早分かり!! 鳩にも分かる『戦前・戦後日本の政治史』 (1)
久々になりましたな。皆さん、いかがお過ごしですか?日々、お疲れ。自分にお疲れ。自分を大切に、今年のモットーは、「反自己責任論」でいきましょう。自殺者を責めてはいけません。なぜなら、年間三万人も死ぬんですから、この国は!!それでいて、なにも、政策的責任をとらない政治家こそ、自己責任を徹底してもらいたいもんですな。日本に、早く、市民社会を形成しなければなりません。真の意味での。それが、「新」の姿であります。そのために、おそらく、これからの時代、血も流れることとなりましょう。
万物はすべて変化しています。
変化しないものはない。どんなに止まっているように思えても、時間と空間は、絶対的な尺度であります。概念ではありません。経験的事実です。それゆえ、万物は、不変ではない。永遠なものなど、何も無いのが現実です。
しかし、だからこそ、
そこに、永遠が有り得るのかもしれない。我々は、変わらねばならない。変えねばならない。なぜなら、勝手に、すべては変化していくから。放っておけば、性悪的に、すべては変化していくのが現実である。停滞などない。停滞と思えるのは、それが変化してないからではなく、自分の思う方向に変化できていないからである。これが、腐敗である。政治の腐敗、制度の悪。秩序は、やがて、自由を奪う。
したがって、我々は、自ら、変化を望まねばならない。変化に道筋を刻まなければならない。一本の大木は、どんな立派な大木でも、やがては、朽ちてゆく。だが、人の社会は、人が入れ替わり、活動することで、その生命を維持することができるのである。だからこそ、変化は必要なのであり、変化の原理は永遠なのである。
まずは、歴史を鑑みよう。
歴史を知ることは、我々の、これからの変化の道筋を、少しでも明るくすることができるのだ。人生は、不確実性に満ちている。人生そのものは、虚無的である。なぜなら、変化するからだ。創造と破壊の連鎖である。だからこそ、我々はそのものが破壊することを知っていても、明日を暮らすために、創造への努力を惜しんではならない。これが人の道である。政治とは、明日の暮らしを守るための、家計のやりくりである。国家という一つの大きな家の、家計である。ゆえに、すべての政治的政策は、経済的な実効性を帯びなければならない。
前置きは済んだ。
これから、かなり端的に、戦前日本の経済構造について、振り返ってみたい。