Never more.
数多世界を管理する神々。
彼らの行動に異変は無いか、世界が蟲に侵されていないかーー常にそれらを監視する神がいる。その特異さから、他とは一線を画した権能をいくつも持っていた。
数ある中でも、数多世界を自在に行き来できる"渡り"と呼ばれる権能が彼を象徴していた。
それぞれの世界に流れる時間にさえ囚われないことや、その姿から、いつの間にか"来訪神"、"濡れ羽"、"大烏"といった呼び名がついていた。
管理する世界を持たぬはぐれ神ーーそんな揶揄する意味もあったのかもしれないが、彼はそんな事を露ほども気にしなかった。
いつだって、気ままに世界を渡る。
世界は、命は常に進化している。
異界渡りの神ーー濡れ羽ノトラは、それを眺めるのがたまらなく好きだった。
そんなある時、科学技術の発展した世界で、"M.S.R"というマシンレースを見学していたところ、僅かに蟲を感知した。
いつものように反応の根源を探すが、一向に見当たらない。
「……どこからか流れてきたか?」
隣りあう世界から人や物、蟲が何かの拍子に渡ってしまうことは稀にある。
こういった場合には特定に時間がかかる上、遅れれば発生源では大きな問題になりかねない。
ノトラはレース会場を後にして世界の外側に降り立つと、肩からさげた大きなバッグからハンドベルを取り出して、二度鳴らす。音が止むと、翼を持った人型が姿を現した。眩くはないものの、全身が揺らめくように光を帯びている。
「全天使に通達。近隣の世界全てに散開し、現状の不具合の調査。僅かな異常も見逃すな」
天使と呼ばれた光は真上に飛び上がり、無数に分裂して彼方へと消えていった。それを見届けたノトラは、眼前の世界へ再度入っていく。
祖神イアへの報告も考えたが、まだ情報が少なすぎた。
「さて、どこから調べたもんか……」
そう言いつつ彼が眺めるのは、先ほどのレースの結果が表示された大きなパネル。手にした数枚のチケットと見合わせ、満足げにうなずいた。
チケットをたまたま近くでうなだれていた老人のポケットに押し込み、さも当然のように"STAFF ONLY"の看板を素通りしていく。そんなノトラの耳には、老人の歓喜の絶叫は届かなかったことだろう。
通路から階段を降りて道なりに進むにつれ、レース会場の喧騒が観客席よりも近く感じられた。
外に続く扉を開けると出場チームの島が目の前にあり、盛んにミーティングが行われていた。
だが彼はさらに階段を降りていく。
そこはレースを終えた機体の整備場のようであった。
"疾走する芸術"とまで評される"M.S.R."ーータイムだけではなく、機体のデザイン、走行中のパフォーマンス等加点方式で採点され、その得点を競う。
採点項目が非常に多岐にわたるため、チームの数だけコンセプトがある。特に機体には顕著だ。
「やあ、また一位通過だったようだね。おめでとう」
顔にタオルを乗せて寝そべっていた青年は、ため息を吐く。
「……またあんたか。関係者以外立ち入り禁止のはずだぜ」
「なら関係者なんだろうね」
「そうかよ。何の用?」
「今回のレース、何か違和感を感じなかったかい?」
青年はタオルをどけながら起き上がる。
美しいエメラルドの瞳が、ひたとノトラを捉える。
「なんでそう思った?」
「君の走りさ」
ノトラは視線を青年の奥ーー黒地に銀の装飾が入った機体へと移した。うずくまるようなその姿は、墨で描いた兎にも見える。
「王者ヒスイともあろうレーサーが、あんな無謀なレース展開をするとは思えなくてね」