伸六
次男の伸六は、まだ幼く、よく泣きました。だから姉たちがいつもそばに付いてお守りしていました。それでもよく泣きます。その泣き声を聞くと、漱石は決まって書斎から出てきて姉たちを責めます。
「お前がつねったんだろう」
濡れ衣を着せられた姉たちは悔しさのあまり泣きます。つられて伸六がさらに泣きます。すると漱石は伸六にだけ優しい声をかけます。
「おお、よしよし、良い子だ。お父さんがついているよ」
末子だった漱石は、同じ末子の伸六にだけ感情移入していたようです。しかし、神経衰弱を発症しているときの漱石の顔は険悪でした。その顔を見た伸六はますます泣くという始末です。
この状況は、大げさに言えば悲劇的です。漱石は末子の伸六をあやし、はげましているのですが、その根底には自分の都合があります。自分が末子だったから同じ末子を優しくあやすのです。伸六のためというよりは自分自身のための行動です。そんな漱石の行動は、姉たちから見ればあきらかに依怙贔屓です。また、あやされている伸六も、あやされて安心したかといえばそうではなく、いっそうに怖いのです。恐怖の対象である父親の腕に抱かれても安心はできません。
鏡子が留守にしていたその日、どんな理由があったのか、漱石は純一と伸六に「外で遊んではいけない」と命じました。しかし、まだ幼い男の子のことです。いつの間にか外へ遊びに出て行きました。それを知った漱石は激怒し、帰ってきたところを突き飛ばし、門前の路上で殴りました。
それを見ていた女中ふたりは、「あまりにもひどい。こんなことでは何をされるかわからない。やめさせていただきます」と言って出て行ってしまいました。すると、漱石が激昂します。
「勝手に出ていったか。けしからんやつらだ」
その一部始終を見ていた長女の筆子は義憤に駆られ、漱石に口答えしました。
「出ていくのはあたりまえです。あんなひどいことをなさるんですもの。純一と伸六だってかわいそうじゃありませんか」
「生意気を言うな」
漱石は筆子を殴りました。
鏡子が帰ってみると、女中はおらず、筆子が泣いていました。女中が居なくなってしまったので、この日からしばらく、漱石は書斎の廊下の拭き掃除を自分でする羽目になりました。
漱石の奇行は止まりません。漱石は午前五時頃に目を覚まし、ガバと起き上がると雨戸を開け放ち、大声で怒鳴ります。
「起きろ」
家族全員、起きなければなりません。
「グズグズするな」
漱石は家族を急き立て、ひっぱがした布団を丸めて押入に放り込みます。
そして、ついに鏡子に対して離縁を要求するようになりました。
「出ていけ、といっても行くところもないだろうから、別居しろ。いや、オレが別居する」
「いやですよ。どこへでもついていきます」
鏡子は相手にしませんでしたが、漱石はしつこく別れ話をくり返します。とはいえ、鏡子にはすでに免疫がありましたから、すこし余裕がありました。
(前の時に比べれば軽い方だわ)
しかしながら、まだ幼かった子供たちは、たまりません。なかでも末子の伸六は、冒頭で紹介したとおり、射的場で激しく漱石から打擲されるという体験をしました。その衝撃はよほど大きく、伸六は成人してのちに当時のことを詳細に思いだし、漱石がなぜあのような蛮行に及んだかについて考察した随筆を書きました。
虐待された子供は、「なぜ」という思考の無限ループに陥るものですが、伸六もそうだったようです。不安と恐怖がよみがえると幼児的心理に退行してしまい、自分と何らかの因果関係があったのだと考えずにいられなくなるのです。成人した伸六は知性を総動員して堅牢な論理を組み立てました。
(それ故に父は自分を打擲したのだ)
しかし、客観的に見れば、漱石が神経衰弱を発症しただけのことです。伸六の知的作業は、まるで賽の河原に石を積むようなものです。じつに虚しい作業です。でも、そうせずにいられないのが毒親育ちの悲しい心理です。伸六の随筆には、毒親育ちの子供の複雑な心境が書かれています。
「まだ、何一つ意識らしい意識さえ持ち合わさなかった幼い頃から、私はずっと父を恐れてきた。父がニコニコ機嫌よく笑っていた顔も、また私等ちいさい子供たちと一緒に大口あいて笑った顔も私はいまだはっきりと覚えている。しかし、こうした父らしい姿を見ながらも、私はその裏に隠れたかすかな不安をどうすることもできなかった。小さい私はたしかにその頃から絶えず父の顔色を猫のようにいじけた気持ちでうかがっていた。父とふたりで相撲をとりながら、一生懸命に、いっぺんでもよいから父を負かそう負かそうと真っ赤になって痩せた腹にしがみついていた時でさえ、わたしの心の底には、いつ怒られるか解らないという、不安が絶えずこびりついて離れなかった」
父親に対する恐怖心をぬぐえないでいる幼い子供の心理が如実に表現されています。
そんな伸六でしたが、長姉の筆子が伸六に言ったことがあります。
「伸ちゃん達はとてもよかったのよ。だってお父様が一番病気のいい時に育ったんですもの」
筆子にしてみれば、伸六がうらやましかったのでしょう。筆子は、漱石の神経衰弱が最悪だった時期に幼児期を迎えていたのです。その恐怖は推して知るべし、です。しかし、そんなことは伸六の知ったことではありません。伸六にとっての父親漱石は、やはり恐怖の対象だったのです。神経衰弱の程度が比較的に軽度だったからと言って、伸六の受けた心理的ダメージ合が小さいとは限りません。
幼かった伸六は、父に対して恐怖を感じつつ、同時にある種の後ろめたさを感じていました。優しくしてくれたときや、一緒に遊んでくれたときでさえ、父を秘かに恐れていることを後ろめたく感じたのです。無意識レベルの恐怖と、意識レベルの後ろめたさ、その矛盾に伸六は苦しみました。




