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鏡子の決意

 英国から帰国して東京に落ち着いた数日後、冒頭で紹介したように、漱石は長女の筆子をいきなり殴るという事件を起こします。鏡子は驚き、問い詰めますが、漱石の語る理由は被害妄想者の妄想でしたから、鏡子にはまったく理解できません。

(赤ん坊のころの筆子をあんなに可愛がっていたのに、どうして)

 鏡子は漱石の変貌ぶりに徐々に気づいていきます。非常に怒りっぽく、些細なことで人を責めます。機嫌が良いかと思えば、突然、大声を出して叱責します。まさに「頭が悪く」なっていたのです。

 江戸っ子の漱石は、機嫌さえよければ江戸弁で冗談を言ったり、減らず口をたたいたりして、陽気に過ごす人でした。それが一転、不機嫌になり、ガミガミと小言を繰り返し、大声で怒鳴り、殴ったりするようになりました。その被害者は、妻の鏡子、まだ幼い筆子と恒子、さらに女中にまで及びました。そのうち漱石は鏡子に対して離縁を迫るようになりました。わけのわからない鏡子は、できるだけ聞き流すようにしていました。

 四月、漱石は東京に職を得て、一高と東大で教鞭を執りはじめます。律儀な漱石は過剰なまでに綿密な講義ノートをつくり、万全の準備をして講義に望みましたが、教職が嫌いなようでした。折に触れて鏡子に「いやだ、いやだ」と訴えました。官費留学した漱石には官職に就く義務があったのです。義務を果たしつつも、不満だったようです。文学論で蹉跌した漱石は創作に対する意欲を秘かに燃やしていたようです。

 漱石は職場でも癇癪を爆発させました。図書館の事務員が騒がしいと主張して学長に抗議したりしました。おそらくは被害妄想だったのでしょう。

 

 漱石の「頭の病気」は六月頃からいっそうひどくなり、七月に入るとさらに深刻化しました。子供が泣いたと言っては怒り、足音がうるさいと言っては怒り、ときには何の理由もないのにひとりで怒り出します。夜中、何が癪に障るのか、突然に怒りだしてふとんをはねのけ、起き上がるや枕を投げる、布団を投げる、手当たり次第に物を放り投げます。

 妊娠していた鏡子は、重いつわりに苦しみつつ幼い子供の面倒を見て、家計をやりくりし、さらに漱石の暴力と暴言に耐えねばなりませんでした。

「里へ帰れ」

 漱石は幾度も鏡子に離縁を迫りました。鏡子も疲れ果てており、子供たちを守るためにもいったん離れた方が良いかもしれないと考え、七月、実家に帰りました。

 その間、妊娠中の鏡子のかかりつけ医である尼子四郎が漱石の病状を診察しました。尼子は漱石を精神科の専門医のもとへ連れて行き、診断を受けさせました。その診断は暗澹たる内容です。

「どうもただの神経衰弱ではない。精神病の一種だと思う。ああいう病気は一生なおりきることがないものだ。一時的に沈静化しても、あとでまた出てくる」

 この診断を鏡子はむしろ肯定的に聞きました。

(病気ならばしかたがない)

 発病前の漱石を鏡子は知っています。ですから漱石の暴言も暴力も「頭の病気」が原因なのだと納得することができました。

(本当は、あんな人じゃあない)

 その後、漱石と鏡子のあいだを幾人かの親類がとりもってくれ、おかげで鏡子は九月に漱石の元に帰ることができました。その際、鏡子は決意を固めていました。

(どんなことがあっても決して動かない)


 十月、漱石の病状は緩解していました。この頃の漱石は水彩画に熱中していました。その創作活動によって精神が癒やされたのかも知れません。

 十一月、鏡子は無事に三女栄子を出産します。しかし、悪いことには漱石の病状が悪化します。生まれたばかりの赤ん坊の泣き声が漱石を刺戟したのかも知れません。出産後の鏡子は床について体力の回復に努めていましたが、そんな鏡子に対して漱石は冷たい視線を送ります。そして、鏡子が寝ている産室のそばに来て、意地悪く言います。

「お前は、今は産後だから大目に見るが、日がたったら帰れ」

「お前は、ほんとうは、この家に居たくないだろう。でも、オレをイライラさせるためにそうやってがんばっているんだろう」

 漱石は完全に被害妄想に陥っており、その妄想ゆえに奇行をくり返しました。三才の恒子をいじめることさえありました。鏡子は相手にせず、受け流しました。ただ、女中や看護婦の手前、じつに体裁の悪いことでした。


 鏡子が産後に寝込んでいるあいだ、漱石は鏡子の実家に手紙を書き、「鏡子をひきとれ」と要求し続けていました。これに対して鏡子の父は、「いまは産褥中だから決められない」とか「本人の意思次第だから」と返事を書いていました。

 その手紙の往復を察知した鏡子は、ある日、漱石が学校に出勤している昼間に母親を呼び、事情を聞きました。中根家の親戚のなかには「あんな精神病の男から鏡子をひきとれ」と言う人もいるとのことです。一部始終を聞いて状況を把握した鏡子は母親に次のように決意を表明しました。

「夏目が精神病であればなおさら、わたしはこの家をどきません。わたしに落度はないのです。わたしひとりが実家へ帰ったら、わたしは安全でしょう。しかし、子供たちはどうなるのです。主人はどうなりますか。病気の夫のそばに居て、及ばずながらも看護するのが妻の役目です。わたしがどいて、後妻が来たとして、だれが辛抱できるものですか。逃げ帰るに決まっています。こうなったからには、わたしはどうなってもようございます。わたしがここに居れば、嫌われようとぶたれようと、いざとなればお役に立てるでしょう。わたしひとりが安全になっても、夏目や子供たちが困るでしょう。わたしは一歩もここを動きません。いつまでもここに居ることにしましたから、お母さん、どうか黙って見ていて下さい。夏目の病気が一生治らなければ、わたしは不幸になるでしょうし、治ればまた幸福になれるかもしれません。危険は百も承知です。子供たちのこともできるだけ守ります。どうか、このままにしてください」

 鏡子は涙を流しながら母親に決意を伝えました。母親は肯いて、鏡子を励まし、帰りました。

 鏡子の見事な覚悟です。鏡子の決意がなかったら、夏目家は一家離散の結末に至ったかも知れません。漱石は孤独な狂人として後半生を過ごしたかも知れず、そうなれば創作にも支障をきたし、交友も途絶し、小説家夏目漱石が生まれなかった可能性すらあります。孤独になりたがる漱石と社会とをつなぎ止めたのは鏡子でした。その意味において、鏡子の内助の功は最大限に評価されるべきものといえるでしょう。


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