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寮までの帰り道、魔物に遭遇するとこもなかった。が、寮について早々、面倒なものに絡まれた。
「ああ、僕のスノウホワイト! 目を覚ましたんだね!」
雪乃はその声を聞いてすぐに回れ右をしたが逃げる事は叶わなかった。
腕を掴まれると、まるでおぞましいものに触れたようにそれを払った。
「やめて、触らないで! 気持ち悪い呼び方もしないでって何度言ったらわかるの⁉︎」
「その嫌そうな顔もとても美しいよ、白雪」
「あああぁもう!『勇者』!この害虫を追い払って!」
「えぇ……」
そんな無茶な、と思いつつ絡んできた男を見る。イケメンだが、どうやら残念なイケメンのようだ。
男は微笑む。
「こんにちは、『勇者』くん。僕は東堂・エーミール・晃だよ。僕は白雪のーーおっと」
晃は雪乃から手を放した。反対の手には銃が握られ、銃身でナイフを受け止めていた。暴発しないのか心配である。
(何で高校生が銃持ってんだよ! 普通に法律違反だろ⁉︎)
思わず心の中で突っ込むが、ここが普通の学校ではなかったことを思い出した。
ナイフを持っていたのは、怒りに燃えて目をぎらつかせる壮だった。
「どこに逃げたかと思えば……こいつにちょっかい出してんじゃねぇよ」
そう言いながら、壮は雪乃をすっと引き寄せる。瞬く間に雪乃の頰が紅潮したのを勇士は見逃さなかった。
「狼くんこそ、僕の白雪に汚い手で触らないでくれる?」
「貴方に触られる方が何倍も嫌よ!」
雪乃は壮に促されるまま、紡たちの方まで逃げる。瑠璃の後ろに隠れることこそしないがぎゅっとその腕を握る手は震えていた。
一触即発の空気が流れ、他の寮生も野次馬になって息を呑む。その雰囲気を破ったのは晃の方だった。
「僕は別に喧嘩しにきたわけじゃないよ。寮長として新しく来た『勇者』くんを歓迎しに来ただけだ。ついでに愛しい人に愛を囁いただけで」
やれやれとばかりに肩をすくめると、勇士に向き合う。
「改めまして、僕は3年生で白寮の寮長だ。あと、『白雪姫』の王子だよ」
「え……?」
(王子……? でも呪いを解いたのは前世の俺で、だったら王子はいらないはずでーー)
困惑する勇士を見て、晃は笑みを深める。まるで勇士の心の中を読んだかのように。
「君にはもう一つ用事があってね。君に会いたがっている人がいるんだ」
タイミングを見計らったかのように、彼女は現れた。
闇を溶かし込んだような漆黒の髪、透き通る白磁の肌。それだけなら雪乃とよく似ているはずなのだが、彼女は全く違う印象を持っていた。何よりも大きな紅い瞳に目を吸い寄せられる。紅眼は強大な魔力を持つ証拠である
勇士は悟った。彼女が『魔女』だと。
「初めまして、『勇者』さま。私のこと覚えてる?」
「すみません、何も覚えていないんで」
「ふーん。ざぁんねん。まぁいいわ、私、貴方と遊びたいの!」
「遊ぶ?」
突然のことに面食らう勇士を、魔女はそれはそれは楽しそうに見つめる。紅玉の瞳がいたずらっぽく煌めいていて、勇士は状況も忘れて見惚れた。
魔女と聞いて禍々しい想像をしていたが、実際の魔女はいたずら好きの子どものように見えたーーが。
紅い唇が弧を描いた瞬間、背筋が粟立った。
「貴方がこの学校にいる生まれ変わり全員の呪いを解けたら、貴方の勝ちよ。解けなかったらーー前と同じことになるだけ」
それを聞いた壮が気色ばむ。
「おい待て! ここに生まれ変わりが何人いると思ってんだ! それは勇士が不利すぎる!」
「えー、うるさいわんちゃんだなぁ。でもまぁいいよ。勝敗がどうなるかわからない方がゲームは面白いもんね!」
不満げに唇を尖らせていたかと思うと、目を輝かせる。くるくると変わる表情についていけない。
