あなたに幸福な夢を
ミスティアは夫のノードレッドと、町外れの小さな家でひっそり暮らしていた。
毎日三食きちんと食べることができ、特別なことは何もないが穏やかな日々。
ノードレッドはいつもきちんと同じ時間に帰宅して、ミスティアを安心させる良い夫だ。
「ただいま戻りました。ミスティア様、ご不便はありませんでしたか?」
ノードレッドが丁寧に帰宅を告げた。
伸びてきた黒髪を切ってやる技量もないミスティアは、ようやく覚えた拙い三編みを毎朝夫のために甲斐甲斐しく結っている。その三編みが解けることなくノードレッドの肩に下がっているのを確認してほっとした。
「お帰りなさいノードレッド。何も変わりないわ。これから夕食の支度をするわね」
「では、私も一緒に」
ミスティアは料理が下手だ。それどころか家事一つまともにできなかった。そんな彼女に料理や洗濯のコツを教えたのはノードレッドだった。
温室で育ったようなお嬢様のミスティアは幼い頃から仲の良かった使用人の息子、ノードレッドと恋仲になったが両親に認めてもらえず、駆け落ちするように家を出て、名もなき小さな町で二人は結婚した。
ミスティアが世間知らずでどれほど無知であろうと、ノードレッドは彼女を叱ることはない。
不自由のない生活を彼女に提供し、穏やかな日々を約束した。彼女が求めるものは全て与えたいと、先回りして用意した。
ミスティアが成長しないのはノードレッドが招いたことでもある。
「あなたが過保護だから私は料理が上手くならないのかもしれないわ」
「そんなことはありませんよ」
焼いた肉を切って取り分け、ミスティアの前に皿を置いたノードレッドはふっと柔らかく笑う。その笑みには、ノードレッドがこれからも変わらずミスティアに世話を焼くのだという意思が感じられた。
この食卓には、ミスティアが食べたいと言えばその料理が魔法のように出てくる。よく食べていたシェフの味、香り、彩り、全てが再現された数々の料理。
ノードレッドはミスティアの求めるものを何でも用意できる、完璧な夫だった。
少しだけドレスが恋しくなった時は、町中で浮かない程度の上品なワンピースを用意してくれて、よく実家で食べていたケーキが食べたいと言えば、同じ味のケーキが出てくる。寂しいと言えばノードレッドはどこへも行かず、ずっとミスティアのそばにいた。
ミスティアにとって完璧な夫でも、不満がないわけではない。
近所に住む夫婦は互いに名前を呼び合い、対等な関係である。『様』をつけて名を呼ぶ夫婦はいない。それに比べてミスティアたちは、夫婦というより主従関係の方が強く感じられた。
ノードレッドにそう話せば、幼い頃から『ミスティア様』と呼んでいた習慣を変えるのはまだ難しいと困った顔をした。ミスティアが我がままを言うとよく見せるノードレッドの顔だ。そんな顔も愛しく思えた。
いつか彼が敬称をつけず名を呼んでくれる日が来るのを待ち遠しく思う。
自分たちのことを誰も知らない遠くの小さな町に二人で暮らし、人目を気にすることなく口づけをする。肌に触れて体温を感じ、同じベッドでともに眠る。贅沢などできなくとも愛する人がそばにいればそれでいい。
たとえ、初めて食べたライ麦パンの味が分からなくとも、彼と抱き合って眠った感触を覚えていなくとも。
魔法のように食べたい物が出て好きな服が着られるこの日常に、ミスティアは何の疑問も抱かなかった。
ノードレッドが仕事へ行き、ミスティアは朝の家事を一通り終えた後、日課の散歩に出た。
いつもどおりの道順で、いつもどおり出会う町の人にいつもの挨拶をして別れ、小さな町を一通り歩いた。
昨日と同じ道を歩いていた時、何かにぶつかる。
辺りを見ても何もないが、手を伸ばせばそこに見えない壁があった。触れている感触はないのに、見えない壁があって進めない。昨日はこの先へ行けたのに。
不思議に思ったミスティアは、ノードレッドが魔法でこの向こうへ行けないようにしたのかもしれないと思った。彼は危ない所へ行かないよう、いつもミスティアに繰り返し言うのだ。
心配しすぎだと思うけれど愛されていると感じられ、ミスティアは彼の言いつけをきちんと守っていた。
