきました。我こそは天空の覇者と言わんばかりに、白い翼を大きく広げています。そして出し抜けに左右から斬りかかられました。

 その正体とは、


「うおおおおおおーっ! ぶち当たったれヨリマサぁぁぁ!」


 オウレン様と、


「はああっ!」


 ティリオ様で、お二人を差し向けたのはシンジュ様でした。

 休んでていいと言った舌の根も乾かぬうちに、【キャッツ・ボウ】を使ってお二人を運んだのです。


「――こんなこったろーと思ってたぜー!」


 淡雪様はびっくり仰天。慌てて身を翻しました。しかし、大きく広げていたがために、その両翼にティリオ様の刺突を二度受けてしまいました。


「なんっ⁉ ぐああっ!」

「【樹脂発火】!」


 イバラレイピアを相手に刺した際、発火性の高い樹脂を分泌。引き抜く時の摩擦によって発火させます。更に、この樹脂は太陽光でも発火します。淡雪様の両翼は瞬く間に火炎に包まれました。


「うあああああっ! 熱い! 熱い! 燃える! 僕の羽が、僕の羽があああああっ!」


 紅蓮の翼をはためかせる淡雪様の姿は、その赤い肌も相まって、火山より現れた紅き悪魔のようでした。


「あああ赤い! 僕の羽がまた血の色にっ! 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ赤は嫌だ! 違う! 僕は殺すつもりなんかじゃなかったんだ! 僕は……っ!」


 悶え苦しむ淡雪様。助けを求めるように視線を動かしています。お労しい……。


「――シンジュ! シンジュ、僕をたすけてぇぇえ!」


 淡雪様が手を伸ばした直後、烈しい風の渦が起こり、淡雪様とシンジュ様を取り込みました。


「これっ、わたしの【氷瀑】を閉じ込めた……!」


 そう。【ビンヅメジゴク(竜巻)】です。閉じ込められた者は戦闘への参加ができなくなる。それはつまり、竜巻の中から外への攻撃が届かなくなるという意味で、内側にいる者同士での戦いは可能なのです。更に言わせてもらえば、竜巻の中から外への攻撃が届かないということは、逆もまた然り。外側から内側へ干渉する術はないのです。


「シンジューーーっ!」


      +++


 ――消したくても消せない罪がある。


『おめさ誰だ! おらのニワトリさ近寄んじゃねえ! さては、最近ここらを荒らしまわってるニワトリドロボーだべな!』


 ――ごめんなさい。


『何もかも妾のせいだ』


 ――僕が悪いのに、責任を感じさせてしまってごめんなさい。


『あなたは過失。私は故意。人間を殺めた点は同じでも、私の方が遥に罪深いではありませんか』


 ――ありがとう、でも罪は誰かと比べるものじゃなく、自分が償うものだから。


『妾は知っている。お前達とて、生に倦んでいることを』


 ――エリーネルン様、僕はでも、自死はできません。僕はコロサレナクチャいけない。


『魔人類以外の者に滅ぼしてもらうのだ』


 ――そんなこと、できますか?


『妾達の手で勇者を育てるのだ。――名付けて〈勇者計画〉』


 ――そうすれば、僕はちゃんと人間に殺されられる?


『神々しい白い羽を持つ天使様、どうかこの子を連れてお逃げください』


 ――天使? 僕が? こんな汚れた僕が?


『シンジュをお救いください』


 ――シンジュ? この子の名前?


『何でもできたせいで自分以外の何もかもを失った。だから俺はもう何にもしたくない』


 ――シンジュ。言葉と裏腹にきみは、色んなことを頑張ってくれた。そうじゃなきゃきみは僕のもとへたどり着いてはいない。


『ウルシ師匠……? 長くて面倒だからウルシ匠って呼ぶね?』


 ――シンジュ。一文字しか減ってなかったけど、きみが呼ぶならそれが僕の最善だよ。


『ウルシ匠のその俺への過剰かつ歪んだ愛情、対応に困るんだけど?』


 ――シンジュ。そうは言っても、外見の美麗さと手のかかる内面が、美しいものが好きで世話好きな僕を魅了してやまなかったんだ。


『魔王軍が襲撃? え、こんな辺境の村に来るなんておかしくない? そもそも魔王軍のやり方って違和感しかないんだけど。ねえウルシ匠って本当は魔お、うっ……ま、だ話してる、のに……昏倒させる、とか……ひど……い……』


