放課後、部室、無駄話。
雰囲気だけ楽しんでいただけたらこれ幸い。
「ねえ先輩?」
「何だい後輩」
静かな部室に、後輩の声が響いた。
開け放たれた窓からは爽やかな風と共に運動部の活発な声が、締められた扉からは微かに吹奏楽の楽器の音色が入り込んでくる。
部室には、先輩と後輩の二人しかいない。
部員二人の文芸部、活動らしい活動は全く行っていないが、やたら歴史の長い部活なのでそれが黙認されているという、二人の部員以外は寄り付かない部室がここである。
なので先輩は、後輩の声が自分に向けられたものだと認識して返事をした。
「ウェブ小説って、なんでチート&ハーレムが人気なんです?」
「それが理想だからだろう」
手元の本から目を上げず、そっけなく答えた先輩を見て、後輩は机に頭を乗せた。
そして、腕を枕にして横を向く。
目線の行く先は本を読む先輩の顔である。
「つまり?」
「後輩、君は男にモテたいか?」
「えー?別に?」
「なら、女の子にはモテたいか?」
「あ、そうですね。どうせならむさ苦しい男より可愛い女の子に囲まれたいです」
「君の好みの女の子たちが、君を囲んで君を求める。理想か?」
「理想、ではなくともそそられますね」
「つまりそういう事だ」
「つまり、多くの人の理想がチーハーだと?」
「何の努力もなしに他人の上に立てるなんて、拒否する人間はそう多くないのではないか?」
「なるほど、ですねぇ」
納得してから、後輩は身体を起こして頬杖をついた。
そして、まだ本から視線を上げない先輩を見やる。
「つまりあれですか、R18の女性向け小説でやたら愛されるのも、やたら激しい夜があるのもそれですか」
「まあ、それが作者の理想の抱かれ方……って、後輩君まだ十八じゃないだろう」
「今それ言いますか?」
「先輩として、君の非行を止めるべきかと思ってな」
「でも先輩、あーいうのって高校生が見たら怒られません?」
「私は十八だからな、最初の注意書きでその文面がなければ合法だ」
「というか読むんですね」
「面白いだろう、人の欲が強く出てて」
「うわあ」
本から目を上げて、にいっと笑った先輩を若干引いた目で後輩は眺める。
そして、ふと思いついた。
「先輩、R18の本は買いますか?」
「江戸の春画の解説本なら買った」
「ひえ、ニッチ」
後輩が楽し気な声を上げると、先輩は読んでいた本に指を挟んで半分ほど閉じ、それを顎に寄せた。
そして半分ほど開いた目で後輩を見る。
後輩は、先輩のその表情が凄く美しいと思っているのだが、それを本人に行ったことはなかった。
「何が言いたい?」
「つまりですね、人間の欲が一番強く出るのがその分野だと、そういう事ですね」
「まあ、そうだな。それと同等によく出ている分野もあるが」
「え、なんですかそれ」
「食」
「……つまり、三大欲求?」
「そういう事だ。本能だからな、欲も出る」
涼やかに言った先輩の、細められた目を見つめて、後輩は新たに湧いてきた疑問をぶつけることにした。
「ところで先輩」
「何だね後輩」
「ハーレム物に限らず、主人公の気持ちを中々受け取らないヒロインは何でそうするんですか?」
「つまり?」
「性格、ってわけじゃないと思うんです。素直に受け取りそうな元気っ子が受け取らなかったり、逆に受け取るまで時間がかかりそうな内気な子がすぐに受け取ったり。この差って何ですかね?」
「それは自己肯定感の強さだな」
「自己肯定」
おうむ返しにすると、先輩は本にしおりを挟んで机に置いた。
本の表紙を撫でながら後輩に向き直った先輩は、本の上に乗せたのと逆の手を後輩に向ける。
「君は、私の事が嫌いか?」
「いいえ?むしろ好きですけど」
「なら、私が今君に「愛している」といったらどうする」
「えー、嬉しい。デートしましょ、デート」
「その反応は、自己肯定感が強い人間のものだ」
「先輩は違うんです?私の事嫌いですか?」
「いや?嫌っていたら君が来る前に部室の鍵を閉める」
「じゃあ、嫌いじゃないのに受け取ってくれないんですか?」
「そうだな。私はそれを冗談か嘘だと思い、受け取らないだろう」
「何でです?」
「私が、君に愛されるに値しない人間だと思っているからだ」
無言で疑問を提示する後輩に、先輩は向けていた手を下ろした。