夕方にノードレッドが帰宅し、早速見えない壁があったことを話してみると、やはり彼の仕業だった。あの道の先で事故があったらしく、ミスティアが近づけないようにしたというのだ。
相変わらず先回りして危険から遠ざけようとする彼に、過保護過ぎるとミスティアは笑ってしまった。
「些細なことでも危険なことに近づけたくはありません。あなたは私の輝く星だから」
「私が星なの?」
「どんな暗闇でも、正しい道を示してくれる唯一の星なのです」
彼でも迷うことがあるんだろうかとミスティアは不思議に思った。いつも完璧な人なのに。
首を傾げるミスティアをノードレッドは愛おしそうに見つめる。彼のその目がミスティアは大好きだった。
ノードレッドに口づければ彼も同じように応え、抱き締めてくれる。けれど、その感触にはいつも実感がなかった。
疲れているのかノードレッドの顔色が悪かったため、ミスティアは彼に早く休むよう促した。
ミスティアの散歩の範囲は徐々に狭まっていた。
日に日に見えない壁が増え、町の奥まで行くことができない。毎日会っていた近所の人とも会えなくなった。
そしてノードレッドの体調も悪化していった。
「医師に見てもらいましょう? 私が呼んでくるから」
「ミスティア様、大丈夫です。そんな大げさにしないでください」
何度医師に見てもらおうと言っても、彼は頑なに大丈夫だと言って拒む。
「ノードレッド、愛しているの……」
ミスティアが泣きだすと、ノードレッドは蜂蜜色の髪を優しくなでてキスをする。
「私も愛しています。どうか泣かないで……」
しかし数日後。
ノードレッドは倒れて動けなくなってしまった。
「ノードレッド! 医師を呼ぶからあの見えない壁を消して……!」
血の気が失せたノードレッドはそれに答える気はないようで、憂える目でミスティアを見つめる。
ミスティアは震える手でノードレッドの手を握った。
「お願いよ! すぐに戻ってくるから!」
「も……うしわけ、ござ……ませ……」
ミスティアの胸が騒ぐ。
彼の悲痛な声は、いつも聞く声よりも生々しい声だった。
力ない手が、ミスティアの手を握り返す。
「……最期まで、幸せな夢を……見せてさしあげたかった……」
「ノードレッド」
「私の力が、もう……これ以上持たない、ようです……」
「ノー……ドレッド……?」
ミスティアの心臓が強く打った。
鼓動が早くなり、ミスティアの呼吸が浅くなっていく。
二人の住む小さな家は、思い描いていた理想の家だった。
自分たちのことを誰も知らない遠くの小さな町は、理想の町だった。
毎日三食きちんと食べることができ、特別なことは何もないが穏やかな日々。
愛しい人がそばにいて、政治に利用されることもない、ミスティアの望んでいた日常。
これらは全て、昔ノードレッドに話したミスティアの夢だった。
二人の家はいつの間にか、ミスティアがこれまで慣れ親しんだ宮殿の広間に変わっていた。荒れた広間には倒れている近衛兵や侍女たち。
ノードレッドは傷だらけで、片方の目は開いていない。破壊された鎧の隙間からおびただしい血が流れている。
「申しわけ……ございませ……殿、下」
ノードレッドは、ミスティアの夫ではない。
王女のミスティアをずっとそばで守ってきた護衛騎士だった。
魔法を扱う我が国を危険視していた大国に侵略され、王族や臣下、城の者はみな殺されていった。
ミスティアもその一人。
斬られた胸から大量の血が流れ、浅い呼吸を繰り返していた。
初めて護衛騎士に抜擢されたノードレッドに一目で恋したのは、幼い少女の頃だった。
兄の護衛騎士よりも若く、ノードレッドは凄腕の実力者だと聞いていた。「役目を終えるその時まで、護衛騎士としてお仕えいたします」そう忠誠を誓った彼が、ミスティアには物語の英雄のように気高く尊く感じた。
『わたし、ノードレッドがだいすきなの』
『大変光栄でございます』
初めは素直に気持ちを伝えていたが、彼は子供の好意としか受け取ってくれなかった。
成長するにつれ、気持ちを伝えれば彼は困った顔をするようになる。
