『竹原革命』ー地方政治の現状ー ~2~
竹原市長の著書を中心に、日本政治の現状を、テーマごとに提示していきます。
つづき…
まずは、地方政治と国政の制度の違いを理解しておこう。ひきつづき、本書より抜粋・改編する。
日本の地方政治・自治体は、「二元代表制」である。国政は、ご存知の通り、「議院内閣制」である。
「議院内閣制」は、選挙で選ばれた国会議員で構成される「内閣総理大臣」を指名し、
総理大臣は行政府である内閣を組織し、国会に対して責任を負う。
一方、地方政治は、地方自治法で、「首長(市長)も議員も、選挙で直接選ばれる首長公選制」を採用している。アメリカの大統領制みたいなものに近い。
それゆえ、二元代表制とは、
首長は、行政のトップとして最高責任者であり、
議会は、行政から独立し、首長の執政の監査役である。
両者は、お互いがお互いの権力を抑制し、チェックアンドバランスをとってゆくのが理想の形である。時には対立し、そして、『住民のために』協調しあいながら、地域の幸福な生活を増進するのが目的だ。
しかし、現実にはそうなっていない。-と、阿久根市・竹原市長は嘆く。
まず、地方議員の「低脳」さが問題である。「低能」といってもよい。
地方議員になるには、三つのバンが必要だ。
「地盤・看板・かばん」である。
地盤とは、「自分の選挙区内の後援会などの支持基盤=『票田』」
看板とは、「知名度」。よくいるプロレスラー議員・アイドル議員などがそれ。低脳さの代表格である。
かばんとは、現ナマ。選挙資金。政治には金がかかるのだ。票を買うから。
地方政治においては、特に、この「三バン」で、当落が決まることが多い。したがって、最初から、支持基盤があり、親が議員である程度、知名度の高い『世襲議員』が有力候補となるわけだ。親の威光を引き継ぎ、最近では、低能ぶりまで引き継ぐのが流行っているらしい。
よくよく考えてみれば、
小泉・安部・福田・麻生・鳩山と、五代続けて『世襲総理大臣』である。かのローマ帝国の最盛期、ネルバァ・トラヤヌス・ハドリアヌス・アントニヌス・マルクス=アウレリウスの「五賢帝時代」とは程遠い…「五暗君時代」とでも言おうか。
こうして、大都市に比べて、格段に選挙に通り易い地方では、「地盤・看板・かばん」をもつ世襲議員は、国政選挙における地方出身者よりも強みを発揮できる。
地方では、悲しいことに、投票率など三十パーセントなどざらであるから、既得権益者(利権団体)が、お望みの議員を通すことができる。それにより、選出された議員は、自分の「票田」を確保するため、一般の住民には目もくれず、利権の甘みにあずかる。こうした利権構造は、馬鹿息子に引き継がれる…
(つづく…)