狂気の漱石
妻の鏡子に対する漱石の虐めは極めて陰湿であり、後世の漱石ファンを興ざめさせるに充分です。明治の頃、概して世の男は威張っており、カミナリ親父が珍しくありませんでした。ただでさえそうした風潮のなかにあって、さらに精神病がそこに加わっていたと考えるとき、当時の女性たちの苦難を思わざるを得ません。
「あっちへいけ」
朝、出勤する漱石に洋服を着せようと鏡子が近づくと、漱石が怒鳴ります。やむなく鏡子は、洋服一式をそろえて黙って部屋に置いておくようにしました。
夏目家の財布は漱石が握っていました。鏡子は、勘定書をいちいち漱石に見せてお金をもらわねばなりません。しかし、お小遣いを一銭もくれません。手元不如意でこまった鏡子は、一計を案じます。
「お大根を買いましたから、お金をください」
「お醤油を買いましたから、お金をください」
「お肉を買いましたから、お金をください」
「お味噌を買いましたから、お金をください」
「ください」
「ください」
一品ごとに漱石の部屋に行って頻繁に請求しました。すると、漱石の方がうるさがり、いきなり一円札を足元に投げつけます。へそくりを貯めるのも大変です。
漱石は鏡子を眼の敵にしました。手を叩いて鏡子を部屋に呼びます。
「おい、鏡子」
「はい」
鏡子が顔を出すと、いきなりの怒号です。
「煙草がない」
言うが早いか、煙草盆を放り投げてきます。
「おい、鏡子」
「はい」
鏡子が行くと、また怒号です。
「時計が止まっている」
そう言って懐中時計を投げつけます。お金は渡さないが不平不満は投げつける。徹底した嫁いびりです。それでも鏡子の決意は揺るぎませんでした。
(なにがあっても動かない)
どんなにいじめても鏡子が出ていかないので、漱石は再び鏡子の実家に手紙を書きました。
「鏡子を引き取れ、連れ戻しに来い」
これに対して鏡子の父が返事を書き、わざわざ夏目家まで来て面会し、「どうか娘をおいてやって欲しい」と懇願しました。漱石は、それを材料にして鏡子を責めます。
「お前の父親は不人情だ。娘のお前がこれほどにいじめられているのに、連れ戻しもしない。オレのことを気狂いだと思って上の空で聞いている。しかたがないからしばらくは置いておくが、オレはお前が気に食わない。そのうち帰ってもらう」
もの凄い剣幕で吐き捨てます。しかし、鏡子にも覚悟がありました。
「わたくしに何の落ち度がありますか。追い出される理由はありません。わたくしには、このとおり足がございますから、追い出されたって、また歩いて帰ってくるだけのことです」
漱石はしつこく鏡子を実家に帰そうとしました。離縁状を手渡して「これを持って実家にいけ」と命じ、「歳暮だから里に帰れ」、「年始なのだから実家に帰れ」とさかんに追い出そうとします。しかし、鏡子は動きませんでした。
漱石の奇行は昼夜を問いません。夜中、寝ていた漱石が不意に起き出し、雨戸を開け放ち、冬だというのに庭に飛び出します。鏡子は、後を追いたいのを我慢してふとんのなかで寝たふりをしています。追いかけたりすれば、怒鳴りつけられることがわかっているからです。しばらくすると、漱石は黙って戻ってきて眠ります。
また、夜中に起き出して書斎へ行き、ドタンバタンと大きな物音を立てることもあります。鏡子はやはり動かずに聞き耳だけたてています。漱石は手当たり次第にランプや火鉢や鉄瓶を放り投げていました。そして、寝室に戻ってきて眠ります。翌朝、鏡子は書斎の大掃除に追われます。
ある夜、ネズミが台所で暴れて大きな物音がしました。その物音で漱石と鏡子は目を覚ましました。
「いまガタガタしたのはお前だろう」
漱石が言います。そんなはずはありませんが、漱石は本気で言います。
「ネズミでしょう」
鏡子がこたえると、漱石は大声で無茶を言います。
「じゃあ、ネズミを捕まえてこい」
また、別の夜、漱石は深夜まで書斎で仕事をしていました。手を叩くので鏡子が書斎に行くと、無理難題です。
「すぐにご飯を持ってこい」
鏡子はやむを得ず、あり合わせのものでお膳をしつらえ、書斎に運びました。翌朝、鏡子が書斎に入ると、ひと箸もつけられていませんでした。
ある日、鏡子が買い物に出かけると、そのすきに漱石が女中を追い出してしまいました。鏡子が帰ってみると、家の中は真っ暗で、子供たちが暗い部屋の中で泣いています。
女中が居なくなると人手が足りず、朝食の準備すらできません。やむなく鏡子はパンと砂糖を出しておきました。漱石と子供たちはパンに砂糖をつけて食べました。
ある晩、家族そろってご飯を食べていました。そのうち子供たちが無邪気に歌を唱いはじめました。すると漱石が「うるさい」と怒鳴り、お膳をひっくり返して書斎に籠もってしまいました。
漱石の虐めは凄まじいものでしたが、鏡子の忍耐もたいしたものです。ただ、まだ幼かった夏目家の子供たちは不安と恐怖を強烈に感じたに相違なく、トラウマを抱え込むことになりました。
漱石は狂っていました。妄想に支配されていたのです。そのときの漱石がどんな気持ちでいたのか、よくはわかりません。ただ、手がかりがあります。漱石が知人に宛てた手紙の一節です。
「癇癪が起こると妻君と下女の頭を正宗の名刀でスパリと斬ってやりたい。妻君は何だか人間のような心持ちがしない」