『あなたも私も、どこか小さな町で生まれた何者でもない、ただの人だったら良かったのに』
そんなふうに言うミスティアに、忠誠以外の心は持ち得ないとノードレッドははっきり告げた。
彼を想う気持ちが変わることはなかったが、護衛騎士を代えられてしまうことを恐れて、恋情を言葉にするのは止めた。
未熟な王女に忠義を尽くし、間違えれば優しく忠言する。甘やかしてはくれないが、彼の温かい眼差しに見守られながら、ミスティアは彼と過ごす時間を大切にした。
十六になって婚約の話が出た時、再びノードレッドに想いを告げたことがある。
彼は微笑みながら『王女殿下の幸福を願っております』と、決して気持ちに応えることはなかった。
どんなに想っても叶うことはない。悲しみで染まった心に潰されないようミスティアは笑顔を貼り付け、毅然たる態度でこれまでと同様に接してほしいと彼に願った。
ノードレッドは護衛騎士として忠誠を誓ったあの日から、ずっと離れることなくそばにいてくれた。
これまで同様に主従として、彼との距離が縮まることもなかった。
そんなノードレッドの体に触れたこともなければ、口づけたこともない。
ずっと恋い焦がれていたミスティアに幸せな夢を、とは――なんと残酷なのだろう。
ミスティアが事切れるまで幸せな夢を見られるようかけられた魔法は、命の灯火とともに消え失せた。
冷たいタイルに横たわるノードレッドに手を伸ばす。
「ノード……レッド……っ」
もう力の入らない体で歯を食いしばり、血の床を少しずつ這ってノードレッドに寄り添った。
手を伸ばして彼の頬をなでる。
もう動かない、光のない目。
「あああ……っ、ノードレッド……!」
彼の耳にこの声はもう届かない。
まだ温もりのある、愛しい手。
この手が零れ落ちる涙を拭ってくれることはない。
夢の中で抱き合って愛を語ったノードレッドはミスティアの思い描いた理想の姿。本当の彼が愛など語るわけがない。
彼は最期まで、高潔な護衛騎士だった。
その刹那、左の手のひらに小さな星が宿る。
王家の血を継ぐ者に現れる後継の証。
父も、母も、兄も……ミスティア以外の王族は全員亡くなったことを意味した。
既に落城し、ここにはもう誰もいない。
後継の星が自身に宿っても、もう何の意味もなかった。
ミスティアは力なき手でノードレッドを抱く。
最期に愛しい者をその目に焼き付け、薄れていく意識の中で切に願う。
どうか――。
護衛騎士にぴったり寄り添い、そのまま永遠の眠りについた王女のその姿は、愛し合う恋人同士のようであった。
フェインパースの村には古くから伝わる昔話がある。
小さな星の国には魔法使いがたくさんいた。
人を豊かにし、誰も傷つけず、幸せにする魔法で溢れていた。
しかし、小さな星の国に嫉妬した魔法を使えない大国は、かの国を滅ぼしてしまった。
次は誰にも魔法が見つからないよう、ひっそりひっそり隠れて暮らそう。
もし見つかってしまったら、また争いの火種になってしまうから――。
「だから人前で魔法を使ってはいけませんよ」
先生がコツンと杖でアーシアの頭を叩くと、教室がどっと湧いた。
うとうとしていた目がぱっちり開いたアーシアは、今が魔法の授業であることに気づき、慌てて歴史の教科書を閉じた。
「アーシア。授業中、居眠りしてたんだって? せっかく成績良かったのに評価下げられるぞー」
放課後になって一緒に帰る約束をしていた近所に住むレニッシュが、笑いながら教室まで迎えに来た。同い年の彼は兄のような面倒見の良さで、時々くれる忠言は耳が痛い。
「だって、すっごく眠くなっちゃったんだもん。何だか不思議な夢を見たの」
まるで自分が体験したような夢だった。
幸せで悲しくて胸が張り裂けそうで、行き場のない感情が爆発しかけた時、先生に頭を叩かれた。
アーシアは左の手のひらを見つめる。
生まれた時からあった小さな星の痣。夢で見たものと同じもので、突然それが意味を持ったような気がして胸がどきどきしていた。
「どんな夢? お菓子でできた家に住む話とか?」
「ふふ、それいいねー。住んでたのは小さな家だったけど、夫婦二人で幸せな夢だったかな」
