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 夏目宅の向かいに下宿屋がありました。そこには学生たちが生活しており、書物を朗読したり、談笑したりしています。その若々しい学生たちの声が漱石の書斎にまで聞こえてきます。漱石は、この学生たちが探偵であると妄想し、彼らに追跡され、監視されていると思い込んでいました。学生たちの談笑は、漱石に関する噂話や陰口であり、朗読する声は監視報告書の内容であるように、漱石の耳には聞こえました。実際、漱石と下宿の学生たちはほぼ同じ時刻に登校あるいは出勤していましたから、漱石は尾行されているものと信じていました。教師と学生が同じ時間帯に家を出るのは普通のことなのですが、この事実が漱石の妄想を助長させたようです。

 漱石は毎朝、書斎の窓の敷居から下宿に向かって大きな声を出します。

「おい、探偵君、今日は何時に学校へ行くのかね」

「探偵君、今日、オレは何時に出かけるよ」

 漱石は、毎朝、これをやってから朝食を食べました。言われている学生たちにはチンプンカンプンだったでしょう。


 鏡子が、いつものとおり掃除のため書斎に入ると、半紙に墨で妙なことが書いてありました。

「予の周囲の者、ことごとく狂人なり。それがため予もまた狂人の真似をせざるべからず。故に周囲の狂人の全快を待って、予も佯狂(ようきょう)をやめるもおそからず」

 佯狂とは、いつわって狂人の真似をするという意味です。これを読んだ鏡子はさすがに気味悪くなりました。


 何度も何度も漱石の狂態に悩まされるうち、漱石の「頭の病気」には前兆があることに鏡子は気づきます。まるで酒を飲んだように顔が赤く火照ると、その翌朝には神経衰弱を発症して奇行に走るのです。鏡子だけでなく、長女の筆子も気づきました。父親の赤い顔を見ただけで筆子は怯えるようになりました。いま、どんなにニコニコしていても、顔が赤く上気していると、その翌日が危ないのです。


 幸いなことに明治三十七年の春から漱石の神経衰弱は緩解し、ときどき癇癪玉が破裂するものの、暴力と暴言と奇行がおさまりました。それでも漱石は猜疑の目でジッと周囲の人々の様子を観察しています。とはいえ、漱石の狂態から解放されて鏡子も子供たちもひと安心できました。また、漱石自身も体調がよくなり、講義の準備や読書などがはかどる様子でした。

 その夏のはじめ頃、黒い子猫が夏目家に入り込んできました。猫嫌いの鏡子は外へつまみ出しますが、猫はまた入ってきます。何度つまみ出しても猫は家に入り込み、ニャンと鳴き、鏡子の足にじゃれついてきます。そして、図々しくもお(ひつ)の上に乗って丸くなっています。

 ある日、お櫃の上で丸くなっている猫を漱石が見つけました。

「この猫はどうしたんだい」

「どこの猫か知らないけれども、なんど追い出しても家に入ってきてしかたがないんです」

「そんなに入ってくるんなら、おいてやったらいいじゃないか」

 こうして猫は夏目家に飼われることになりました。この猫が小説「吾輩は猫である」の題材になることを考えれば、運命の猫だったと言えるでしょう。


 この年の十二月、高浜虚子のすすめで漱石は小説を書き始めます。夏目家の日常を活写した「吾輩は猫である」は、翌明治三十八年一月に雑誌「ホトトギス」に掲載され、好評を博します。

 漱石は、教師稼業のかたわら創作に熱中し、次から次へと作品を書き上げていきます。鏡子の見るところ、漱石はいかにも楽しそうに創作に励んでおり、短編ならば一晩、長編でも一週間ほどで書き上げました。しかも、ほとんど書き損じがなく、あたかも脳内に完成作品が存在しているかのようでした。漱石の作品は、こののち明治四十一年にかけて続々と発表され、出版され、評価を得ます。漱石の小説作品の大部分はこの時期に書かれます。

 創作に熱中するようになると、漱石の神経衰弱は、ときに破裂するものの、一時期に比べれば緩解し、小康状態が持続するようになりました。原稿料や印税が入るようになり、夏目家の家計はカツカツ状態から抜け出しました。倹約に倹約を重ねてきた鏡子は、ようやく来客用の座布団やら衣服やら調度品やらを整えられるようになりました。


 漱石の文名が高まるとともに来客が絶えなくなりました。文学仲間、漱石を慕うファン、出版関係者、小説家志望の学生などのほか、小説の題材を持ち込む者や、怪しげな詐欺師や下見にきた泥棒まで、夏目家は盛況となります。それらの来客の応対に鏡子は追われました。この時代は、来客に対してじつに寛大でした。

 夏目家には幾度か泥棒が侵入しています。ある夜、鏡子がふと目を覚ますと、箪笥の引き出しが中途まで引き出され、そこから衣類が垂れ下がっています。障子も開いたままになっていました。

(おかしい。確かに閉めたはずなのに)

 鏡子は、泥棒に入られたと気づきます。そこで、となりに寝ている漱石を揺り起こします。

「あなた、泥棒ですよ」

 漱石は、枕頭に置いてあるはずの銘仙に手を伸ばしましたが、それがありません。なんと漱石や鏡子の着物はもちろん、子供の衣類までが盗まれていたのです。幸い、その泥棒はつかまり、盗品の多くは戻ってきました。


 小説家としての地歩をかためた漱石は、明治四十年、思い切って教職を辞し、朝日新聞社と契約して専業の小説家になります。月給は二百円でした。

 鏡子は、家事、育児、出産のほか、来客の応対と多忙です。この時期に、四女愛子、長男純一、次男伸六を産みました。

 愛子を出産したのは真夜中でした。医師に電話をし、女中を産婆のもとへ走らせましたが間に合わず、鏡子は漱石の手を握りながら愛子を産みました。愛子をとりあげたのは漱石でした。

 純一は初めての男児でしたので、漱石はたいそう喜びました。

「男の子だ、男の子だ」

 こういうあたり漱石はまったく子煩悩な普通の父親です。



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