 ――シンジュ。きみは汚れた僕を照らす、光だったよ。


「だから、お願い」

「……【サンタ・アナ】……!」


 ――消したくても消せない罪がある。そして消せないまま僕は死ぬ。

 ――ごめんなさい。償えなくて、ごめんなさい。


「消したくても消せないんじゃなくて、消したくても消さなかったんでしょ? 罪と向き合って背負って生きてきたんでしょ? 償いも許しも与える立場にないけど、俺はあんたはきちんと罰を受けたってそう思うよ」

「……ありがとう、シン、ジュっ……!」


 ――消したくても消さなかった罪がある。だからといって許されるわけじゃないけれど、でもきっと、消して無かったことにするよりはずっとよかったはずだよ、ね……えりーねるん……さ……ま……――。


      +++


 魔人界ソサエティー。魔王城。城部三階、エリーネルンの私室。

 そこは四季折々かつ、多種多様の植物で賑わっていた。知らぬ者が見れば庭園、もしくは楽園と見まがうかもしれない。とはいえ、植物ばかりというわけでもなかった。

 部屋の中心には、虹色の薔薇に囲まれた豪勢なソファーが置かれている。対面にはキューブ型の茶色いソファーが五つ並ぶ。


 これはエリーネルンが五棘エスピーナを招き、談話を楽しむ時に使われているものだ。五つのうち三つは不要となったが、撤去されることは決してない。

 エリーネルンは自身のソファーに腰かけ、膝の上にあるロクレアの頭を撫でていた。今しがた眠りについた妹分の頬に、真新しい涙が光っていた。

 自責の念に苦しみ続けた淡雪が、己の無幻の中でシンジュに死を願った最期には、見守る誰もが涙した。とりわけ、気が優しく感受性豊かなロクレアが酷く取り乱したので、こうして慰めるに至っている。


 エリーネルンは、宝石でも扱うかのような指使いでロクレアの涙を掬い取った。

 ――コンコン。生真面目なノック音が響き、来客を告げる。すかさず、ネルンソルダのグラウスが取り次ぐ。

 ネルンソルダ――ネルンはエリーネルンの愛称で、ソルダは兵士の意――は、エリーネルンが無幻によって召喚した私兵にあたる。

 勇者一行が魔王城へ乗り込んできた際の門番役だが、今はまだその時ではなく、側仕えとして働いている。

 数は総勢六名からなる少数精鋭。

 外見は、肌の色は水色がかった黄緑、髪の色は濃いピンク色。グラウスの髪型はツインテール。細々とした外見的特徴を抜きにすれば、ネルンソルダ達の外見は皆似通っている。


「エリーネルン様、ノヴァール様がいらっしゃいましたッス」

「通せ」


 薔薇アーチを施した扉が開き、深々と頭を下げたノヴァールが姿を見せた。


「よく来てくれた、ノヴァールよ。堅苦しい挨拶はよい。着席の遠慮もしてくれるな。早く、その後のあの子達の動向を聞かせてくれ」

「はっ」


 焦れている主を煩わせないため、ノヴァールは素直に従った。


「現在、勇者一行はジオストシア首都に身を寄せています」

「なんと……元首がそれを許したのか?」

「首都の人間達が熱烈に求めましたので。といいますのも、人間達は空で繰り広げられた激戦を目撃していたのです。燃えゆく淡雪を目の当たりにした彼らは、白い羽を持つ童神とは偽りの姿で、自分達は炎の羽を持つ赤き悪魔に誑かされていたと判断しました。それゆえ、悪魔を退治した勇者一行は、英雄として称えられ、手厚い介抱を受けています」