「夫婦……? 相手だれ?」
学校を出ながらレニッシュは怪訝な顔をする。
「多分、年上の人だったと思うけど」
「イーサか? カイトか? もしかして、エドガー?」
レニッシュが挙げていく名は、いずれも友人や同級生の兄や従兄。
今年十八歳になる二人より年上となると誰かの兄姉か従兄姉で、それより上となると誰かの叔父、叔母だ。それほどアーシアたちの住む村は小さかった。
「違うよ、村の人じゃないの。昔話あるでしょ、星の国の魔法使いの。歴史であの話が出たから夢に見ちゃったみたい」
「ああ、なんだ……」
ふう、と安心したようにレニッシュは小さく息をついた。
いつも子供の頃から守るようにそばにいてくれたから、他の男子が近づいてきたこともなかったが、夢に出てきた男性の話題にもいい顔をしないなんて相変わらず心配性だ。
そのくせ本人は女子が寄ってきても皆にいい顔をする。
今でも下校した後輩女子が数人レニッシュに手を振れば、笑顔で手を振り返している。
「……何百年も前にあった話なんでしょ? うちの村の先祖は星の国の生き残りだって言ってたし」
「ああ。侵略した大国はよそとも戦争を繰り返して貧しくなって、結局どの国からも援助を受けられず零落したんだろ。馬鹿な国だよ」
俗世から離れ、森の中に隠された平和なこの村にはもう無縁の話である。
春の暖かい風が二人の間を駆け抜けて、レニッシュの伸びた黒髪がふわりと揺れた。
「レニッシュ、髪伸びたね。私が三編みしてあげようか?」
「男が三編みしても似合わないだろう。それよりアーシアの方が長いんだし、俺がやってやろうか」
意地悪そうに笑ったレニッシュに任せたらどんな頭にされるか分からない。
夢の中の彼にした三編みは、不格好だったが似合っていた。
「夢の中の旦那さんは三編みが似合ってたから、レニッシュも似合うと思うんだけどな」
その言葉にレニッシュが眉根を寄せた。
「……どんな男?」
「怖い怖い怖いっ、目が怖い!」
他の男性の話を出すだけで機嫌を損ねたらしく、レニッシュは冷ややかな目でアーシアを見下ろす。
レニッシュは女子と仲良く話したりするくせに、アーシアには厳しい目を向ける。子供の頃からの付き合いとはいえ、狡いのではないか。
アーシアは夢の話をざっくりとレニッシュに話した。
結局死んでしまった二人は、王女と護衛騎士という関係以上にはなることのなかった悲恋の話だ。
王女のことがまるで自分自身のようで、話しているだけでも胸が痛かった。
目を伏せていると、アーシアの蜂蜜色の長い髪を一房すくってレニッシュが見つめる。何も言わずじっと見つめるレニッシュに、アーシアは少し戸惑った。
「レニッシュ……?」
「あ、いや。まるでアーシアが経験したみたいな話だなと思って」
「うん、自分が経験したみたいな感じだったの。私の視点はずっとその王女だったから彼が亡くなった時、共感しちゃって胸が痛かった……」
泣きそうな顔でもしていたのか、レニッシュはアーシアの頭をなでた。
その優しい手が嬉しくてアーシアはされるがままでいた。
「この時代は平和だ。もうあんなことは起こらないよ。今度こそ俺が守る。ずっとそばにいるよ」
レニッシュの言い方が引っかかり、アーシアは目を瞬いた。
「アーシアは俺の唯一の星だから」
夢の中の彼女が思い描いた夫の台詞。夢の中の彼女しか知らない台詞。
レニッシュがアーシアを星だと言ったのは、これが初めてではない。初めて会った三歳の時だ。
大きな畑と川を超えた先に住んでいた会ったこともないレニッシュが、突然アーシアの家を訪ねてきた。星を探してたんだと言って。その星がアーシアのことだとは誰も思わなかったけれど。
レニッシュの母は当時、息子が星を探すと意味不明なことを言って家を飛び出し、驚いて後を追いかけたと言っていた。
当の本人はもうそんなことを覚えておらず後に笑い話になったが、アーシアを先に見つけたのはレニッシュだった。
村のほとんどの人が集まるお祭りの中でも、こっそり小屋に隠れて泣いていても、いつだってレニッシュは一番にアーシアを見つけた。必ず見つけてくれた。
