それでも世界は回ってる
誰にも知られぬ廃墟のような場所で、少女は事切れている。ひどい姿だ。こんな酷い仕打ちを何故うけなければならない。悲しみと怒りが綯い交ぜになり、半ば半狂乱になりながら、髪をかきむしる。
「お前は一体なんなんだ! 僕にこんなものを見せてどうしたい! 僕はもう死んだんだ! その後の顛末なんて関係ないだろう!」
「そうだな。最後の最期までは関係がなかったとも言えるだろう」
ないでなくなかった? その意味ありげな物言いと、今も愉快気に話す口調に苛々が止まらない。
「あんたがなんだってかまわない! さっさと僕を解放しろ!」
「いやはや、ちょっと意地悪が過ぎたかな。そう急くものじゃない。そうだな。詫びといってはなんだから、君が関わらなかった場合を教えてあげよう」
「は?」
時がぐんぐんと遡っていき、あの時路地裏で僕が少女を見かけた場面へと戻る。しかし、一つだけ違うところがあった。僕が止めることなく、場面が進んでいく。彼女はそのまま乱暴され、命を取り留める。その結果に、僕は拳を握りしめた。
「こちらのほうが、生きているだけまし……ってか? 関わらなきゃよかったっていうのか?」
「だから急くなといっておろう」
塞ぎ込み不登校になる少女。傍目にも綺麗だと思ったその顔はやつれ。最終的には自殺してしまう。僕はその結果に、肩の力がふっと抜けていくのを感じた。
「どうにも……ならないじゃないか」
「はは、そうとも、これが運命というものだ。そしてこいつらの人生を見せてやろうか」
パチンと指を鳴らす音が響くと、少女を殺した男達の姿が映り、その後の人生と思われる場面場面が、早送りのように流れていく。
「おい、なんだよこれ」
「ふふふ」
普通に職に就き、結婚し、子を迎え、家族に囲まれて大往生をする姿。多少差があるものの、それぞれが生を全うしていた。思わずめちゃくちゃに腕を振り回し、その場面をかきけそうと、身体が勝手に動き、眼からは涙がとまらなかった。
「なんだ、なんでだ! おかしいだろう!」
「何がおかしい?」
「被害者の何の罪もない少女が死んで、人殺しのクズどもが人生を謳歌してるんだよおぉぉぉ!」
「そんなものだ、この世界は」
冷めた声と共に、パチンと指を鳴らしたような音が脳内に響くと、まるで監視カメラを映したセキュリティルームのように、人が映った場面がずらりと周囲を取り囲む。
「いじめを行い自殺に追いやった不良が、暖かい家庭を築く。女性関係で暴行事件や、汚い金でスキャンダルを起こした政治家が、当たり前のように再当選する。妻の働いた金をギャンブルにつぎ込み借金まみれ。男は新しい女を見つけて失踪。帰ってくるはずだと信じて、夫の残した借金を返す人生に疲れ果て、女性は子供達と一家心中。自分が開発した功績を同僚に奪われ、露見を恐れ左遷される。あとなにがあるだろうか……、そうそう、これなんて」
「やめろ! やめろよ……」
耳を塞いでも、楽しそうに世の中の理不尽を読み上げるようにした声が脳内を満たしていく。こいつは、こいつは何がしたいんだ!
呼吸をするのさえ苦しい。涙で前が見えない。ガンガンと頭が割れるように痛む。僕は死んだんじゃないのか? なんだってこいつはこんなことを……。
「目的はなんだ……。どうせ抵抗できないんだ……。さっさと要件を言えよ……」
「くくく、いじめすぎてしまったかな。要件を言う前に、こっちも見せておこうか」
さらに何を見せようというのか、はは、もう目を瞑っても無駄か。頭の中に直接映像が流れてくる。もう……勝手にしてくれ。頭がぼぅっとする中、映像が流れだす。どうやら、僕が関与した時の運命の続きらしい。
「やべぇよ、抵抗がすごくて思わず殺しちまった」
「あいつのせいで俺達の人生が滅茶苦茶になったんだ! 死んだって仕方ない! 仕方ないんだ……」
「ちっ……全然気が乗らなかったぜ。最期まで喚き散らしやがって。くそっ!」
こいつらの独白なんて興味がないのに……。なんの反省もしてないじゃないか。こんな奴らに、あの少女は……。彼女は辱められて、殺されたんだ。今度は、こいつらが思い出した声……?
『こんなことをしたって、身体を汚されたって、私の心は、魂は屈しない! あの人が……、繋いでくれた命を、無駄になんてさせるもんか! せいぜい思い出せばいいわ! 最期まで、暴力なんかじゃ自分たちの思い通りにならなかったあの人が……わたしがいたことを!』
乱暴されたときに大暴れしたんだろう。男たちはひっかき傷や、抵抗によって出来た小さな痣を擦り苛立っている。そう、せいぜいそんなものだ。か弱い女性が抵抗したところで、結果は覆ら得ず、下手に抵抗したせいで、その命を落としてしまった。その後の流れはほぼ前と一緒だ。奴らは人生を大往生する。僕はカラカラになった喉を、やっとのことでひり出した唾を飲み込むことで潤した。脳内に奴の声が響く。今までの軽薄な声と違い、その声はどこか厳かだった。
「どの運命にも共通することだが、少女が死ぬことは変わりない。だが、それは定命の者の小さな視点にしか過ぎない」
子供を抱く男たちが映る。娘や息子の結婚に涙し、孫を抱く姿。そして、なぜか消えないひっかき傷を、痣を擦りながら、震えるようにして縮こまる男たちの姿。
「これは、君と少女が出会わなければ起こりえなかった運命。彼女の魂は彼らの魂に確かに楔を埋め込んだ」
だが、こんなことは――
「なんの意味もないか? 君たちの視点ではそうかもしれんな。どれ、少し我が視点を貸してやろう」
うぅ、眼が熱い。なんだ、比較映像のように、俺が関わらなかった時と、関わった時の場面が映し出される。前者にうつる少女は、黒く歪な光に包まれている。後者は、眩しいくらいの輝きが少女を包み込んでいた。前者の男たちは黒く淀んだ光が渦巻、後者は黒く淀んだ光は変わらないものの、まるで呑み込まれまいとしているかのように、一筋の光がそこにあった。
「あれ……は?」
「魂だ。君は、魂を救ったのだよ」
その声は、まるで慈しむかのように、優しく脳内に響き渡った。