「そうか。ならばもう支援を差し向ける必要もなくなったか?」


 いざという時のために、エクリプスが洗脳(ただし日常生活に支障のない範囲で)を施した人間達がおり、彼らを派遣させようと考えていた。


「問題はないかと」


 ノヴァールの返事に、エリーネルンは鷹揚に頷いた。それから少しの間を置いてこう質した。


「……シンジュの、いや、全員の様子はどうだ?」

「そちらも問題ありません。元首と淡雪の蜜月関係や、貧困層が強いられている過酷な扱いには、さすがに地獄を垣間見た心持だったようです。しかし、英雄と慕ってくる人々の姿に、〈それでも自分達は勇者一行なのだから〉と気を持ち直していました。あの調子であれば、回復次第、北の大陸へ向かうでしょう」

「であろうな。何があっても、どんなに絶望しようとも消して人間を見捨てないのが真の勇者なのだ。仮に見捨てることに正当性があったとしてもそうはしない。勇者とは実に損な役回りで、それができるからこそ勇者たりえてしまうのだ」


 言ってから、エリーネルンは内心で自嘲し、毒づいた。


(これは傑作。その清廉な士を利用する計画を立てた張本人が何を宣っているやら)


 ともあれ、部下であるノヴァールを前にして自己嫌悪や罪悪感を現わせば余計な気を遣わせてしまう。エリーネルンは話題をずらした。


「絶望から勇者を辞め、人間へ報復する側に回る者がいるとすれば、それは初めから勇者の器ではなかったということだ。まあ、むしろ正常な反応と言えるし、ダークサイドへ陥る者というのは根が真面目であることが多いものだ」


 感服した表情で頷くノヴァールを見て、エリーネルンは胸をなでおろした。


「話が逸れてしまったな。あの子らの話を続けてくれ」

「はっ。シンジュのことですが、今回の件で心境の変化があったらしく、仲間達にこう宣言しておりました。曰く〝魔王をぶっ倒したらジオストシアに戻り、この国をいい方向へ導きたい〟と」

「……ほぉっ!」


 思いがけない報告につい大きな声が出た。ロクレアを起こしてしまったかと焦ったが、杞憂だった。耳朶に届く快い寝息が更に良いものになるようにと、頭を一撫でしておいてから、エリーネルンは問う。


「それはまことか?」

「まことにございます」

「あのシンジュがそのような大志を抱くとは……! よろしい、ならば我らが滅んだ暁には、元首を初めとした高官達には仁者となってシンジュを手助けするよう命じておこう。エクリプスが施した洗脳があれば可能だろう?」

「可能です。ですが、今すぐ、でなくてよろしいのですか?」

「今行ってはシンジュの手柄にならぬ上、出る幕もなくなるだろう」

「なるほど。愚見を申しました」


 エリーネルンは手を上げ、頭を下げようとするノヴァールを押しとどめた。


「ただ、そうだな。貧困層にある者達の暮らしが、もういくらか楽に立ち行くようにはしておく必要はあるな。うむ、やはり仁者にはしておけ」


 ノヴァールは了承の意を示すお辞儀をした。


「――さて、次にあの子らが目指すは北大陸。いよいよ北大陸だな。ジオストシア共和国も中々だったが、バドルクオン王国も負けず劣らず癖のあるところよ。のう? ノヴァールよ」

「ええ。業の深さで言えばジオストシアを上回るやもしれません。なにせ、あの別勇者がおりますし」

「……別勇者か。人類側が我ら魔人類に抗するため生み出したのだったな。名をナヴァイオ・プルースといったか」


 口に出すのが憚れるといった反応を示す二人。と、そこへ、すわ一大事と言わんばかりに血相を変えたグラウスが割って入ってきた。


「――じゅっ重大事件ッス! エリーネルン様っ! いぃ、今、仮想ソサエティーに入った情報によりますと――」


 仮想ソサエティー。全魔人の脳の一部を共有することで作り出した仮想の空間。現実の魔人界ソサエティーと同じ情報で構成されており、現実で起こった事柄が逐一フィードバックされるようになっている。

 つまり、グラウスがわざわざ口に出すまでもなく、エリーネルンとノヴァールも同じ情報を共有しているのだが、報告せずにはいられなかったということだろう。


「バドルクオン王国が滅びましたッス!」


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