「どうして私が星なの……?」
アーシアも夢の彼女と同じことを尋ねてみた。
レニッシュは少し照れくさそうに、しかし真っすぐにアーシアを見る。
「何でか分からないけど、子供の頃からアーシアだけ他の奴と違って見えた。どこにいても輝いていて、だから絶対見失わない輝く星なんだ」
意味合いは違うかもしれないが、レニッシュが夢の彼と同じことを口にし、アーシアはまだ寝ぼけていないかと自分の頬をぎゅっとつねってみた。思いっきりやったのでかなり痛かった。
「何やってんの」
「だって……」
つねって赤くなった頬をレニッシュがそっとなでる。
「ライ麦パンを初めて食べた時、不味そうな顔してた」
突然ライ麦パンの話をされてアーシアはきょとんとする。
「あんなにボソボソだとは思わなかったから……。でも今は全部食べられるようになったでしょ」
ふっ、とレニッシュは笑う。
「家事は上達した? 料理は多分俺の方が上手いよ。アーシアが食べたいものはきっと全部作れる」
「家事は普通にできますっ。料理は……練習中だし」
「ドレスをまた着たくなったりする?」
「ワンピースで、十分……」
まるで答え合わせをするように、レニッシュはアーシアを質問攻めにした。全て夢で見たことと一致した。
左の手のひらが熱くなるのを感じる。アーシアは熱くなった左手でそっとレニッシュの胸に触れた。温かく一定のリズムを刻む鼓動がひどく落ち着く。ずっと探していたような、懐かしい鼓動。
レニッシュはその手を上からそっと握った。
「レニッシュ……どうして」
「もう何年も前だけど多分、同じ夢を見た。アーシアに鎌かけてみたりしたけど通じなくて、俺だけなんだなと思ってた」
「私は今日初めて見たのに……なんで……」
レニッシュはアーシアの左手を取ると手のひらを上に向けた。そこに見える星の痣をレニッシュが指でなぞる。
「後継の証を受け継ぐと、大きな力も受け継ぐ。王家最後の者がその力を使うことができると聞いた。彼女は最期にその力を使ったんだろう。そのせいで魂が長い眠りについていたのかもしれない」
「この星が何か、知っていたの?」
「王家の側近なら皆知ってるよ。これは彼女の兄が受け継いでいた。一番最後に亡くなったのが彼女だったんだな……」
レニッシュは悔やむように唇を噛んだ。
あの国の人々が持つ魔法は守るためのもので、誰かを傷つけるためのものではない。圧倒的な戦力の前では無力だった。
「最期までノードレッドは誓いを守り、護衛騎士として生きた。でも彼女に見せた夢は全て彼の夢でもあった」
夢の中の彼女が思い描いた夫は、本当の彼。
あれは偽りではなく、全て彼自身の言葉。
「ミスティア」
間近に見える顔はノードレッドで、彼の声が彼女の名を呼んだ。敬称をつけずに。夢の中で彼女の願いを全て叶えてきた彼が、唯一叶えられなかった願い。
「ずっと愛してた」
彼は魂に呼びかけるように告げた。
ようやく欲していた答えを聞き、嬉しさと切なさで瞼が熱くなる。恋い焦がれていた彼女の魂に共鳴して、想いが溢れたのかもしれない。
アーシアの大きな目から零れ落ちた雫を彼が指ですくい取った。
「でも俺が好きなのは、アーシアだよ」
はっと目を見開いたアーシアは、目の前にいるのがレニッシュであることを認識して瞬いた。ノードレッドと同じ魂であっても、彼はレニッシュだ。
「私も……レニッシュが大好き。ずーっと、好きだった」
アーシアは心から笑顔になると、戸惑い気味にレニッシュの顔が近づき、温かく柔らかいものが唇に触れた。
初めての感触。夢の中では知らなかった温かさ。
まだ他に下校中の生徒もいるのに、レニッシュは人目など一切気にしなかった。
「だから……レニッシュが他の女の子と仲良くしてるの、見たくない」
「はは、妬いてくれてたの? 嬉しい」
ニッと笑ったレニッシュに、アーシアは目を瞠った。
「……まさか、わざと……?」
レニッシュは笑いながらアーシアの手を引き、再び帰路に就く。そしてミスティアは最期に何を願ったのか、と尋ねた。
アーシアは繋がる手をきゅっと握り返す。
――どうか、彼の魂とともにありますように。