梶田の誘い
『三島、元気してるか。今まで無意味にばったり校内で会ってたオレ達だけど、最近全然そういう偶然ねえよな。今度メシでも行かねえ?』
梶田からのラインに気付いたのは、梶田がメッセージを送った2日後の昼であった。
既に絶食生活が続いて2日経っていた。
元々細かったが、自分でも更に細くなったかと思う指先でメッセージをゆっくりと打つ。
『悪い。今そういう気分になれない』
それだけ打ち終わると、肩にかけていた布団を頭まで被り、体をぎゅっと抱きしめて震えながら蹲る。
今の精神状態はおかしい。自分でもそう気づいていた。
だが、どうやって今の不安定な状態から抜け出せるのか。元の自分に戻れるのかがわからない。
固く目を閉じ、睫毛を震わせていると、ブー、ブーという音が布団の外から聞こえた。
布団を軽く上げ、隙間から目だけ覗かせる。
鳴っていたのは先ほど床に投げ捨てた大地のスマホだった。
布団から四つん這いで這い出て、無造作に置かれたスマホをゆっくりと持ち上げるて画面を見る。
梶田からであった。
震える右手で耳にスマホを当てる。
「なに……」
「お前さ。どうしたんだよ」
「別に」
「エリカ様かよ。なんか声もいつもと違って暗いじゃん。まあいつも暗いんだけどさ。更に暗いとより女にモテねえぞ。男は明るくてなんぼ」
「うるせえ」
「はは。その調子だよ。いつものお前に戻ったか?」
「何の用だ」
一拍置き、梶田の吐息が聞こえる。何か言うのを躊躇っているようだ。言って良いのか迷っているような。
息を吸う音と同時に梶田が先ほどの軽い調子と変わって真剣な声音で告げた。
「お前さ……。就活うつってやつじゃね?」
「……は……?」
「いや。ごめん。なんか言葉にして『うつ』って決めつけて言うような発言に若干抵抗があったからさ。言って良いのか躊躇ってたんだけど」
「お前に何がわかるんだよ」
「いや、何か悩んでたのにちゃんと聞いてやれなくて……ごめんな……」
尻すぼみに謝る梶田のその言葉を聞いた瞬間、はっと目を見開き、ついで両目から涙が溢れた。
自分でも何故泣いているのかわからないが、片手で口を押え、くぐもった嗚咽を漏らす。
「三島……、大丈夫か?」
スマホ越しから梶田の心配した声が聞こえてきたが、その声を聞くと余計に涙が後から後から頬を伝う。
薄暗い部屋でグレーのパジャマ姿の大地は一人で泣き続けた。
二十歳を超えてから初めて泣いたように思えた。
大地を心配した梶田は、翌日・演習を放棄して大地の家を訪ねた。
暗い顔でドアを開けると、白い歯をにやりと見せながら満面の笑顔でコンビニのビニール袋を掲げた梶田は顔を覗かせた。
その姿を見て、何故だかほっと安心して、胸に溜まっていた澱のような息をふっと吐いた。
コンビニから買ってきたというおでんを折りたたみ式の小さい丸テーブルの上に広げながら、一緒に食おうぜと梶田は言った。
無言で梶田の前に正座し、おでんに焦点を合わせず太ももに手を置いたまま押し黙る大地を気に留めないように、梶田は胡坐をかき自分用に用意した更に乗せたおでんをもりもりと食べる。
「あ、このはんぺん美味え。でもこんにゃくはセブンの方が上かな~」
軽い口調で笑顔で箸を動かしながら自分に告げる梶田に目を向ける。
すると、急にぐ~と腹が鳴った。
「お、大地選手も腹すいてきましたか」
「うるせえ」
数字ぶりに感じる空腹であった。
今まで、空腹感よりもただ虚無感と不安感だけが身を覆っていたように感じていたので、空腹感を感じている暇がなかったのかと思う。
空腹を感じると、急に目の前のおでんの匂いが鼻に迫る。
湯気を立て、香ばしい匂いを発している温かいおでんに視線を向けると、口の中の唾液の量が増え、ごくりと唾を飲みこんだ。
たまらず箸を握りしめると、素早く皿に手を伸ばし、自分の顔に近付けた。
おでんを綺麗に平らげてしまった。自分でもどこにこんな食欲が残されていたのかと思うほど早いペースで、汁まで飲み干した。
「お~。いい食べっぷりですなあ」
茶化すように笑い、手を叩いた後ですっと真面目な顔になり、口元だけで梶田は微笑む。
「元気出てきたじゃん。やっぱおでんにしてよかったよ」
両手を、組んだ足の付け根に置き、白い歯を見せる。
その梶田の曇りのない表情を茫然と見ていた。
「梶田……」
梶田は、背を屈ませ前屈みになると、ぐっと大地に顔を近づける。
口をぽかんと開け、驚く大地の瞳を真剣に見つめ、こう言った。
「なあ三島。高田馬場の狭い路地裏に、精神科医の名医がいる。そこに行け。そんで、完全に治してもらえ」