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死別

 漱石は、大正二年三月末に再び胃を悪くして病臥しました。すると神経衰弱が緩解します。胃の調子が回復してくると、こんどは神経衰弱がひどくなります。こうした不思議な循環に鏡子は気づきました。しかし、症状や経過を理解できても、治療はできません。漱石のひどい神経衰弱は六月まで続きました。

 その後、漱石は重い病状のなかで「塵労」、「こころ」、「硝子戸の中」などを発表します。しかし、大正五年になると、リューマチと糖尿病を発症し、さらに十一月には胃潰瘍が再発します。それでも漱石は「明暗」を書き続けました。病状が悪化し、原稿用紙の上に突っ伏して苦しんでいることもありました。二十日を過ぎると漱石は安眠できなくなりました。鏡子が背中をさすってやると漱石はウトウトできます。

(もう、大丈夫かしら)

 鏡子も寝ようと思い、さするのをやめると、漱石が目を覚まします。

「苦しいんですか」

「いいや、苦しかない」

「じゃ、痛むんですか」

「いいや、別に痛みもない」

 漱石は駄々っ子のようでした。

 ほとんど食べられない状態の漱石は、空腹を訴え、しきりと食べたがりました。しかし、食べれば胃に負担がかかります。医師は、アイスクリームや果汁や薬を与えるよう鏡子にアドバイスしました。

 十一月二十七日の深夜、眠っていた漱石が急に起き上がり、妙なことを言いました。

「頭がどうかしている。水をかけてくれ」

 驚いた鏡子がともかく漱石を寝かせると、白目をむいて失神してしまいました。鏡子はあわてて家内に泊まっている看護婦をよび、女中に湯を沸かさせ、医師を呼びにやらせました。

「あなた、しっかりなさいよ」

 鏡子の呼びかけに漱石は正気をとりもどしました。鏡子は漱石の望みどおり、頭に水をかけてやりました。

 朝になると、漱石の胃のあたりが異様に膨れていました。内出血です。医師たちは、いかにしてこの血を体外に出す方法を協議しました。医師たちは漱石に「しゃべらないように」と注意を与えていました。しかし、漱石はしゃべります。

「さっき、おまえはオレの顔に水をかけてくれたね」

「だって、かけろっておっしゃるから」

「いい気持ちだったよ」


 そのまま十二月になりました。病状は悪化し、みるからに衰弱してきました。医師達は「もうダメだ」と判断しました。漱石の死は十二月九日です。

 その日の午後、次女恒子と四女愛子が漱石の枕頭に座りました。愛子は、父親のあまりの衰えぶりに驚き、泣きました。

「泣くんじゃありませんよ」

 鏡子が注意すると、漱石は逆のことを言いました。

「いいよ、いいよ。泣いてもいいよ」

 優しい声でした。やがて、そのほかの姉妹兄弟も漱石の枕頭に座りました。小学校から帰ってきた純一と伸六が座ったとき、漱石はふたりに顔を向けて笑顔をつくりました。伸六がはじめてみる笑顔でした。姉妹達がたまりかねて泣きだすと、漱石は優しい声を出しました。

「泣くんじゃない。泣くんじゃない」

 伸六は泣きませんでした。悲しくありませんでした。そして、そのことを伸六は後ろめたく感じました。父の死に際の枕頭で伸六の心を支配していたのは不安と恐怖です。この父が、突然に立ち上がり、怒鳴り、殴るかもしれないという恐れです。伸六にはどうしようもありません。トラウマなのです。そして、このトラウマを植え付けたのは、ほかならぬ漱石その人でした。神経衰弱のためとはいえ、毒親と化した漱石が伸六を打擲した結果です。ただ、伸六の意識は、父の死に際して涙ひとつ流さない自分に後ろめたさを感じました。


 漱石とて好き好んで神経衰弱になったわけではありません。漱石もまた、幼い頃にトラウマを植え付けられ、心身を過緊張状態にしたままに生きてきました。そこから様々な病気が発症したと考えられます。

 さらに、毒親問題の罪深さは、世代間連鎖することです。漱石も連鎖の一環だったに過ぎません。だれもが善良な人々なのですが、些細な理由からあるいはやむを得ない原因で、その善良な人々が心を凍らせ、毒親化し、親子が心の交流を失うのです。何とも悲しい事実です。


 漱石の死後、漱石論が盛んになりました。論者たちは、鏡子のことを誤解し、「悪妻」とか「ヒステリー」とか「自殺未遂」などと書き立てました。これは漱石が日記に書き残した「悪妻」という言葉を無批判に信奉し、ろくに取材もせぬままに過大な虚構を構築した結果です。今も昔も言論人は無責任です。

 鏡子はまったく意に介しませんでした。それだけでも大人です。漱石の生涯をふりかえるとき、鏡子の内助を評価しないわけにはいきません。むしろ、最大限に評価したくなります。

「絶対にこの家からどきません」

 鏡子の決意があったからこそ、小説家夏目漱石が成立したと言えるでしょう。末子の伸六は、母親の鏡子について次のように書いています。

「この母は、子供たちに対して、一度たりとも、偉くなれだのもっと勉強しろだのと言ったことはないのであって、学校の成績が良かろうが悪かろうが、けっして、そんなことで子供たちを叱ったためしがないのである。だから、われわれは文字どおり自由に、ほとんど干渉というものを受けずに育ったわけで、むろん、その結果の良し悪しは別問題として、ただ、現在のごとく、自分の見栄と欲から、あわれな子供の尻を叩き叩き、ほとんど遊ぶ暇もないほどに追い回す多くの母親と比較して、私は、この点だけでも、心から、母に感謝しているほどである」

 鏡子はまさに「おふくろさん」だったように思えます。鏡子にとって、漱石という夫は、もっとも厄介で、もっとも手を焼かされた大きな子供だったかも知れません。

 家庭を家庭たらしめるものは何にもまして「おふくろさん」としての母親の存在だということがよくわかります。「おふくろさん」こそが、毒親化した父親から子供たちを守りうる唯一の存在だからです。


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