「じゃあ、私が決めた五人の呪いが解けたらでいいよ! でも五人が誰なのかはひ・み・つそこまで言ったら面白くないしねーーわんちゃんったらこれでも不満なの? わかったわかった。他の生まれ変わりの呪いも解いていったら、ヒントをあげるから」
壮が険しい表情で睨んでいたようで、魔女は仕方ないとばかりにため息をつく。
まくし立てるように言われるが、勇士は状況を把握するのに必死だった。
「待って、俺はまだ承諾してーー」
「何もしなかったら、ゲームオーバーになるだけだよ? だから、貴方の意思は関係ないの
勇士の言葉を遮って、魔女は当然のように言い放った。そして、どこからか美しい薔薇を取り出した。
「これ、お近づきの印よ」
勇士は勢いに押され受け取ってしまう。魔女はそのまま踵を返して去ろうとしてーー振り返る。彼女が指を鳴らすと、勇士の手の中で薔薇は瞬く間に枯れ、朽ち果ててしまった。
風に乗って薔薇だったものが飛んでいく。勇士は呆然としていた。
「さよなら、『勇者』さま。そうならないように、頑張ってね」
魔女の後ろを晃がついて行く。勇士の思考は完全に止まっていて、その後のことはよく覚えていなかった。気づけば、壮と自分の部屋に帰っていた。
「今日は色々あったなー。早く寝るか」
「……おい」
気まずい雰囲気を誤魔化すような壮の言葉を無視し、我に返った勇士は、昨日ーーまだ一日しか経っていないのだーー壮にされたように肩を掴んで尋ねた。
「お前、まだ俺に言ってないことがあるだろ
「…………」
壮は押し黙る。しかし勇士は追及を緩めない
「俺、物語の王子は『勇者』の別の呼び方だと思ってたんだ。話的にはお姫様と結ばれた方がまとめやすいしーーでも実際は違う」
肩を掴む手に思わず力が入る。頭に浮かぶのは目の前で朽ちた花。前世というよくわからないものに自分の命が脅かされる恐怖。
「『白雪姫』にも『眠り姫』にも、『勇者』なんて出てこない。いるのは王子だけだ。だったら俺は、何なんだ⁉︎」
激しい剣幕で問いただされ、壮は頭を掻く。すっと目を閉じて、次に目を開けた時には、そこには決意の色が見えた。
「仕方ねぇな、本当はもっとお前がここに馴染んでから話そうと思ってたんだがーー」
勇士は、長い昔話を聞くことになった。
昔々、いたずら好きの魔女がいて、町中の人に呪いをかけて楽しんでいました。魔女は狼を従え、悪事を働かせていました。
狼が魔女に言われるがままに赤い頭巾を被った女の子を襲っていると、遠い異国からやって来たという男が狼を懲らしめました。
狼と男は意気投合、狼は魔女ではなく男に従うようになりました。
二人は町中の人の呪いを解き、男は人々から『勇者』と呼ばれるようになりました。
勇者は魔女も懲らしめ、町は平和になり、人々は幸せを享受していましたーーけれど。
町に居座っていた勇者が、突然いなくなりました。
失踪の理由はよくわかりませんが、魔女の仕業だと考えられていました。それからすぐに、勇者が来る前と同じように、そして更に苛烈さを増して、魔女の呪いが再燃したからです。
さらに不思議なことに、人々はあれだけ頼りにしていた勇者の存在をすっかり忘れてしまいました。覚えているのは、勇者と特に親しかった数人だけです。
そうしているうちにも、町の人々は何者かの作為を感じるほど、現在伝わる物語と同じような人生を歩んだのでした。
「ーーざっくり言うと、こんな感じだ」
「つまり、俺は呪いを解いて魔女の恨みを買って、消された可能性が高い、ってことか?」
「……そうだな。少なくとも俺らはそう考えてる。真相はお前が覚えていたら聞こうと思ってたんだが、それは無理みたいだし。……こんな話、来て早々言われても混乱するだけだと思って言えなかったんだ」
「…………」
今度は勇士が黙り込む番だった。壮は眉を下げ、心配そうに勇士に手を伸ばす。
「勇士。今度こそ、お前をいなくならせたりはしない。俺が出来る限り、お前のために力を尽くーーって、おい!」
勇士は、壮の手を振り払い、部屋から走り去った。