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紡の視点から始まります。
ふわふわ、ふわふわ、夢の中。
夢に見るのは、昔々の物語。
前世も含め、気が遠くなるほど長い年月を眠ってきた紡にとって、夢は現実よりも近しいものだった。
楽しい夢もあれば、哀しい夢もある。一番好きなのは、『勇者』と過ごした、彼女の人生でとても短く、けれども最も大切な記憶。
大抵の生まれ変わりが、前世の夢を見る。その中でも最も夢の中にいる時間が長い紡でさえ、前世の全てを、正確に思い出すことはできなかった。
あんなに好きだったのに、大好きだったのに
時が過ぎていくにつれ、少しずつ、『勇者』の姿が色褪せ、朧気になっていく。鮮明だった、優しく起こしてくれる声さえも遠のいていくようでーー紡は恐ろしかった。
もし、彼に夢でも逢えなくなったら。そんなことを想像するだけで、胸は痛む。
せめて名前だけでも覚えていたならば、その名を呼ぶことができるのに。他の生まれ変わりと同様、名前に関してはノイズがかかったように上手く聞き取れない。
『勇者』さま、早く起こしに来てくれないかなぁ。
昔みたいに。
わたしからあなたの記憶が消えてしまう前に。
そんなことを考えていた時、紡の意識は現実世界に引き戻された。
男の人の荒い息遣いが聞こえる。疲れた、と思わずといった様子で溢れた声には懐かしさで心が震えた。
昔から『勇者』の声が聞こえただけですぐに目は覚めたけど、せっかくだから寝たふりをする。
薄目を開けると、同じくらいの年頃の男の人がこちらに近づいて来ていた。目を瞑ると、ベッドを覆う薄い布が取り払われ、男が息を呑む気配がする。
肩に触れる手が熱い。
「起こしに来ましたよー。起きてください」
優しい声。昔と変わらない声。胸が温かくなる。欠伸をして目をこすりながら、そっと『勇者』の生まれ変わりの顔を窺った。
その瞬間、胸が高鳴った。
生まれ変わりとはいえ、全く同じ人物ではないわけで。男は『勇者』よりも優しげな顔立ちをしていた。似てないだけ、その差異によって『勇者』の顔も鮮明に脳裏に蘇った。
『勇者』様は、もうちょい気の強そうな顔だったなぁ。でも、わたしはこの人の方がずっと好み。というか、どうやら一目惚れしちゃったみたい? 胸が苦しくてしょうがない。
そうだ! 望まない相手に目覚めのキスをされるくらいならーー初めての口づけくらい、好きな相手に捧げたい。
そして、わたしは目の前の男を引き寄せるとそっと、万感の想いを込めて口づけをした。
久遠勇士、十五歳。彼女いない歴=年齢。ただ今ファーストキスを経験中。
呆然として、目を瞑ることも出来ないでいると、少女の気持ち良さそうに閉じられていた目が大きく見開いた。そのまま顔を真っ赤にして後ずさる。
「ご、ごめんね〜。寝ぼけてましたぁ……」
「い、いえ、こちらこそごめんなさい」
勇士は自分でもいったい何に謝っているのか分からないが、そう言うしかなかった。朱に染まった白い頬を見ていると、まるで自分が彼女に無理矢理キスしてしまったような錯覚に陥り、いたたまれなさが増す。
二人でひたすら謝りあった後、少女は少し落ち着いたようで、首をかしげる。
「そういえば、君の名前は? わたしは茨紡っていうの〜」
「あ、久遠勇士です……茨さんは、何の生まれ変わりなんですか?」
「紡でいいよ、敬語とか堅苦しいのも苦手だなぁ。わたしはね、『茨姫』……ん〜、『眠り姫』の方が分かりやすいかぁ。とりあえずその記憶を持ってるよ」
それで荊がこの塔を守っていたのか。納得するとともに、勇士は内心とても焦っていた。生まれてこの方、女の子を下の名前で呼んだことなどない。考えるだけでハードルが高すぎる。しかも相手は美少女。
(名前で呼ぶとか無理!)
固まっている勇士を紡は不思議そうに見つめると、ちょんちょんと袖を引いた。
「な、なに!?」
慌てすぎて声が裏返ってしまっている。
「いやぁ、顔が赤くなったり青くなったりしてるから、体調が悪いのかなぁって。階段大変だし少しベッドで休む?」
「い、いいよ! 大丈夫!」
「無理しないでね〜。あ、そういえば雪ちゃんたち待ってるのかぁ。じゃあ降りなきゃね」
そう言うなり、紡はベッドから降りようとしてーー白い足が目の毒だーー立ち上がろうとすると、そのまま見事に転けそうになるのをすんでのところで受け止める。
「! 怪我はない?」
「ん。こんなに長く寝たの久しぶりだから、感覚掴めなかった〜」
けろっとした顔をしているので、特に問題はなさそうである。ほっとすると、状況を冷静に判断できるようになった。
髪からは花の香りが仄かに漂うし、何より柔らかな膨らみが当たっていることに気づき、健全な男子である勇士は再度固まる。
こういう時はどうしたら良いのか見当もつかない。
(壮がいればなぁ……あいつ女慣れしてそうだし)
遠い目をしていると、紡がなにやら申し訳なさそうに上目遣いで見つめてきた。
「あ〜、勇士くん……? 大変申し訳ないんだけど」
「ナンデスカ」
非常にぎこちない返事になってしまった。それでも笑わずにいてくれる紡の心の広さに感動する。
「さっきので足捻っちゃったみたいで、ちょっと歩けそうにないやぁ」
「……まじか」
最終的に、紡を背負って地獄の階段を下りることになった。
「おかえり……あら、もうそんなに仲良くなったの?」
「足捻っちゃったの〜」
勇士は否定する気力もなく、肩で息をしていた。雪乃と瑠璃は小人が運んできたのか、パラソルの下でお茶をしていた。
「紡らしいね。足見せて」
最後の力を振り絞って用意されていた椅子に紡を下ろすと、たまらず勇士は膝をついた。小人たちが労うように撫でてくれる。
「勇士くん、ありがと〜」
「……どういたし、まして…」
顔も上げれず、目だけで様子を窺うと、瑠璃がどこから出したのか紡の足に包帯を巻いて固定していた。慣れを感じる。
「これでよし、と。歩けそう?」
「うん!」
「紡も起きたし、寮に戻りましょう」
「……いや、ちょっと待って……息整ってない……」
雪乃は勇士を一瞥すると、冷たく言い放った
「どうしてもしんどいなら、小人たちに運ばせるけど?」
「頑張ります」
即答だった。小人に運ばれるのはもはやトラウマである。
後ろで瑠璃と紡が囁き合っていた。
「わたし、そんなに重かったかなぁ」
「紡ちゃんは平均的な体重だよ。壮くんが久遠くんを鍛えるらしいからそのうち平気になるよ」
勇士があまりにしんどそうなので紡はショックを受けたようだ。
三人の姫を助けた勇士は完全に油断していて、この後更なる衝撃の事実を知ることになるとは思いもよらなかったのだった。