雑談『ドラゴンVS龍』
とうとう、戦いの火蓋がきって落とされたか??
沈む帝国・アメリカと昇る王国・中国の、正面対決である。
そもそも、この二つの大国が、仲良くできるはずもない。思想的にも。
アメリカは、ネオ・リベラルが主流の国。経済では規制緩和、政治は民主主義・自由国家を標榜する資本主義国家だ。中国も、実質、資本主義国家であることは間違いないが、経済は共産党員の独裁体制である。
アメリカの政治潮流を、筆者は、二つの次元があると考えている。
一つは、保守主義の軍需産業大国としての政治である。戦争大好きなアメリカの一面であり、彼らは、戦争を扇動するため、政界を牛耳っている。化けの皮がはがれたオバマは、共和党のブッシュと何ら変わることなく、アフガニスタンには増派をつづけ、紛争を長期化させることで、国内の軍需産業を助けている。
なぜなら、アメリカの軍需会社は、国内で最大の雇用機関であるからだ。すなわち、最大の集票機関であり、資金源でもあるのだ。それゆえ、ホワイトハウスは、軍需産業に牛耳られているといっても過言ではない。彼らは、イラク戦争のように、民主主義の発展を標榜し、対テロと称して、あちこちで戦争をやる。戦争は金になる。だから、戦争や紛争は終わらない。結局、イラクから、生物化学兵器はなかったことが、この根拠となろう。なぜなら、CIAという世界最強の情報機関を持ちながら、イラクごときの兵器があるかないかなど、すぐに分かろうものを。
この辺の議論を突き詰めたい人は、広瀬隆氏『アメリカの巨大軍需産業』(集英社新書)をお薦めする。アメリカという国が、軍事費53兆円(2003~2005年の総額)であり、中国のそれを9倍近いことを考えれば、よく分かると思う。http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070814_military_spending/
広瀬氏の言葉を引用しよう。世界軍事ビジネスの正体とは―、
「世界には難民があふれている。原因は地域紛争にある。そこには、洪水のように鉄砲と弾丸が供給されてきた。どこからか、アメリカとヨーロッパ先進国からである。うちひしがれた難民に対する人道支援をおこなう輸送機も、同じ軍需メーカーの製品だ。…民族問題を論ずる前に、なぜ、紛争の現地で使われた兵器と武器のブランド名を、先に見ないのか。国連はなぜ一度もそれを議論しないのか」…
アメリカの軍需産業で働く、パートさん、アルバイト、下請け会社が、このような実態を知らないはずがない。では、なぜ働くのか。働かなければ食えないからである。食うためには、働く・・・しかし、彼らも人間である。たとえ、一部品でも、自分の関わった製品が、人の命を奪うと知っていれば、自己存在の正当化が求められる。アイデンティティーというものだ。それゆえ、アメリカ政府は、民主主義と正義を掲げ、彼らに正当な大義名分を付与するのである。
アメリカの、もう一つの政治意思決定システムは、陰謀史で語られる、ロックフェラー家などを頂点とする、ウォール街の金融機関である。彼らは、多極主義型である。つまり、彼らのやることは、「アジア通貨危機」のように、新興国に大量の投資金を流入させ、あたかも、投資が活発のような状況をつくり、為替価格を引き上げたあと、いっせいに売り浴びせる戦略である。こうして、彼らが金を儲けるためには、新しい国の台頭が必要となる。であるので、もはや崩壊寸前の米英覇権型世界秩序よりも、多くの金を国から国へと回すことのできる、多極的な世界秩序を目論んでいるといえる。
これからの世界秩序がどうなるか??
ジョージ・ソロスという、有名な投資家がいる。この人は、金融の仕組みを熟知し、それを利用して、巨万の富を築いた人物だ。彼のやることは信頼は置けないが、彼の言う事は、なかなか聞くに値する発言をいう。時間のある人は読んでみるといい。(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/2031)
結局、アメリカと中国はどうなるのだろうか?
中国は、アメリカ国債の最大の引き受けてである。しかし、今後、中国は、ドルを避けて、人民元の基軸通貨化を促進させるだろう。中国は、国内に、激しい経済格差を抱えているため、政治的には不安定といえるだろう。ソロスの語るように、中国を台風の目とした世界秩序ができあがるのか?それとも、より多極化した、経済ブロック構想が持ち上がり、世界経済は、緩やかに分断されるのか??一応、判断材料として、http://tanakanews.com/100131G20.htm を掲げておこう。
こういった金と武器が横行する世界を止めるのは誰か??
案外、身近にいるのだ。簡単だ。一人一人の意志である。世界を牛耳る輩は、地球上の極少数だ。日本で真の政権交代が行われるときは、おそらく、市民社会の形成と同時であるだろうと思われる。
なお、以上の議論は、筆者の独断である。本論の目的は、考える発端を提供することにある。市民社会は、相撲界とは違い、自由な議論が前提であり、そして、自由を志向する意欲が必要だ。皆さんも、時間があれば、いろいろと情報を集めてみるといい。