そして、ゆっくりと目を閉じる。
そうすると、先輩の天然ものの二重は滑らかな瞼になる。
後輩の人工二重ではこうはいかない。うらやましい限りだと、後輩は常々思っているのだが、本人にそれを言ったことがないので先輩は若干の嫉妬を抱かれていることなど知らないだろう。
「後輩、君は、両親に褒められながら育ったか?」
「んー……そうですね、私一人っ子なので親は大分甘いです」
「なら、君が他の子よりも行動が遅れても何も言わなかったか」
「そうですねぇ。約束に遅れるのはお小言を頂戴しましたけど、そうじゃないなら別に。私、文字を書けるようになるのが他の子より遅かったんですよ。でも、そのうち出来るようになるよーって言われてましたし」
それが答えに繋がるのか、後輩は期待に満ちた目で先輩を見た。
そんな後輩の顔を見て、先輩は薄く笑う。
「君にとって、親との時間は心地いいものか?」
「そうですね、まあ、私も思春期なので?部屋に勝手に入るのはよしてほしいのですが?」
「それは18禁の本を隠し持っているからだろう」
「じゃあ、堂々と置きます?」
「問題しかないな」
楽し気に笑った先輩の、笑窪にしては上に位置している猫の髭のような窪みを眺めて、後輩は必死に思考を回した。
それでも、先輩の答えの着地地点は分からない。
「つまり、自己肯定感って何ですか?」
「そう焦るなよ」
「焦らさないでください」
「睨んでも怖くないぞ?……まあ、つまり自己肯定感とは、何もしていなくても生きていていいと思える感情だ」
「え、それって普通じゃないです?」
「それを普通だと思えるから、君はいい子だよ」
よしよし、と先輩は後輩の頭を撫でる。
説明を端的に端折られた感覚のある後輩は、若干不満げに身を委ねる。
「さっきの愛してるに戻りますけど、先輩の自己肯定感が低いと?」
「そうだな、私は、何かしらの成果を上げなければ自分に価値がないと思っている」
「成果、ですか」
「ああ。それはテストの点であったり、大学の推薦であったりするな」
「えー……それって、そんなに価値があるんです?」
「私はそう重視していないが、私の親は重視している。小さいころからずっとな」
「つまり先輩は、テストの点が低い自分に価値はないと思ってるってことです?」
「そういう事だ。なんせ、そう育った」
「それが、自己肯定感が低い状態だと」
「ああ。私は、君に愛されたとしてその愛に答えられる価値がない。なぜなら、そこに点数はないからな」
「んー……むつかしい。簡単に纏めてくださーい」
駄々をこねるように先輩の手に頭を押し付け始めた後輩に、先輩は目を細めた。
先輩はこの後輩を自分になぜか懐いている小動物だと思っている節がある。後輩はそんなことを思われているとも知らずに、小動物的行動を取り続ける。
「自己肯定感が低いと、自らを認めてくれる他者の声が聞こえなくなる」
「それで、告白を受け入れない?」
「ああ。いくら言われても、自分にはそんな価値がないと思っているからな」
「先輩もそうなんです?」
「いや?私はそこまで酷くはない。それなりに自分の価値を認めてもいる」
「例えば?」
「君が話しかけてくるのは、私との会話に多少の価値を感じているからだろう」
「多少どころじゃないですよ、かなりの価値です。なんてったって、私が遊びの誘いも振り切って部室に通い詰めるくらいですから」
ふふんっと胸を張った後輩を見て、先輩は何かを言おうとした。
それと同時に下校のチャイムが鳴り響き、先輩は後輩に気付かれることなく口を噤む。
「さあ、下校だよ、後輩」
「はーい。もっとお話ししてたかったです」
「君が来てから、私の読書の時間はお喋りの時間になったな」
「駄目ですか?」
「駄目なら部室から締め出しているよ」
話しながら部室を出て、鍵を返しに行く先輩とそのまま玄関に向かう後輩は別れる。
話すのは、部室に居るときだけ。
なぜかそんな雰囲気があって、お互いに校内で見かけても声をかけることはない。
共に下校することもない。
それでも、放課後の会話は毎日行われている。
といっても、後輩が持ってくる疑問に先輩が答えるだけなのだが。
色々書きたいことだけ書きましたが、私の思考は別に深くないので書いたことに深い意味はありません。




