自分が古き良き時代の冒険譚をプレイできなかった理由
『古き良き時代の冒険譚』
このゲームは昨今の複雑さを増していくゲーム事情へのアンチテーゼとして、全てのプレイヤーが途中で投げ出すことなく最後までプレイできるゲームを目指して2016年にPS4とPS Vitaで発売されたクソゲーである。
もう一度言う。クソゲーである。
どのくらいクソゲーかというと2016年のクソゲーオブザイヤーの大賞という不名誉に輝いたそうである。簡潔にまとめると、致命的な不具合やバグはないが長所らしい長所も存在しない。小学生がツクールで作ったRPGみたいな苦行ゲーらしい。
それが400円弱とお求めやすく価格改定されて『古き良き時代の冒険譚 Ne』としてNintendo Switchで発売された際、自分は怖いもの見たさでとりあえずポチったのだった。
これの購入を決めたきっかけは、フォロワーのブログだった。
彼はこれを2000円弱の頃に購入して、「スマホで基本無料だったら評価できたと思います」と言っていた業の者だ。おそらくネット上でこのゲームを最も高く評価している。自分が「怖いもの見たさで買いました」とTwitterに購入画面の写真をうpしたときも、彼は「怖くないよ」と空リプを送ってきたぐらいである。
正直なところ、自分は購入前に古き良きのレビューを読みあさって彼と同じ感想を抱いた。とりあえず遊べるなら、つまらなかったとしても時間潰しと割り切れるだろう。そう思って余っていたゴールドポイントをつぎ込んだ(リアルマネーを出す勇気はなかった)。
が、購入してから発売日まで待っている間に、別種の不安が頭を支配するようになった。
フォロワーは「バトルのバランスはそこまで破綻しておらず、戦略性を楽しむことが出来る」と語っていた。だが、彼と知り合いになった経緯を考えるとこの発言に少し疑問が残る。このフォロワー、戦略性の概念が少し極まっているような気がするのだ。
自分と彼はある作成ツールを使用してゲームを作っていた。このツール、戦闘システムが王道を往くアルテリオス計算式で交互に殴り合うだけというシンプルさを極めた代物で、しかもランダムに敵を出現させることも難しいという一般的なRPGにはちっとも向いていない仕様となっている。
従って、このツールで作られるのは敵とアイテムが最初から配置されたマップを強い敵を避けて通りながらアイテムを拾って能力を上げていくというパズルRPGとでも言うべき代物だ。アイテムを取得する順番が一個変わるだけで受けるダメージがガラッと変わることもあるので、とにかく細かくセーブとロードを繰り返して試行錯誤することが要求される。
彼も自分もこういう試行錯誤に慣れているのだ。もう少し有名なゲームで例えるなら、AC北斗の拳で永久コンボを覚えて数フレーム単位の差し込みをしあうのが楽しいと語るような、そういう世界に近いものがある。一般的にそれは「やべーやつ」と呼ばれる。普通のゲームはそんなことしなくても楽しいものだ。
もし古き良きに面白みを見いだしてしまったらどうしよう。もしそう感じてしまったなら一般的な感覚からかけ離れているということに他ならない。それはアマチュアコンテンツクリエイターとしては致命的だろう。
あれから一年半が経ち、『古き良き時代の冒険譚 Ne』は『古き良き時代の冒険譚 Ne+』とまた名を変えてバージョンアップした。未だに池田哲次はプレイを始められていない。
余談:『古き良き時代の冒険譚 Ne』を買った人は『古き良き時代の冒険譚 Ne+』が100%割引になると聞いたんですが、さっき確認したら定価でした。もうこのキャンペーン終わってるんですかね。