雑記(1)
「グローバル化」「グローバリズム」
いっとき、これでもかと叫ばれた、この言葉。しだいに、聞かれなくなって久しい。
「グローバル化」が持て囃されたのは、小泉政権下だ。この時期、日本市場は、規制緩和が行われた。
日本の規制緩和は、元来、アメリカからの要望だった。
日本は戦後、『護送船団方式』といわれる、官民一体の経済体制だった。すなわち、行政府は、民間産業の育成のために、外資企業を参入させず、市場介入を行う体制である。現在でも、規制大国日本であるのは、その枠組みがなんら変化していないことによる。
日米貿易摩擦が、構造的問題であると、アメリカ側は主張し、日本市場の規制緩和を要望した。こうして、かつぎあげられたのが、ネオ・リベの小泉だった。
小泉政権以来、派遣労働の規制撤廃、それによって、年功序列・終身雇用型の日本の株式会社構造は、瓦解した。当たり前である。正規社員を雇うよりも、派遣社員を、期間限定で採用した方が、人件費が浮くからだ。戦後日本は、そのような事態にならないように、手厚く、民間市場を保護していた。また、保護された民間側は、選挙で、自民党に投票するという、相互利益を取り結んでいた。
こうして、社会構造の変化に、労働者は、素っ裸のまま放り出された。
『護送船団』社会で生きてきた中年に、実力主義という名目で、やつぎばやに、リストラを浴びせかけた。大企業が率先して、その流れを担った。
だが、官僚機構は、肥大したまま残された。
この肥えた野獣は、民間市場を圧迫し、財政規律を乱した。官僚制が問題なのではない。官僚がいなくては、外交は誰がやる?政治家だけでは、能力的に、人数的に、無理であろう。しかし、その機構は、あまりに、大きすぎるのだ。日本の高度経済成長期では、それを支えることができたものの、いまのような、停滞期では、土台の方が小さくなって、沈下寸前である。第一次産業から、第三次産業の労働比率の見直しを図らねばならない。




