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いつのまにか外は雨が降っていて、その中を勇士は傘もささずに走った。いっそ胸に抱えた思いを雨で押し流してしまいたいとさえ思った。

走って、走って。どれくらい経っただろう。

気がつくと、森の中にある小さな建物の前に立っていた。

夜の闇の中、そこは仄かな明かりがついていて、光に誘われる蛾のように、勇士はふらふらと引き寄せられた。

扉を開けると、訪いを告げるベルがからからと音を立てた。奥から人が動く気配がする。

入ってみると、中にはぎっしりと中身の詰まった本棚が所狭しと並んでいた。

(ってことはここはーー)

「こんな時間に誰ーーって、勇士くん⁉︎」

予想通り、現れたのは袋を被った叔父だった

表情の読めない袋を見てほっとする。

(袋を見て安心するなんて、俺も末期だな……)

自嘲する勇士の想いなど露知らず、叔父は慌てる。

「こんな雨の中どうしたの! 今拭くもの持って来るから、少し待っててね」

そう言って持って来たタオルには、可愛らしい猫の刺繍が入っていて、猫に見つめられた勇士は、思わず笑ってしまった。

「あー、こんなびしょびしょになって……傘くらいささなきゃ、風邪引くでしょ」

めっ、と叱ってくるが、勇士の髪をわしゃわしゃと乾かす手つきは優しくてーー頰が濡れていたのは、きっと、雨のせいに違いない。


叔父は濡れ鼠になった勇士を見かねてシャツまで貸してくれた。「ひとまず温まって」と言って奥の部屋に誘われ、温かいコーヒーを勧めた。

「いただきます……うっ、苦い」

思わず顔をしかめてしまったが、たしかに体に熱が染み通っていくのを感じて、緊張が和らいだ。

「え、嘘。……うん、これは苦いね。砂糖入れよっか」

叔父は袋の穴からストローをさして飲んでいた。奇妙な風景だが、気にしたら負けな気がしてきた。

勇士が一息つくのを見計らって、叔父は尋ねる。

「それで、何かあったの?」

勇士はぽつぽつと、今日あった信じられないような出来事を語る。

自分が前世で『勇者』だったと伝えられたこと。三人の女の子の呪いを解いたこと。ーー魔女のこと。

言葉にだしてみると、自分でも驚くほど現実味がなかった。

(魔法だとか呪いだとか、異国の話だと思ってたのに)

叔父は何も言わず、ただ聞くだけだ。だから勇士も話続けるしかなく、全て伝えきってしまう。そこで、気になっていたことを聞くことにした。

「叔父さんは、俺が『勇者』だって知ってたの?」

「知ってたよ。知ってて、ここに連れてきたんだから」

「どうして?」

表情は窺えないが、勇士には、何故か微笑んでいることがわかった。

「かわいい甥っ子が、何も知らないまま、呪いで死んじゃうのは嫌だったからね。それなら呪いが解ける可能性を上げた方がいいかなって」

それを聞いて、勇士は納得する。勇士が叔父の立場でもそうするだろう。だが。

「何で、俺なんだろう。前世の記憶なんて持ってないのに、なんで前世の俺のせいで、今の俺が呪われなきゃいけないんだ」

勇士には、理不尽に思えてならなかった。前世なんて、勇士にとっては何の関係もないというのに。

(何で、なんでなんでなんでーー)

暗い思考を止めるように、骨張った手が勇士の頭を撫でる。その手は驚くほど冷たくて、勇士の頭は文字通り冷えた。

優しく、諭すように語りかけられる。

「いーい? 勇士くん。世の中は理不尽なもんなんだよ。何の罪もない人が、ただそこにいたというだけで何も抵抗出来ずに凶弾に倒れることがままある世界だ。君は、抵抗する手段が与えられているだけ幸運だよ」

「でもーー」

「まぁ難しいことはともかく。人生は楽しんだもの勝ちだよ! 暗い顔してたら、幸せが逃げちゃうよ?」

どこまでも前向きな発言に、勇士はぽかんと口を開けていた。なんだか、悩んでいることが馬鹿らしくなってくる。

「……そうだね。ありがとう、叔父さん。あ、もう一つ聞きたいんだけどいい?」

「僕が答えられることならね」

なんとなく、勇士は叔父の袋を外した。特に抵抗もされず、母親に似た白皙の美貌が露わになる。

真っ直ぐ、叔父の目を見つめた。

「叔父さんも、物語の生まれ変わり?」

「……いいや。でも君たちのことを近くで見守ってたよ。強いて言うなら、村人Bみたいな感じ?」

叔父はまた勇士の頭を撫で始めた。そのまま耳元で囁く。

「ねぇ勇士くん。君が今世でどんな物語を紡ぐのか、僕は楽しみにしているよ」

その時、またあのベルが鳴る音がした。叔父が袋を被り直す。本当に人に顔を見られたくないようだ。

二人で見に行くと、そこにいたのは勇士と同じようびしょ濡れになった狼姿の壮だった。自慢のふわふわした毛がすっかり湿気てしまっている。

「やれやれ、ここにも濡れ鼠……いや濡れ狼がいるね」

「壮、どうして」

勇士が尋ねると、壮は大きく体を震わせて水気を飛ばした。「本が濡れる!」と叔父が喚いたのは無視しても良いだろう。

人間の姿に戻ると、まだ濡れている前髪をかき上げた。水も滴るいい男である。

「お前を探し回ったんだよ。相棒を放っておく奴がいるか?」

その言葉に勇士の胸が熱くなる。

「ありがとう」

壮は照れくさそうに視線を下げて頰を掻いた

「別に、当然だし。ま、落ち着いたみたいで良かったよ」

「うん。俺、逃げないことにした。最後まで抗うよ」

「さすが、俺の相棒」

壮がにやりと片頬をつり上げる。満足のいく答えだったようだ。

帰りは叔父がカッパを貸してくれた。狼の状態の壮に合うサイズはなかったので、壮はまた濡れる羽目になるが、乗せて帰ると言って聞かなかった。

「勇士くん、またいつでも来てね」

「はい! ありがとうございます」

狼の背に乗って手を振る。別れの挨拶を終えると、壮は全速力で疾走した。長い長い一日は、こうして幕を閉じたのだった。

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