「商売としての政治」
お金って、なにか?
一般的に言われるのは、お金、つまり、「貨幣とは、経済学上、「価値の尺度」「交換の媒介」「価値の保蔵」の機能を持ったモノである。」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A8%E5%B9%A3 より引用)
銀行口座や商品券も、広い意味で捉えれば、お金に含まれよう。
だが、お金の「本質」は、価値の尺度でも、貯蓄性でもないと、筆者は考える。
お金とは、「信用」で成り立っている。
一万円札、無い人は五千札、それもない人は、筆者のように千円札を目の前に置いて、じっと眺めていただきたい。
紛れもない、ただの紙である。
鼻紙にもならない。ケツを拭くにしても、ごわごわして、とたんに切れ痔を誘発してしまう。危険だ。物として、なんら、役に立たない。千円札の特技は、「野口英世」に、落書きして楽しむ程度だろう。
だが、人の顔を叩くには効果的だ。百万円の束で、ほっぺた、ペチペチされれば、どんな人間も、思わず、にんまりしたくなるだろう。筆者は、かつて、十万円の札束(束だ!)で、自分のほっぺをすりすりしてしまった。とても若かった。金の魔力は、女の手より、男の心をなでるかもしれない・・・
政治家はお金が大好きである。なぜなら、選挙には莫大なお金がいるからだ。なに、普通に、民主主義的に、公明正大にやれば、供託金と選挙運動費とで済む。・・・が、衆院選で、供託金300万円はかかる。一定の投票数を得られれば、供託金は返済されるが、庶民が出馬するには、意外と、敷居が高いのが分かろう。
政治には「金がかかる」。いや、むしろ、政治屋は「金をかける」。投資するのだ。「ハイリスク・ハイリターン」なら、正攻法の気もするが、今までは、「ローリスク・ハイリターン」が、政治というビジネスであった。企業から献金をしてもらい、それで、地方の票を買い集め(だいたい、相場3万円くらい)。で、議席をとれば、あとは、企業に有利な政策を実行して、商売は成り立っている。
政治家の「三つ」の財布:
「資金管理団体」;一人の政治家に一つ許可されている。企業団体は、一社、年間50万円まで献金可能。個人は一人、150万円まで。
「政党支部」;政党同様に、企業、個人、団体ともに、献金に制限はない。
「後援会」;企業、団体からの献金は不可能。個人のみ150万円まで。
(『教科書が教えられない政治学』土屋彰久 より)
・・・・・高速道路が1000円だ、定額給付金だと、マスコミはそればかり囃し立てたが、その裏では着々と、利権のパイプラインが建設中だ。たとえ、高速道路を完全無料化しても、有り余るくらいの巨額のお金が、議員の懐に流れ込む。
21年度・補正予算の、道路に関する重点配分・・・
東京外郭環状道路。全体事業費;1兆2,820億円。
(http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-yosan/h21hosei.pdf 「国土交通省」HPより)
で、利権の構図:
東京外環道は、石原伸晃、菅原一秀、伊藤達也、越智隆雄の東京激戦区を貫き、「総選挙の首都決戦に備えた着工決定」(自民党東京都連幹部)。
整備新幹線の5ルートが、古賀誠、久間章生、森喜朗、大島理森の選挙区に建設
新規着工の高速道路4路線は、額賀福志郎、加藤紘一、海部俊樹の地元へと露骨。(http://d.hatena.ne.jp/yumyum2/20090603/p4 より引用)
こうして、お膝元の支持母体:建設業者などは、見返りとして、また、衆院選で彼らに投票する。「商売としての政治」である。
「貨幣」について、話そうと思ったが、次回に―。